【短編ホラー集】怪忌24.塗りつぶされた顔/E地方・伊吹市で発生した33の怪忌とその結末
E地方・伊吹市で発生した33の怪忌とその結末
24/34
24.塗りつぶされた顔
その日、日直だった希美は、お昼休みの時間に次の授業の準備をしていた。水曜の五時間目に行われるのは美術。今日は自画像を描くことになっており、希美は絵を描くためのイーゼルや顔を見るための鏡などを準備室から運び出さなければならない。
これがクラス全員分だから大変だ。
希美的には、今は生徒全員タブレットを持っているんだからそれで写真を撮って見ればいいじゃないか、と思うのだが、美術の先生は、この学校ではウマヅラ納豆ハゲこと白石先生に次ぐ古株で、曰く。
「自画像は、鏡越しに『自分と対峙する』という行為自体に美術的な意味がある」
……とのことだ。正直言って、ただ先生が最新機器などが苦手なだけのような気がしているが、先生がそう言う以上、希美は従うしかなかった。
さすがに一人では大変なので、歩希と朱理にお願いして手伝ってもらうことにした。
「……うわあ、クッサ。なにこの匂い。ちゃんと換気してるの? ここ」
準備室のドアを開けた途端、中から溢れ出した臭気に、朱理が顔をしかめた。かび臭い匂に加えて、油彩やら木材やら石膏やらの匂いが混じった複雑な臭い。ただし、その匂いを表す言葉は非常にシンプルで、朱理の言う通り、「クサい」の一言である。換気をしようにも、狭い部屋の中は窓のある壁も含めて四面すべてに棚が置かれており、窓を開けることもできない。棚が無いのは出入口だけだ。いや、出入口の上にも棚がしつらえてあり、そこにも物が置かれていた。
「ゴメンね朱理。さすがに一人でやるのは大変だから、お願い」
希美が手を合わせて言うと、朱理は「まあいいけど、コレ、貸しひとつだからね」と、笑って言ってくれた。「ありがとう」と、希美はお礼を言った。
準備室の棚には、デッサン用の石膏像や、関節が動いていろんなポーズがとれる人形、絵の具や筆、パレットにバケツ、ペンキの缶、その他、大量の段ボール箱など、様々なものが無造作に置かれていた。イーゼルは授業でよく使うのですぐ判るところに集めてあったが、鏡はすぐには見つからなかった。恐らく段ボール箱のどれかだろう。
「じゃあ、希美は鏡を探しなよ。あたしと歩希は、イーゼルを運び出してるから」
朱理がそう言って、歩希の袖を引いた。朱理が勝手に歩希とペアになってしまうことに若干不満を覚えたものの、本来準備をするのは日直である希美であり、手伝ってもらう二人に異臭漂うこの部屋に留まってもらうのも申し訳ない。なので、希美は朱理の言う通りにしようとした。すると。
「いや、俺も鏡を探すよ」
歩希がそう言って、袖を引く朱理の指を解くように自分の方に引き戻した。そして希美のそばに来て、棚に置かれた段ボールを指さした。
「たぶん、あの箱の中だろ? 希美一人じゃ持てない箱もあるだろうし、俺も手伝うよ。朱理は、イーゼル運び出してくれ」
朱理は一瞬不満そうな顔をしたが、すぐに笑顔に戻り、「はいはい。相変わらずお熱いことで。邪魔者は、おとなしく引っ込んでますよー」と、二人をからかうように言った。
「ちょっと朱理、なに言ってるのよ。あたしと歩希は、そんなんじゃないったら」
イーゼルを持って外に出た朱理の背中に、いつものように答える。そう言いつつも、歩希が朱理ではなく自分を選んでくれたような気がして、希美は思わず笑みがこぼれる。
「なにニヤニヤしてんだ気持ち悪い。いいから探すぞ」
歩希の言葉に、「別にニヤニヤなんかしてないわよ」と答えて、一緒に鏡を探すことにした。
段ボール箱の表面には、中身が判るように『新聞紙』『養生テープ』『木炭』などと書かれてあるが、『鏡』と書いた箱は見つからない。何も書いてない箱もたくさんあるので、その中だろう。歩希が段ボールを下ろし、希美が中を確認する。ひとつ目、ふたつ目、と確認するが、鏡は入っていなかった。
