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【短編ホラー集】怪忌33.折れた枝/E地方・伊吹市で発生した33の怪忌とその結末

E地方・伊吹市で発生した33の怪忌とその結末


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33.折れた枝

 日曜の午後、希美はリビングで久しぶりにゲームで遊んでいた。九歳の誕生日にパパに買ってもらった携帯型のゲーム機で、いまテレビアニメを中心に大流行している妖怪とトモダチになるゲームだ。

 このゲームが発売されたのは去年の夏で、楓や歩希たちはとっくにクリアしているが、希美は様々な理由がありまだ半分もクリアできていなかった。

 一週間後には続編である2が発売されることになっている。それまでにクリアしておかないと、パパに2を買ってもらえない。そうなると、クラスで希美だけ話についていけない、なんてことになりかねない。

 パパは書斎でお仕事をしているし、乃愛はソファーでお昼寝をしている。今のうちに少しでも進めておかないと。希美はテーブルの上にゲーム機を置き、タッチペンでちょこちょこと操作しながら、ゲームを進めて行った。

「──やった! 『しにがみしょうじょ』とトモダチになれた!」

 希美は嬉しくて思わず声を上げる。『しにがみしょうじょ』は、ゲームの中盤以降にトモダチにできる妖怪で、このゲームで一番の美少女妖怪だ。女子からの人気が高く、楓や汐音たちはさらに進化させた『しにがみひめ』を、パーティーメンバーとしてよく使っている。希美も前から欲しかったキャラクターで、ようやくトモダチになることができた。

「ようし、このまま『ハート犬』や『バグ』もトモダチにするぞ!」

 希美は張り切ってさらに人気妖怪を集めようとしたのだが。

「……あ、お姉ちゃんゲームやってるの? 乃愛もやるー!」

 大きな声を出してしまったせいか、ソファーでお昼寝をしていた乃愛が起きてしまった。あちゃー、と、後悔しても遅い。乃愛は目をキラキラと輝かせながら希美のところまで駆け寄ってきて、「乃愛もやる! 乃愛もやる!」と、手を伸ばす。

「ダメ。これは今お姉ちゃんがやってるんだから、乃愛はあっちで遊んでなさい。乃愛も、この前パパからゲーム貰ったでしょ?」

 希美は乃愛にゲーム機を取られないようにしながら言った。せっかくイイ感じで進めてきたのに、いま乃愛に邪魔されたくない。

「アレつまんないからヤダ! お姉ちゃんのゲームがやりたいの!」

 乃愛は希美の言うことを聞かず、やらせてやらせて、とせがむ。

 希美が持っているゲーム機が、みんなやってる最新のゲーム機なのに対し、乃愛がパパから貰ったゲーム機は、パパが子どもの頃に遊んでいたという古いものだ。

 希美のゲーム機が二画面でタッチパネル搭載で3D表示もできる綺麗な画面なのに対し、乃愛のゲーム機は一画面でタッチパネルも無く白黒のショボイ画面だ。

 ゲーム自体は、敵や障害物を跳び越えてゴールを目指したり、弾を撃って敵を倒したりといったシンプルなものなので、まだ六歳の乃愛にはそっちの方が合っていると思う。

 しかし、六歳という年頃からか、どうしても姉がやっているのと同じものをやりたがるのだ。

「これは乃愛には難しいからダメ」と、希美が言っても、「できるもん! できるもん!」と言って譲らない。あまりにうるさいので根負けし、「じゃあ、ホントにちょっとだけよ?」と言って、やらせることにした。

 ゲームは、町を探索して妖怪とバトルして友達になったり、住人や妖怪のお願い事を解決したりするものだ。希美は、まず妖怪を仲間にする方法を教える。

「町のいろんなところに行って、『ここは怪しい』って思ったら、コマンドから、『ヨーカイ時計』を選んで、サーチするの。そこに妖怪がいたら、バトルになったりお願い事されたりするんだよ。ほら、やってみて」

