【短編ホラー集】怪忌34.その結末(最終話)/E地方・伊吹市で発生した33の怪忌とその結末
E地方・伊吹市で発生した33の怪忌とその結末
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34.その結末
街灯もない、月明かりさえない深夜の山道を、車は走る。辺りは暗闇に包まれ、ヘッドライトが照らし出すわずかな空間だけが、世界の全てであるような錯覚を覚える。
運転する希美も、その隣に座る朱理も、一言も発することは無い。車の静かな走行音と、砂利を踏む音、あとは、二人のわずかな呼吸音や衣擦れの音が聞こえるだけだ。バックミラーを見ると、まるで後戻りを許さないかのように、走行した後の道が闇の中へと消えてゆく。もちろん、希美には引き返すつもりなど無い。そのまま車を走らせる。
山肌を縫うように続く坂道を登り終え、希美は広場に入って車を停めた。目的地としていた高里山、その駐車場だ。場内には心細い照明がいくつか灯っており、『登山道→』と書かれた看板も見える。ここから一〇分ほど登ったところに、小さな池がある。高校二年の二学期末、希美たちが野外生物学実習を行った場所だ。近隣の住人からは、『底なし沼』とも呼ばれている。
「ああ、なんか、ちょっと思い出してきたかも」駐車場内を見回した朱理が言った。「確か、希美が池に落ちかけて、大騒ぎになったところじゃなかったけ?」
「…………」
希美は何も答えない。朱理にとって、あの日の出来事はその程度の認識なのか、と、落胆する思いだった。あの日、希美は落ちかけたのではなく、何者かに沼の中に引きずり込まれそうになったのだ。あの出来事がきっかけで、希美の心の中には、朱理に対する不信感が芽生えた。
そのことに、朱理は気付いているのかどうか──まあ、今さらどちらでもいい、と、希美は思い直した。
ようやく、ここまで来た。
迷いは、もちろんあった。だから、本来なら車で三十分ほどのこの場所に、いろいろと遠回りをして来たのだ。決意が固まらなかったと言える。
だが、ここまでの道中、朱理と話し、ようやく心が決まった。いや、すでに引き返せないところまで来ているのだ。いまさらやめることなどできはしない。やるしかない。
希美は、一度大きく息を吸い、吐き出した。
そして、正面を見たまま、隣の朱理に向かって言う。
「どう? 最後に思い残したこととか、ある?」
「思い残し? 別に無いわよ」朱理は、どこか投げやりな口調で答えた。「これしか方法は無かったんでしょ? 希美の気持ちを晴らすには」
「そうね」
「ずっと言ってるでしょ? あなたはあたしの『親友』だって。そっちが今どう思ってるかは知らないけどさ。あたしは、今でもそう思ってるよ。だからここまで付き合ってあげたんだから。それだけは、忘れないでね」
「うん……ありがとう。本当に」
希美はハンドルを握ったまま正面を見つめ、朱理は頬杖をついて窓の外を見つめる。そのまま、長く、あるいは短い時間が流れた。
やがて二人は、どちらからともなく、顔を見合わせた。視線が合う。しばらく交わることがなかった二人の気持ちが、この時、一致した。
「────」
希美と朱理は、お互いの目の奥の決意を感じ取り、頷き合う。
そして、車を降りた。
朱理は後部座席のドアを開け、そこに置いてある荷物──高性能の懐中電灯、ブルーシート、ガムテープ、折り畳み式の台車、ロープ、そして、庭から持ってきた大きな石をいくつか、それらを、ひとつひとつ下ろす。
希美は車の後ろに回り込み、バックドアを開けた。そこに、ブルーシートにくるんだものを乗せてある。一応、一人で降ろそうとしてみたが無駄だった。希美の非力な腕では、持ち上げることはできない。
朱理が折り畳み式の台車を広げ、車の後ろにつけた。
「手伝うよ」
そう言って、ブルーシートにくるんだものの片側を持った。
「ありがとう」
希美はお礼を言って、朱理とは反対側を持つ。二人で力を合わせ、それを台車に乗せた。残りの荷物も台車に乗せ、車のドアを閉めた。
そして、懐中電灯の明かりを頼りに、台車を押して登山道を上がる。荷物は重く、舗装されていない道を上がるのは大変だったが、希美と朱理は力を合わせ、二十分ほどかけて、なんとか池のほとりまでたどり着いた。
希美はライトで水面を照らした。あの日と同じく、枯葉に覆われた水面。わずかに見える水はどす黒く染まっており、まるで周辺の暗闇が流れ出たかのようだ。前回来たとき以上に荒れている。よほど人が寄り付かない場所なのだろう。だからこそ、希美はこの場所を選んだのだ。
あの日の記憶がよみがえる。生態系調査、崩壊した祠、水面から伸びてきた手、沼に引きずり込まれそうになった時の水の冷たさ、朱理の行動、後から調べて判明した沼の伝承、そして、朱理への不信感の芽生え……。
この場所で、全てが変わった。その結果、希美と朱理は、決して抜け出すことのできない底なしの沼にはまってしまったのだ。
「──大丈夫?」
希美を心配する朱理。希美は考えるのをやめ、「うん、平気」と頷いて、作業を再開する。
ブルーシートにくるんだものを、さらにガムテープでぐるぐる巻きにした。ロープを括り付け、さらに庭の石を重しとして括る。
準備は整った。
最後に。
希美は、ブルーシートの一辺──顔を覆っている部分を、めくった。
中には、希美がずっと心の支えにしてきた人が、目を閉じて眠っていた。
その頬に触れる。唇にも触れた。どちらも、かつての温かさはなく、まるで氷のような冷たさだ。
そのまぶたは、もう二度と開くことは無く、希美を見つめてくれることは無い。
その口は、もう二度と「──大丈夫、俺がついてる」と言って、希美の心を守ってくれることは無い。
彼は、もう二度と、希美を支えてくれることは、無い。
──ありがとう、あたしの大切な人。本当に、大好きだったよ。
希美は再びブルーシートで顔を覆い、決して開かないよう、ガムテープを巻きつけた。
「──いいよ」
朱理の方を振り向いて頷く。朱理も頷いた。
そして、もう一度、ふたりで両端を持ち。
「せーのっ!!」
掛け声とともに、池の中に放り込んだ。
鈍い音とともに、ブルーシートにくるんだものは水面に叩きつけられる。それは一瞬だけ水面に浮かんだが、やがて少しずつ沈んでいく。水辺に残っていた石も放り込む。こちらは、どぶん、と、どこか心地よい音をたて、勢いよく沈んでいった。それに引っ張られ、ブルーシートにくるんだものも沈んでいく。
ライトに照らされたそれは、やがて完全に水の中に沈み、見えなくなった。
希美は、上着の中から、もうひとつ家から持ってきたものを取り出した。花火のちぎり絵だ。十四歳の冬、歩希が作ってくれたものだ。母と、乃愛と、希美と、そして歩希の、絆のちぎり絵。それも、池に投げ捨てた。ちぎり絵の紙が水を吸い、やがてその重みで沈み始める。
──さようなら、歩希。
希美はちぎり絵も完全に沈んだのを見届けると、最愛の人に別れを告げ、朱理と二人、底なしの沼を後にした。
(『E地方・伊吹市で発生した33の怪異とその結末』 終わり)