「……あった、これだ」
運よく三つ目の箱の中に鏡を見つけた。全部見ていくとお昼休みが終わりそうだったから、早めに見つかってよかった。下ろした他の箱は、歩希に戻してもらった。
「イーゼルと鏡と、これで全部か?」箱を戻し終った歩希が訊いた。
「ううん。後はね、卒業した美術部員が描いた自画像があるみたいだから、それを何枚か。お手本にするんだって」
「そっか。それなら、あれかな?」
希美と歩希は準備室の奥の隅を見た。棚と棚が置かれた間のわずかなスペースに、キャンバスが何枚も立てかけられてある。歩希がその中から探そうとする。
「あ、いいよ。それくらいならあたし一人でも大丈夫だから。歩希は、朱理を手伝ってあげて」
希美は歩希を止めてそう言った。イーゼルはひとつひとつが大きいうえにクラス全員分必要だから、準備室と美術室を何度も往復もしなければならない。さすがに朱理一人にすべて任せるのは気の毒だ。
「そうだな。じゃあ、そうするわ」
歩希は見つけた鏡の段ボール箱を外に運び出すと、その後朱理を手伝ってイーゼルを運び始めた。
「あら? デートは終わったの?」
「なんだよデートって。くだらないこと言ってないで、運べ」
「はーい……あーん、重たーい。歩希くーん、一緒に運んでよー」
「アホか、それくらい一人で持てるだろ。さっさとやれ」
「はあ? あんた、希美とあたしの扱い、全然違くない? まじでムカツクんですけどー」
……と、楽しそうな声が聞こえてくる。希美はフフフと小さく笑った後、絵を探すことにした。
立てかけられたキャンバスを一枚一枚確認する。風景画に花、世界的に有名な絵画の模写から、体育祭や文化祭のポスターまでたくさんある。その中から目的の自画像を見つけた。美術部員が描いただけあって、かなり精巧に描かれてある。
──でも、たぶん歩希の方が上手だけどね。
心の中で意味もなく過去の美術部員と張り合う希美。歩希は昔から手先が器用で、小学校の図工や中学校の美術でも成績が良かった。絵ではないが、昔彼が作ってくれた押し花のキーホルダーや花火のちぎり絵は、今も大切にしている。
──あれ?
自画像は何枚もあるので手本になりそうなものを選んでいると、一枚、奇妙な自画像を見つけた。肩から上を油絵具で描いたその絵は、髪の長さや制服から女生徒であると判る。顔で判断しなかったのは、それができないからだ。顔は、まるでそこだけ闇を描いたかのように真っ黒に塗りつぶされていたのだ。それ以外の部分は他の絵に負けないほど丁寧に書かれてあるので、余計にその塗りつぶされた部分が目立ってしまう。
希美は、じっとその絵を見つめる。なぜこんなことをしたのだろう? デキが気に入らなくて自分で塗りつぶしたのだろうか? 芸術家が自分の作品のデキに満足できず壊してしまうというのはドラマやマンガなんかでよく見かけるが、現実の高校生の美術部員がそこまでやるだろうか? むしろ、その絵の才能、あるいは美貌に嫉妬した誰かが、嫌がらせで塗りつぶした……そんな構図が思い浮かぶ。
「──希美? 手本の絵? 見つかったか?」
歩希が出入口のところから話しかけてきた。イーゼルは全部運び終わったようだ。
「あ、うん。あったよ」
希美は顔を真っ黒に塗りつぶされた絵を元の場所に戻し、他の自画像から二枚選んで運び出した。あの絵の異様さは気になったが、自分で塗りつぶしたのだとしても、嫌がらせで塗りつぶされたのだとしても、それはもう何年も前の出来事だ。いまさら希美があれこれ考えたところで、どうなるものでもないだろう。希美はそれ以上気にしないことにした。
お昼休みは終わり、授業が始まった。イーゼルと鏡はクラスメイト全員に行き渡り、希美が用意した元美術部員の絵も参考にしながら、みんなキャンバスの上の画用紙にそれぞれ自分の姿を描いていく。すらすらと描く子もいれば、鏡とにらめっこばかりしてなかなか筆が進まない子もいた。