 と、いう具合に説明しても、乃愛はちんぷんかんぷんという顔をする。そして、適当にボタンを押したりタッチパネルをペンで叩いたりするので、「違う違う。ここ。ここに、たぶん妖怪がいるから、サーチするの」と言いながら、乃愛の手を持って操作してあげる。どうにか妖怪を発見し、バトルとなった。

「あ! ハート犬だ! ゴメン乃愛、代わって!」

 希美が次の目標にしていた妖怪である。ここはきっちりトモダチにしておきたいところだ。

 しかし、乃愛は。

「お姉ちゃんうるさい! 乃愛がやってるんだから、お姉ちゃんは黙ってて!」

 怒ってそう言うので、希美は仕方なく乃愛に任せてみる。もちろん、遊び方を理解していない乃愛に倒すことは難しく、すぐにピンチになった。見ていられず、希美は横から口を出す。

「『しにがみしょうじょ』がピンチだから、『おむすび』で回復させて」「次は『憑りつく』の。そしたら相手の攻撃力が下がるから、戦いやすくなるよ」「『妖力ゲージ』が溜まってる! 必殺技使って!」……。

 もちろん、乃愛が理解できるはずもなく、むしろいろいろ言われて大混乱し、結局バトルには負けてしまった。

「あーあ、負けちゃった。もう、せっかくハート犬をトモダチにできるチャンスだったのに。だからお姉ちゃんに代わってって言ったんだよ」

 希美はわざと乃愛を責めるようなことを言う。こう言っておけば、懲りてもう二度とやらせてとは言わないだろうと思ったのだ。バトルに負けたのは残念だが、乃愛にゲーム機を渡す前にちゃんとセーブしてあるので、やり直せばいいだけだ。

 だが、乃愛はゲーム機を握りしめ、悔しそうな顔で全身プルプル震えると。

「こんなのつまんない! もうやめる!!」

 そう言って、あろうことかゲーム機を床に投げつけた。

「ああ!」

 とっさに手を伸ばしても遅い。がしゃん、と音を立てたゲーム機は、画面にひびが入り、プツリ、と、映像も消えた。慌てて拾って再度電源を入れてみるが、ゲーム機はウンともスンとも言わなかった。

「ちょっと! なんてことするの乃愛! お姉ちゃんのゲーム機、壊れちゃったじゃない!」

 乃愛は一瞬ビックリした顔をしたが、すぐにプイッと横を向いた。

「乃愛悪くないもん、お姉ちゃんがうるさいのがいけないんだもん」

「なにその態度は! 悪いことをしたら、まず『ごめんなさい』って言わなきゃダメでしょ!」

「乃愛、悪いことなんてしてないもーん。テレビみよーっと」

 乃愛はテレビのリモコンを取ると、スイッチを入れてソファーに座った。後は希美がなにを言っても知らんぷりである。

「──希美、どうしたんだ? さっきから」

 騒ぎを聞いたのだろう。書斎から父が出てきた。

 希美は乃愛が壊したゲーム機を見せた。

「パパ! これ見てよ! 乃愛が壊したの! でも全然謝らないんだよ!」

 しかし父は、「あー、こりゃヒドイな」と、大してヒドイとも思ってない口調で言って、「乃愛、もうこんなことするんじゃないぞ」とおざなり言っただけだった。乃愛も、「はーい」と、まったく反省してないような返事をする。

「そうじゃなくて、ちゃんと叱ってよパパ! 来週新作ゲームが出るのに、これじゃあ遊べないよ! そのゲーム、歩希くんや楓ちゃんたち、友達みんな買うって言ってるのに、あたしだけ仲間外れになっちゃうよ」

「ゲームが無いくらいで仲間外れにするような子は本当の友達じゃないぞ? それより、パパは今お仕事をしてるんだ。ちゃんと乃愛の面倒を見て、静かにしてるんだ。希美はお姉ちゃんなんだから、しっかりしろ。いいな?」

 そして、「ゲームはまた今度買ってやるから」と言いながら、また書斎に戻った。

「……今度って、いつなの……しっかりしたお姉ちゃんって、これ以上どうすればいいのよ……」

 希美は閉ざされた書斎のドアを見ながらつぶやく。

「お姉ちゃーん、乃愛のど渇いたー。ジュースかなにかないー?」

 ソファーに寝転がり、あんぱんを模したヒーローが活躍する子ども向けアニメを見ながら、乃愛は何事も無かったかのようにそう言った。



 希美と乃愛の母が亡くなってから、もうすぐ一年になろうとしていた。希美は小学五年生、乃愛は幼稚園の年長組となり、来年は小学一年生である。

「希美。乃愛のことをよろしくね」

 お葬式の日、母にお別れを言おうとしたとき、母は棺から起き上がり、希美に向かってそう言った。ママの最後のお願い──希美はそれを守り、積極的に乃愛の面倒を見るようにしている。

 しかし。

 もともとワガママで甘えん坊だった乃愛だが、母の死以降、そのワガママぶりがどんどんひどくなっているように思う。希美が「ダメ」といっても聞かないことはしょっちゅうで、朝の身支度やご飯の食べ残し、幼稚園への送り迎え、帰ってからのうがい手洗い、など、素直に言うことを聞くことはほとんどない。しつこく注意をすると、さっきのように癇癪かんしゃくを起こして物を壊したり暴れたりすることも少なくないし、それを謝りなさいといっても謝らない。

 そして、少し時間が経てば、何事も無かったかのようにまた「お姉ちゃんお姉ちゃん」と寄ってくる。

 父に叱ってもらおうにも、父は仕事が忙しく、家に帰ってくるのは夜遅くなりがちだ。休日も仕事をしているので、乃愛の相手をしてくれるかどうかは半々だ。口癖のように、「希美はお姉ちゃんなんだからしっかりしなさい」と言われるだけである。だが、これ以上どうすればいいのか、希美には判らない。

 ──ママが生きていたら、乃愛はもっといい子になっていたのかな。

 毎日のようにそう思う。思うだけでなく、仏壇のママの遺影に相談することもある。

 ママの遺影は、いつも爽やかに笑っているだけで、何も答えてくれなかった。



 それから何日か経ったある日。

 小学校の授業が終わり、希美は乃愛の幼稚園のお迎えをしていた。家から少し離れた場所にある送迎バスの待合所まで行き、幼稚園から帰ってきた乃愛を、家まで連れて帰るのである。

 バスから降りてきた乃愛の手を握り、「今日はみんなであんぱんヒーローの歌をうたったんだよー」という乃愛の話に「そうなんだ、よかったね」と適当に相槌を打ちながら家へ向かう。途中、近所の児童公園の前を通りかかった時。

「あ、希美ちゃん。乃愛ちゃんのお迎え?」

 向こうから楓と優子がやってきて、希美に声をかけた。希美は、そうなの、と答えた。

「これからみんなとゲームやるんだけど、希美ちゃんもおいでよ。みんなで妖怪トモダチの交換や、対戦もやってるみたいだよ?」

 楓と優子の手にはゲーム機が握られており、公園の中では東屋のところに近所の子たちが集まっていた。汐音や遥たち女子だけでなく、歩希や裕太たち男子もいる。先日発売された最新ゲームだろう。

「あ、でも、あたし、まだ『2』は買ってもらってないし、ゲーム機は、この前乃愛が壊しちゃったから……」

 希美は苦笑いで答えた。父は「今度買ってやる」と言っていたが、その約束はまだ果たされていない。学校でも話題はそのゲームに集中しがちで、希美は肩身の狭い思いをしていた。

「じゃあ、あたしの貸してあげるよ、二台持ってるから」

 優子がそう言って、ポーチの中からもう一台ゲーム機を取り出した。それは初期型のちょっと古いタイプで、最新のタイプより少し画面が小さいが、遊べるゲームは同じである。ソフトも二本あるので、これで希美も遊べるという。