美術の授業は、五時間目、六時間目、と、二時間連続で続く。六時間目の後半になると、みんなそれなりに形になっていた。希美は一度筆を止め、みんなの作品を見てみることにした。
まず見たのはもちろん歩希だ。というよりは、歩希はすぐ隣で描いているので、希美は何度もチラチラと見ていたのだが、やはり美術部員の参考絵よりもはるかに上手だった。
今回は何を使って描くかは自由なので、歩希は鉛筆だけで描いているのだが、まるでプロの似顔絵師が描いたかのような出来栄えだ。
顔の形と髪型に始まり、目、鼻、口、耳などのパーツはもちろん、まつ毛やまゆ毛の一本一本、小さな毛穴まで書きこんでいる。陰影のつけ方も絶妙で、2Hから6Bまでの全ての濃さの鉛筆を使いこなし、線はほとんど描かずに鉛筆の濃淡だけで顔の各パーツを表現しているのだ。
特に、唇の質感には、希美も思わずため息が出そうになる。鉛筆で書かれているはずなのに、そこにはいつも見ている確かな色を持った歩希の唇があるように思える。描き終ったら、あたしにプレゼントしてくれないかな……希美は、そんなことを考えてしまう。
じっと見ていたら、歩希が気付き、「……なんだよ?」と、ぶっきらぼうな口調で言った。希美は慌てて目を逸らし「別に……」と言ってごまかして、他の子の作品も見る。
朱理の自画像はさぞ美少女なんだろうな──そんな期待も虚しく、朱理の絵は思わず「福笑いか!!」とツッコんでしまいそうなほど、目も鼻も口も耳もでたらめに配置されていた。せっかくの美少女がもったいない……と思ったが、希美に見る目が無いだけで、ひょっとしたらピカソに代表されるキュビズムの新星なのかもしれない。
直人や舞たちの絵も見終えた後、希美は自分の絵に戻る。希美はカラフルな絵が好きなので、水彩絵の具を使って描いていた。下書きを終え、肌を塗り終えたところだ。次は髪を塗ることにする。希美は子どもの頃からずっと黒髪だ。朱理をはじめ、多くの子が校則に違反しない範囲で茶色系の髪にしているが、希美はこれからも黒髪を通すつもりだ。だから、自画像の髪も黒く塗る。希美は黒の絵の具をとり、フタを開けた。
「────」
そして、チューブを握って中身を全部左手の上に出すと、チューブは投げ捨て、両手を擦り合せて右手にも絵の具を広げる。それを顔に塗りたくった。
「ちょっと希美!? なにしてんの!!」
最初にそれに気づいたのは朱理だった。その声で、クラス全員の視線が希美に向く。
「おい!」
隣の歩希も気がついて、その行為を止めるために希美の両腕を握った。そこで、希美ははっとして我に返った。
「え……? あたし、いま、なにをして……」
両手を見る。真っ黒な絵の具が、両手いっぱいに広がっている。そのべたべたした感触は、顔全体にも感じる。似顔絵を描くための鏡はすぐそばにある。それを見た。顔を真っ黒に塗りつぶされた希美がそこにいた。無意識に悲鳴を上げた。鏡に映った自分の姿に驚いたというよりは、気付かないうちにそんな奇行に及んでしまったことの方が恐ろしかった。狂ってしまったのか、とさえ思った。
さらに叫ぼうとする希美を、歩希が助けてくれた。
奇行によって汚れた顔を隠すように、胸に抱き寄せる。
そして。
「──大丈夫、俺がついてる」
あの、魔法の言葉をかけてくれる。
それだけで、希美の心は、すっと楽になる。恐怖が洗い流され、歩希がそばにいてくれる安心感に満たされる。
そのまましばらく歩希の胸に顔をうずめた後、希美は、ぱっと顔を上げた。
「なーんてね! あはは。みんなゴメン! 絵の具顔に塗りたくって『あれ? 保湿クリームと間違えちゃった!! てへぺろ!』ってやればウケるかと思ったんだけど、意味不明すぎて逆に怖がらせちゃったね、失敗失敗。ホントゴメンね! あたし、顔洗ってくる!!」