「……でも、乃愛を家に連れて帰らないといけないし、夕ご飯の準備もあるし……」

 希美は遊びたい気持ちを押し殺してそう言った。洗濯物を取り込んで、お風呂の掃除もして……やらなければいけないことは沢山ある。

「あ、そうなんだ。希美ちゃんも大変だね」楓はそう言うと、「まあ、みんな夕方まではいると思うから、時間があればまたおいでよ、じゃあね」と言って、優子と二人、東屋の方へ走っていった。

 希美は公園の出入口のところから、みんなのことを見る。歩希もゲームで遊んでいる。その隣には遥がいた。遥は歩希のゲーム画面を横から覗き込み、楽しそうに笑っている。たぶん、妖怪トモダチを交換しているのだろう。それを見ていると、胸の奥がチクチクと痛んだ。あの輪の中に入れないことが、悔しいような、悲しいような、ちょっとだけ遥や歩希にヤキモキするような、そんな様々な感情が混ざり合って、よく判らない気持ちだ。

 希美は、カバンの中から家の鍵を取り出した。

「ゴメン、乃愛。お姉ちゃん、ちょっと楓ちゃんたちと遊んでくるから、乃愛は、家まで一人で帰ってくれる? ここからなら、帰り道、もう判るよね? 家に帰ったら、中からまたちゃんと鍵かけるのよ?」

 そう言って、乃愛に鍵を渡す。この公園から家までは一〇分ちょっと。幼稚園の行き帰りには毎日通っているし、希美が今の乃愛と同じ年ごろにはもう一人で遊びに来ていたし、乃愛一人でも大丈夫なはずだ。

 鍵を渡された乃愛は、一瞬不安そうな顔をした。でも、すぐに少し怒ったような顔になる。

「お姉ちゃんが遊ぶなら、乃愛も一緒に遊びたい」

 そう言った。乃愛を一人にしないためにはそれが一番のように思うし、みんなも乃愛だけを仲間外れにはしないと思うが、ひとつ心配なことがあった。

「乃愛は、この前お姉ちゃんのゲーム壊しちゃたでしょ? 歩希くんや楓ちゃんのゲーム壊したら大変だから、ダメ」

 みんながゲームをしていれば、乃愛もやりたがるのは目に見えていた。そして、きっと誰かが貸してくれるだろう。でも、希美がやっていた旧作ですらまともに遊べなかった乃愛が、進化した『2』のシステムについていけるわけがない。先日のように怒ってゲームを壊したりしたら、弁償しないといけない。でも、それで許してくれればまだいい方だ。弁償してもゲームのデータは元に戻らないから、許してもらえない可能性の方が高い。乃愛のせいで友情まで壊されたくはない。

 しかし、当然のごとく、乃愛は言うことを聞かない。

「やだ! 一人で帰りたくない! 乃愛もゲームするの! みんなで遊ぶの!」

 両手をぶんぶん振りながら言う。こうなったらもう、普通に言うだけではダメだ。

 乃愛はこれまで、一人で家に帰ったことは無い。恐らく一人で帰るのが怖いのだろう。そう言えば、乃愛が四歳の頃、家族みんなで郊外の大型ショッピングモールに出かけた際、乃愛が迷子になったことがある。お店の迷子センターを通じて見つかったのは一時間後だった。その間、乃愛はずっと大泣きしていたそうだ。知らない場所で、知らない人に囲まれて、たった一人だった乃愛。それがトラウマになっているのかもしれない。

「……一人で帰るの、怖い?」

 希美がそう訊くと、乃愛は恥ずかしいのか怒っているのか、顔を真っ赤にして、「怖くないもん! 乃愛、遊びたいだけだもん」と言った。やっぱり怖いのか、と思いつつ、希美は続ける。

「ここは家から近いし、毎日通ってるんだから、乃愛一人でも怖くないでしょ? 来年は乃愛も小学一年生なんだから、公園から一人で帰るくらい、できなきゃダメだよ」

「怖くないって言ってるでしょ! 乃愛も遊ぶの! みんなとゲームするの!!」

 ますます意固地になる乃愛に、「大きな声出さないの」となだめた希美は、いいことを思いついた。

「そうだ。乃愛、ママに作ってもらったお守り、持ってる?」

「お守り……?」

 乃愛は怒っているのも忘れたように、目をぱちぱちとさせた。

「神社の裏の広場でご神木の枝を拾って、ママに作ってもらったでしょ? 持ってないの?」

 そう訊くと、乃愛は首を横に振った。家に置いてきたらしい。

「じゃあ、お姉ちゃんのを貸してあげる」

 希美はいつも胸から下げている母のお守りを取り出して、乃愛に渡した。

「お姉ちゃんも、今まで怖いことたくさんあったけど、ママのお守り握りしめたら、大丈夫だったの。ほら、乃愛もやってみて」

 乃愛にお守りを握らせ、そして続けた。

「ほら、これで勇気が湧いてきた。もう一人で帰れるよね?」

 乃愛はしばらくお守りを握ったまま迷うような顔をしていたが、やがて。

「やだ! 帰らない! 乃愛もみんなと遊ぶの!!」

 そう言って、母のお守りを道に投げ捨てた。

 不運だった。ちょうどそこに自転車が通りかかって、お守りを踏み、そのまま走り去ってしまったのだ。

「──ああ!」

 希美は声を上げた。周囲に注意して、お守りを拾う。ずっと綺麗な状態で持ち歩いていたお守り──母の手作りのお守り袋は泥だらけになった。お守りの口を開け、中身を手のひらの上に出す。中に入れていた枝は、真っ二つに折れていた。

「ママのお守りが……」

 希美はママとの思い出が無くなってしまった気がして、悲しい気持ちで枝を見つめる。

 そして、その気持ちが、怒りに変わった。

「なんてことするの!!」

 乃愛を睨みつける。

 乃愛は一瞬泣きそうな顔になったが、すぐにプイッと顔を逸らした。

「乃愛、悪くないもん……お姉ちゃんが……悪いんだもん……」

 限界だった。乃愛の世話ばかりで友達とは遊べないし、成績も落ちているから先生からもいろいろ言われている。その上おもちゃを壊されて、ママとの思い出も壊されて、それでも謝らない乃愛。希美だってまだ十一歳の子どもだ。いくらお姉ちゃんでも、相手が幼稚園児でも、我慢できないこともある。

「……いっつもいっつもワガママ言って、お姉ちゃんを困らせて……もうイヤ! もう耐えられない!!」

 そっぽを向いていた乃愛が、怯えた顔して希美を見た。もちろん、そんなことで気はすまない。

「乃愛みたいな悪い子はもう知らない!! どこへでも行っちゃえ!!」

 そう言い捨て、今度は希美がプイッと横を向き、乃愛を放って楓たちの元へ走っていった。

「みんな! あたしも混ぜてよ!」

 気を取り直し、笑顔で言う。

「あ、希美ちゃんだ。なんか、遊ぶの久しぶりだね」

 みんなそう言って、優しく迎えてくれた。

 ただ、歩希だけが、公園の入口のところにいる乃愛に気づき、「乃愛ちゃん、いいのか?」と、少し心配するような声で訊いた。

「うん。ここからなら、一人で帰れるって言ってたから」

 希美は、そうウソをついた。歩希は「ふうん」と言って、それ以上は何も言わなかった。

 希美は優子からゲーム機を借り、やり方を教えてもらいながらみんなと遊ぶ。乃愛はしばらく公園の入口でこっちを見ていたが、いつの間にかいなくなっていた。

 ──大丈夫だよ。ここから家までは近いし、あたしが乃愛くらいの頃は一人で帰れてたもん。大丈夫、大丈夫。

 少し心配になったが、希美は自分にそう言い聞かせ、久しぶりにみんなと遊ぶのを楽しんだ。

 楽しい時間はあっという間に過ぎ、夕方五時になった。まだ明るい時間で、みんないつも六時過ぎまでは遊んでいるそうだが、希美は早めに帰ることにした。

「あたし、そろそろ帰らなきゃ。みんなありがとうね」

 借りていたゲーム機を優子に返し、みんなにもそう言った。洗濯物の取り込みや夕ご飯の支度をしないといけないし、乃愛も家で一人寂しくしているかもしれない。決して長い時間ではないが、久しぶりにみんなと遊んで、気持ちはかなり楽になっていた。