そう言って、後は反応も見ずに美術室を飛び出した。どれだけ信じてくれたかは判らないが、なにも言わないよりはマシだろう。
そのままトイレに駆け込み、顔を洗う。後から朱理が来てくれて、「教室の方は歩希がうまく言ってくれてるから大丈夫」と教えてくれた。さらには「これ、使いなよ」と、洗顔クリームも渡してくれた。
「……ありがとう」
希美はクリームを受け取り、念入りに顔を洗った。幸い水彩絵の具なので、落とすのにそれほど苦労はしなった。
「──ごめんね歩希。シャツ、汚しちゃって。後で弁償するから」
授業が終わり、放課後。教室に残った希美・歩希・朱理の三人は、さっきの希美の奇行について話をしていた。顔に絵の具を塗りたくった希美を抱きしめた歩希は、体操着に着替えている。顔についた絵の具はそう苦労なく落とせるが、シャツの前面に広く付いた絵の具は、例え水彩でも落とすのに苦労するだろう。
「そんなことはいいよ。それより、本当は何があったんだ?」
歩希が訊く。やはり、あんな言い分では歩希の目はごまかせない。もちろん、朱理もあの奇行が冗談ではないことに気づいているはずだ。
もっとも、希美にも、なぜあんなことをしてしまったのかは判らない。自画像の髪を塗ろうと黒の絵の具を取ってからの記憶が無いのだ。気がついたら、歩希に両腕を握られていた。
顔に絵の具を塗りたくった記憶はないが、そんな行為に及んだ原因に心当たりがあるとすれば、やはり、美術準備室で見つけたあの古い自画像だろう。顔だけが真っ黒に塗りつぶされた女生徒の自画像。歩希に両腕を掴まれ、そばにあった鏡を見た時、希美の姿は、あの自画像の女生徒とそっくりであった。
希美は、そのことを歩希たちに話した。
「じゃあ、その顔が塗りつぶされた自画像の、呪いか何か、ってことか?」歩希が半信半疑の顔をする。
「わかんないけど、それくらいしか心当たりはないよ」
「呪いの自画像か……いいね、おもしろそう。じゃあ、さっそくその自画像、見に行こうよ」
朱理が目を輝かせながら言った。オカルトマニアの朱理は、こういう話が大好物なのだ。
「……朱理、絶対楽しんでるでしょ?」
「そ……そんなことないわよ。あたしは、親友として、希美のことを心の底から心配しているの」
「その言い方はますます怪しいけど……でも、ありがとね」
三人は再び美術準備室に戻ると、奥の隅にあるキャンバスの中から、顔が黒く塗りつぶされた自画像を取り出した。
「これか……確かに、不気味な絵ね」
朱理は怖がることなく絵をしみじみと見た後、「なんか、執念みたいなものを感じるわね」と言った。
「執念?」
「そう。『あたしの顔はこんなんじゃない!!』みたいな感じ? 描いた人の、『この絵は絶対許せない』みたいな気持を感じるの。わかんないけど」
朱理の言うことに、希美は大きく頷く。希美も、この絵を見た時、デキが気に入らなくて自分で塗りつぶしたのだろうか? とか、その絵の才能や美貌に嫉妬した誰かが嫌がらせで塗りつぶしたのだろうか? と考えた。どちらの場合でも、わざわざ絵を塗りつぶすくらいだから、かなりの執念があったことだろう。
考えていると、がちゃり、とドアが開き、美術の先生が入って来た。
「なんだお前ら、まだ残ってたのか?」
「すみません。ちょっと、片付け忘れがあって」日直である希美がそう答え、さらに続けた。「先生、この絵について、何か知ってますか?」
希美は先生に絵のことを訊いた。美術の先生は学校内ではかなりの古株で、ずっと美術部の顧問もしている。何か知っているかもしれない。
絵を見た先生は、「ああ、早見の絵か」と、言って、説明してくれた。
早見園子は、二十年前の入学生で、美術部員だったという。学校一の美少女で、男子はもちろん女子からの人気も高く、恋人もいたという。