「そっか。じゃあ、俺も帰ろうかな」

 歩希もそう言ってくれた。「え? まだ遊んでればいいのに」と、希美が言っても、「いいからいいから」と言う。希美に合わせてくれたのだろうか? なんだかそれが嬉しくて、希美はニコニコしながら歩希と二人並んで帰った。

 玄関前で歩希と別れ、家に入ろうとする。ドアノブを回したが、鍵がかかっていて開かなかった。

 ──あ、そうか。乃愛に、中から鍵をかけるように言ったんだった。

 鍵は乃愛に渡したので、中に入るには開けてもらわなければならない。希美はインターフォンを押した。しかし、反応は無い。まあ、乃愛の身長ではインターフォンの受話器まで届かないから当然だった。

「乃愛? お姉ちゃん鍵持ってないから、開けてくれる?」

 インターフォンを鳴らしながら、ドア越しに声をかける。しばらく待ったが、返事も何も無かった。

 この時間なら、乃愛はリビングで子ども向けのアニメを見ているだろう。そのままソファーで眠ってしまったのかもしれない。希美は庭へ入り、リビングの前に回った。

 リビングの窓にも鍵はかけられてあり、カーテンも閉まっている。しかし、わずかに隙間があったので、そこから覗いて中の様子を伺った。

 テレビは消えていた。ソファーの上に乃愛の姿は無い。電気も点いていない。ここから見る限り、人の気配はまるで無かった。

 ──え? ウソでしょ?

 ここで、希美はようやく気がついた。乃愛は帰っていないのではないか、ということに。

 希美はもう一度玄関に戻り、インターフォンを鳴らした。何度も何度も押して、さらにドアも強く叩き、ノブを捻る。

「乃愛!? いないの!? いたら返事をして! 鍵を開けて! 乃愛! ねえ乃愛!!」

 どんなに呼びかけても、家の中からはなんの反応も無かった。

 希美の声が聞こえたのだろう。隣の歩希が玄関から出てきて、「どうした?」と、声をかけてくれた。

「乃愛が返事をしないの! もしかしたら、帰ってないのかも……」

 そう言うと、歩希は「ちょっと待って」と言って家の中に戻り、すぐに母親と一緒に出てきた。歩希の家とは家族ぐるみで付き合いがあり、希美たちの母が亡くなって以降は、何かとお世話になっているので、父が家の予備の鍵を渡していたのだ。それを使って、玄関を開けてくれる。

 乃愛の靴は──無い。

 念のため家に上がり、リビングや乃愛の部屋、その他、家中全て探したが、やはりどこにも乃愛の姿は無かった。幼稚園のカバンも無い。

 つまり──乃愛は家に帰っていない。

「……どうしよう歩希くん……乃愛……帰ってない……どうしよう……どうしよう!」

 混乱する希美に、歩希は「落ち着け」と言って、両肩に手を置いた。「迷子になってるのかもしれない。とりあえず探そう」

 公園から家までの道はそう複雑ではないが、方向音痴の乃愛のことだ。その可能性も充分ある。希美は頷くと、家を出て、まず公園まで戻ってみた。

「ええ! 乃愛ちゃんが!?」

 公園にはまだ楓や優子たちが残っていた。事情を話すと、みんなも手分けして探してくれることになった。

「乃愛! どこにいるの!? いたら返事をして! 乃愛! 乃愛!!」

 大声で呼びかけながら、乃愛を探す。時刻は五時三十分を過ぎていた。あと一時間もすれば日が沈む。希美は、暗闇の中一人で泣いている乃愛の姿を想像し、自分も泣きそうになった。いや、それならまだいい方かもしれない。もし、変な人に連れ去れてたりしていたら……。

「いやぁ! 乃愛! お願い出てきて! お姉ちゃんもう怒ってないから! 乃愛! 乃愛!!」

 希美は半分パニックになりながら探す。叫びながら、町中を走り回って、また叫んで、走って、それでも見つけられない。

 ──あたしのせいだ。ママとの約束を破ったから。あたしが、乃愛のことを放っておいたりしたから!