「──朱理も、オカルトじゃなくて美術や読書なんかが趣味だったら、みんなからモテモテだったのにね」
希美が冗談を言うと、朱理は、「うるさいわね、趣味なんだから、なにをやろうと、あたしの勝手でしょ」と、ちょっと拗ねたような顔をした。
「だがな──」と、先生は話を続ける。「早見が高校三年の、ちょうど今ごろの時期だったか。彼女の家が火事になってな。幸い命は取り留めたが、顔に大やけどを負ってしまったんだ」
それまでの美しい顔は見る影もなくなった。どんなに皮膚移植の手術を繰り返しても元の美しい顔に戻る望みは無く、顔に硫酸をかけられるような激しい痛みと戦う毎日だった。さらに、この火傷がきっかけで、恋人は彼女のもとを去った。恐らくそれが最大の原因であったのだろう、早見園子は校舎の屋上から飛び降り、自ら命を絶った。
「その直後だよ。その自画像の顔が、黒くなり始めたのは」
最初はわずかな黒ずみだったが、やがてそれが広がり、あっという間に顔全体を覆ったという。油絵は水彩画と比べて格段に長持ちする絵画だ。歴史的な名画などは、メンテナンスの影響ももちろんあるが、数百年も色あせず残っている。一年やそこらで真っ黒になることなどあり得ないだろう。
「生徒の間じゃあ、呪われた絵、なんて言われたりもしたが……まあ、安い絵の具を使ったからだろうな」
先生はそう言って笑った後、棚にあるペンキ缶をひとつ持ち、「下校時間までには帰るんだぞ」と言って、準備室を出て行った。
「呪いの自画像……朱理の予想、当たってたね」希美は感心よりも呆れが強い口調で言った。
「その、早見って子の無念の思いが絵に宿り、それが希美の霊感を媒体にして、顔を黒く塗る奇行に走らせた、ってところかな? わかんないけど」朱理がいつものように推理をする。
「仮にそうだとして、これからどうする? 神社とかで、お祓いでもしてもらうのか?」
歩希の提案に、朱理は、「それもアリだと思うけど、お金に関してはあたしに期待しないでね、今月ピンチだから」と答える。神社でお祓いしてもらうにもお金がかかる。希美も、自分が悪いわけでもないのに命の次に大事なお小遣いを使うにはためらいがある。今のところ顔に絵の具を塗りたくるだけで命の危険はなさそうだから、余計に。
少し考えた後、歩希が言った。「家族を探して返してみる、っていうのはどうだ?」
「うーん……」と朱理は唸った。「早見園子って名前だけで、いま家族がどこに住んでるか判るかな? 調べるのに時間がかかりそうだし、仮に判ったとしても、こんな不気味な絵、貰っても迷惑かもしれないよ?」
「じゃあ、どうするんだよ。お前には、いい考えがあるのか?」
「そうね、いっそ、燃やすとか?」
「……絶対呪いが広がるヤツだろ、それ」
二人の意見を聞きながら考えていた希美は、不意にいいことを思いついた。
「顔、描こう」
希美の提案に、二人は「へ?」という顔をした。
希美は説明する。「まずこの絵の黒くなってるところを白く塗りつぶして、その上から、改めて顔を描くの。歩希が描けば、元の絵にも負けないくらいのデキになるんじゃない?」
「いや、描くって言っても、この子がどんな顔か判らないだろ」
「そうなんだよね。なんかすごい美少女って話だから、朱理をモデルに描いてみたら?」
二人の視線が集まると、朱理は嫌そうな顔をした。「ちょっとやめてよ、それ、あたしが呪われそうじゃん」
「冗談冗談」と、希美は否定する。
「もう、変な冗談やめてよね? あたしは他人が呪われてるのを見るのは楽しいんだけど、自分が呪われるのは勘弁だからね」
「……いま、楽しいって言った?」
「あはは、冗談冗談」
「ていうか」と歩希が口を挟む。「真面目に考えろ」
「ゴメンゴメン」と、希美は謝った。「大丈夫、ちゃんと考えてあるよ。図書室、行ってみよう」
「図書室?」