 あのとき乃愛を突き放してしまったことへの激しい後悔が押し寄せる。それが涙に変わり、溢れ出た。泣きながらも、希美は探す。探して、叫んで、泣いて、また探して……そうして、六時を過ぎて、また公園に戻って来た所で。

「──あ! 希美ちゃん!!」

 反対側から、楓と汐音が自転車に乗ってやって来た。

「乃愛ちゃんいたって! 歩希くんが見つけたみたい!!」

 それを聞いて、希美は力が抜け、その場にへたり込みそうになった。

「蛭子神社の近く! 早く行ってあげて!!」

 そう言って、自転車を渡された。希美は「ありがとう!」と礼を言い、自転車にまたがって蛭子神社の方へ向かった。

 自転車で五分ほど走り、蛭子神社の少し手間くらいに、歩希や裕太たちに連れられ、うつむいて歩く乃愛がいた。

「乃愛!!」

 自転車を道路わきに立てると、希美は乃愛の前にしゃがみ、両腕を掴んだ。

「どこ行ってたの!! みんな心配したんだからね!!」

 乃愛の顔には泥がついていた。他にも、服や靴、幼稚園のカバンにも、同じように泥が付いている。頭には木の葉や枝もくっついている。森の中で転んだかのような姿だ。

 乃愛は両手の拳をぎゅっと握りしめ、ふてくされたように表情をこわばらせ、何も言わず、希美から目を逸らすようにうつむいている。

「黙ってたら判らないでしょう! 何か言いなさい!!」

 希美が乃愛の両腕を揺すっても、乃愛はうつむいたまま、口を真一文字に結んで、何も言わなかった。

 希美は歩希を見た。「歩希くん、乃愛、どこにいたの?」

「蛭子神社の、社殿の裏。そこの細い道から出て来たのを、見つけたんだ」

「────」

 希美は言葉を失い、もう一度乃愛の顔を見る。

 蛭子神社の社殿の裏には、ご神木がある広場へ通じる道がある。以前、希美と乃愛が、母と一緒に枝を拾ってお守りを作った、あの広場だ。

 はっとした。乃愛がいま一人でご神木の広場まで行ったのだとしたら、その理由はひとつしか考えられない。

「もしかして……枝を拾いに行ったの……?」

 そう訊くと、乃愛はわずかに──本当に少しだけ、頷いた。

 蛭子神社は希美たちの遊び場のひとつだが、基本的には自転車で行くことが多い。乃愛の足で向かうには、かなり遠いだろう。公園から神社まで、自転車で五分──いや、直接向かったとは考えにくいから、一旦家まで帰り、家から神社に向かったのだろう。これはかなり遠回りになり、希美の足でも三十分ほどかかる。そこから境内を上がり、社殿の裏へ回る。蛭子神社は、平日は人が少なく、まして社殿の裏はお祭りの日でも誰もいないほどだ。その上薄暗く、気味が悪い場所だ。希美は怖くないが、以前の乃愛は、怖がってママに抱きついていた。

 それなのに。

 あれから、まだ二年しか経っていない。同い年の他の子よりも怖がりで、甘えん坊で、まだ夜中に一人でトイレにも行けないような子が。この小さな体で、この小さな足で、この小さな目で、この小さな手で。

 一人で、枝を拾いに行ったのか。

「なんで……そんな……なんで一人で行ったりしたの……?」

 希美は聞いた。声は柔らかくなっていた。怒るような気持ちは、もう消えていた。

 すると。

「……乃愛が……悪い子だから……」

 乃愛は、消え入るような小さな声で言う。

「悪い子だなんて……もしかして、お姉ちゃんがそう言ったから……?」

 希美が言うと、乃愛は首を横に振った。

 そして、続ける。

「……乃愛はいつもワガママ言って、悪い子で……お姉ちゃんのお守り、乃愛のせいで壊れちゃったから。乃愛、ママとの約束、守れてなくて、いっつもワガママ言って、お姉ちゃんを困らせて……」

 希美は、母の葬儀の日、お別れの時間に、母が棺から起き上がり、乃愛とも約束を交わしていたことを思い出した。


「乃愛。ワガママ言って、お姉ちゃんを困らせちゃダメよ?」


 そう言った母に、涙をいっぱい溜めた目で、しかし、泣いたりすることは無く、素直に頷いた乃愛の姿を、希美は思い出した。

「──だから、乃愛、枝を拾いに行ったの」

 乃愛は、ぎゅっと握りしめていた右手の拳を、開いた。

 小さな手のひらの上には、枝が乗っていた。

 しかし、よほど強く握っていたのだろう──枝は、真ん中でふたつに折れていた。

「────」

 折れた枝を見つめ、ふてくされたような表情の乃愛の顔が、崩れた。目には、みるみる涙が溜まってくる。

「……枝を拾ってくれば、お姉ちゃんは喜んでくれて……乃愛のこと許してくれるって、思ったの……」

 乃愛の言うことに、希美は「うん……うん……」と頷く。希美の目にも、涙が溜まっていく。

「……それで、乃愛はワガママを言わないイイ子になって……ママも喜んでくれて、だから……枝……拾って……」

 乃愛の目に溜まった涙が溢れ出すと同時に、希美の目からも、同じく涙がこぼれ落ちる。

「……ごめんなさい……」

 消え入るような小さな声だったが……それでもハッキリと、乃愛は言った。

 希美は、乃愛を抱きしめた。

「……大丈夫……大丈夫よ。お姉ちゃんもう怒ってないし、乃愛はいい子よ……」

 希美も泣きながら、耳元で囁くように言う。

「……ごめんなさい……ごめんなさい……」

 乃愛はごめんなさいを繰り返す。希美も、「お姉ちゃんこそ、ごめんね。いっつも怒って、乃愛を悲しませて、ダメなお姉ちゃんだったね。ごめんね、本当にごめん」と、謝る。二人で謝って、泣いて、謝って……。

 そして。

 涙を拭いて、最後に二人で、一緒に笑った。



「──じゃあ、帰ろうか!」

 たくさん泣いて、たくさん笑った後、希美は乃愛に言った。

「うん!」

 乃愛は、涙の痕が残る顔に満面の笑みを浮かべる。

 歩希たちは、楓に借りた自転車を返すため、先に帰った。希美と乃愛、二人で手を繋ぎ──決して離さないよう強く握って──家へ向かう。乃愛が拾った枝は折れてしまったが、これを二人で分けてお守りにしよう──そう思っていた。

 帰り道の空を見る。陽が落ちかけた空は、黒い絵の具を水に溶かしたみたいに、色が失われている。

 その中に、きらりと輝く星がふたつ浮かんでいた。一番星と、二番星。

「あの星、まるでお姉ちゃんと乃愛みたいだね!」

 乃愛の言葉に、「そうだね!」と答える。

 乃愛が歌をうたい始めた。今日、幼稚園のみんなで歌ったという、あんぱんを模したヒーローが活躍する、子ども向けアニメの歌。

 希美も一緒に歌う。繋いだ手を大きく振りながら、あの星まで届くくらいの、大きな声で。

 二人の歌声は、夜を迎えた空に響き渡る。

 すると、空気の関係だろうか、帰り道の先に浮かんでいるふたつの星は、一瞬だけ、ひときわ強く輝いた。

 明日もきっといい天気だよね──希美はそう確信して、家へ続く道を、乃愛と二人で歩いて行った。




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