「そう。歴代の生徒の卒業アルバムがあると思うから、その中に写ってるかもしれないでしょ?」
と、いうことで、三人は図書室に移動し、早見園子が写っている卒業アルバムを探した。二十年前の入学生とのことなので、希美は十七年前の卒業アルバムを棚から取り出した。
「え? 希美、ちょっと待って」と朱理が言った。「二十年前の入学生なら、十八年前の卒業生じゃないの?」
「へ? なんで?」希美は目を丸くする。「二十年前に入学して、三年後に卒業するから、十七年前でしょ?」
「でもさ、例えば、『一年前の卒業生』なら、去年の三年生だから、二年前には二年生で、三年前には一年生。だから、『三年前の入学生』ってことでしょ?」
「……確かに、そうなるね」
「だったら、二年前の卒業生は四年前の入学生で、三年前の卒業生は五年前の入学生。このまま遡れば、十八年前の卒業生は、二十年前の入学生になるでしょ」
「えー? でもさ、二十年前に入学したってことは、十九年前に二年生でしょ? だったら十八年前に三年生で、でも四月に卒業するわけじゃないから、一年経過させて、やっぱり十七年前だよ」
「めんどくせぇから両方調べろ」
歩希にツッコまれ、希美と朱理はそれぞれ十七年前と十八年前の卒業アルバムを調べた。結果、十八年前の卒業アルバムから『早見園子』の名前が見つかり、希美は朱理から大いにドヤ顔をされることになった。
「──これが早見園子かな。確かに、カワイイね」
この学校では集合写真は各学年四月に撮影する。三年生の四月なら早見園子はまだ自殺していないから、ちゃんと写っていた。
希美たちはアルバムを持ち出し、もう一度美術準備室へ戻った。そして、自画像の黒く塗りつぶされた部分に、歩希が改めて顔を描く。なんとか下校時刻までに本人そっくりの顔を書き上げることができた。
「これでたぶん大丈夫だよ。ありがとね、歩希、朱理」
希美がお礼を言うと、歩希は「んー」と、いつものなんでもないような口調で答え、朱理は「いいよいいよ、楽しかったし」と答えた。やっぱり楽しんでたのかこの子は、と思いつつ、希美は二人と一緒に下校した。
だが、異変は治まらなかった。
翌日のお昼休み。
いつものように希美は購買部でパンを買ってきて、教室に戻った。朱理や舞たちはお弁当を持ってきているが、まだフタを開けていなかった。
希美は自分の席に着いた。「あれ? 待っててくれたの? 先に食べてくれててよかったのに」
「だって、みんなそろってからの方が楽しいでしょ」と舞が言った。「じゃあ、希美も戻って来た所で、いただきまーす」
希美は買ってきたパンの袋を開けた。みんなも各々のお弁当箱のフタを開ける。みんなイマドキのJKらしく、カラフルなお弁当だった。朱理たちは中身を素手で取ると、それを両手で顔に押し付け、洗顔クリームを使うかのように顔中に塗り広げた。
「──え?」
その奇行に、希美は唖然とする。チキンライスやオムライス、鶏肉や卵のそぼろに赤ウインナーやブロッコリーゆでたまご……色とりどりの食物を、両手で無造作につかんでは、顔に押し付けている。朱理たちだけではない。歩希も、直人も、その他のクラスのみんなが、お弁当やパンを持ち、顔に塗りたくっていた。昨日の希美と同じように。
──絵の呪いが広がった!?
瞬時にそう思った。そのような奇行に及ぶ原因は、それ以外に考えられない。昨日の放課後、歩希に顔を描いてもらったのは間違いだったのだろうか。
みんな顔に食べ物を塗りつける。異常に気づいた先生が教室に入ってきて止めようとするが、それを振り払って奇行を続ける。「あはは、あは?」と、甲高く笑い出す者もいる。お弁当が無くなると、黒板のチョークを顔にこすり付けたり、筆箱からペンを取り出して塗ったりする者もいる。さらには、ゴミ箱のゴミをあさって顔にかけたり、壁に頭をぶつけて流れ出た血を顔に塗りつける者さえ出てきた。
──マズイ! なんとかしなきゃ!
希美は教室を跳び出し、美術室へ走った。準備室へ駆け込み、昨日歩希に顔を描いてもらった自画像を取り出す。歩希に描いてもらった顔は、昨日と変わらないはずなのに、なぜか笑っているように見えた。これをどうする? 周囲を見回し、目に入ったのはペンキ缶だった。
希美は缶をとり、フタを開けると、中身を自画像にぶちまけた。
ペンキの色は赤だった。自画像は、まるで喉を掻き切られて血が噴き出したかのように、キャンバス一面深い赤で覆われた。顔は見えなくなった。希美は、肩で大きく息をしながら、そのまましばらく絵を見つめていた。
教室に戻ると、みんな我に返っていた。もっとも、なぜこんなことをしてしまったのかと、みんなパニック状態だ。その日の午後の授業は中止となり、怪我をしたり気分が悪くなった生徒は病院へ向かい、大丈夫な生徒はそのまま帰宅した。
それから数日が経った。心にも身体にも大きな傷を残す出来事になったが、一応、それ以降は突然顔に何かを塗りたくるという奇行をする者は現れなかった。クラスがいつもの雰囲気に戻るのに、そう長い時間はかからなかった。
歩希がやったことの何が間違いだったのか。希美がやったことの何が正しかったのか。それは判らない。そもそも、早見園子が絵画に込めた呪い、というのは希美たちの想像で、それが正しいという証拠はどこにもないのだ。あの自画像を見つけたことがきっかけで始まり、あの自画像に手を加えたことで広がり、あの自画像にペンキをぶちまけたことで治まった。それだけが、確かなことである。
あの自画像は、今も美術室にある。数年後、もしかしたらまた黒く塗りつぶされているかもしれない。それを見つけた生徒がまた異変に襲われるかもしれない……そう思うこともある。もっとも、その時はもう、希美たちは卒業してこの学校にはいないはずだ。後のことは、希美にはどうしようもないだろう。
表面的には解決したように見えるが、ひとつだけ、問題が残った。
☆
「──おはよう、乃愛、お父さん」
朝、一階に下りた希美は、リビングで妹と父に挨拶をする。テーブルには朝食が用意されているが、希美は朝は食べない派だった。希美は席にはつかず、洗面所へ向かう。
「希美ちゃん? 朝ごはんはしっかり食べないと、学校で頭が働かないわよ? お弁当も、今日は忘れずに持っていってね?」
希美の背中に、母がそう声をかけた。希美は無言で洗面のドアの前に立った。内心、イライラしていた。洗面所のドアを開けると、今の不機嫌さが母まで届くように、バタン! と、必要以上に強い力でドアを閉めた。
──こっちは食べないってずっと意思表示をしてるのに、まだ気づかないのあの人? 毎日毎日作って、なんの嫌がらせよ。
イライラした気分のまま歯を磨き、口をゆすぐ。棚からタオルを取り出して、顔を洗った。冷たい水が、希美のイラつきを洗い流してくれる。少し心が落ち着いてきたので、水を止め、タオルで顔を拭き、顔を上げて鏡を見た。
「────!!」
悲鳴をあげそうになった。鏡に映った希美の顔が、真っ黒だったのだ。まるで、黒の絵の具を塗りたくったみたいに。……いや、そんなレベルではない。顔には、目も鼻も口もない。のっぺらぼうに黒い絵の具を塗りたくったのとも違う。例えるならば「顔が闇に包まれている」であろう。希美の顔には、何も存在しない。目や鼻といったパーツだけでなく、顔という概念さえも存在せず、光さえも照らすことができない。何も無い、ただの空洞。
だが。
そう見えたのは一瞬で、すぐに顔は元に戻っていた。鏡に顔を近づけ、顔を触ってみるが、いつもの希美のままである。
「…………」
希美は洗面所を出ると、部屋に戻り、制服に着替え始めた。
☆
この日以降。
希美は、鏡を見ると、ときどき顔が真っ黒に見えるようになった。
この現象は、高校を卒業した後も、ずっと続くことになる──。
