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【短編ホラー集】怪忌32.トロコンゲーム/E地方・伊吹市で発生した33の怪忌とその結末

E地方・伊吹市で発生した33の怪忌とその結末


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32.トロコンゲーム

 その謎のメッセージは、卒業論文の提出も無事終わり、しかしまだ口頭試問という名の公開処刑が控えている一月末の日曜の朝、突然希美のスマホに届いた。


【トロコンゲーム開始のおしらせ。

 おめでとうございます! あなたは当社が主催する『トロコンゲーム』への参加が認められました!
 これから毎週日曜朝8時、あなた宛てに簡単なミッションが届きます。
 それをクリアすれば、トロフィーを1つ獲得。
 全てのミッションをクリアしてトロフィーをコンプリートする『トロコン』を達成すれば、ご褒美として、あなたにとってかけがえのない大切なものを得ることができます!

 ただし、ひとつでもトロフィーを獲得できなかった場合、あなたは大切なものを失います。
 それではトロコンを目指して頑張ってください!】


 メッセージを開いた瞬間、冷めた目をする希美。ちょっと変わっているが、よくある詐欺メールのひとつだろう。春節の時期はなぜか詐欺メールが激減するという話を聞いたことがあるが、今まさにその時期なのに、随分働き者の詐欺師もいたものだ。いや働くな。と、一人でツッコミを入れているうちに、ピコーン、と通知音が鳴って、次のメッセージが届いた。

【トロフィー獲得条件1 志摩朱理に1週間毎日お弁当をつくる。
 あなたの親友である志摩朱理さんに、月曜から土曜まで毎日お弁当をつくって持っていってください。

※必ず手作りのおかずを1品以上入れること。全て出来合いのもの(冷凍食品・惣菜など)は認められません
※相手が受け取りさえすれば、食べる・食べないはミッションに影響しません。

『トロコンゲーム』ルール確認
・ミッションを達成すると、トロフィーを1つ獲得。
・全てのミッションを達成すればトロコン。かけがえのない大切なものを得る。
・ミッション未達の場合はトロフィーを獲得できず、大切なものを失う。
●このメールへの返信は受け付けできません】


 え? と、目を見開いた。詐欺メールは不特定多数の人間に送られるはずだが、このメッセージには朱理の名前が記されている。親友かどうかという問題はあるが、それはさておき相手はこちらの個人情報を把握しているということになる。

 つまり、不特定多数ではなく希美個人を狙っての詐欺メールである可能性が高い。

 あるいは誰かのイタズラだろうか? しかし、いま現在希美の周りにはこういうイタズラをしてきそうな子はいない。大学に友達と呼べるような子はいないし、高校の友達とはもうずっと連絡を取っていない。しいて言えば楓だが、楓と朱理は、何年か前の希美の家での女子会で窓越しに挨拶したくらいだ。接点は薄く、楓のイタズラなら朱理ではなく歩希の名を持ち出しそうだ。

 あと考えられるのは、少し前に大学の学食で絡んで来た朱理の取り巻き連中である。もっとも、この場合は弁当を作らせようという意図が判らない。

「…………」

 まあ、詐欺だろうが誰かのイタズラだろうが、無視するのが一番だろう。卒論の口頭試問を控えたこの時期、なにが悲しくて毎日朱理にお弁当を作らなければいけないのか。希美は送り主をブロックしてメッセージを削除した。

 その日はそれ以上おかしなメッセージが届くことはなく、翌日の月曜も特に何事もなかったので、希美はそのメールのことはすっかり忘れてしまった。

 だが、さらに翌日の、火曜の朝。

 ピコーン、とスマホの通知音が鳴り、希美は目を覚ました。こんな朝早くに何? と、スマホを見ると。


【トロフィー獲得条件1 未達。
 残念ながらミッション達成とはなりませんでした。あなたは大切なものをひとつ失います。】


 あれ? と、ねぼけ眼だったのが一気に目が覚めた。ブロックしたはずなのに、なぜまだメッセージが届くのだろう? 発信番号を変えたのだろうか? だとしたらしつこい相手だ。

 まあ、なんにしてもタチの悪い詐欺あるいはイタズラだ。ここで返信したりすると相手の思うつぼだろう。無視して淡々とブロックするのが一番だ。希美はまた相手をブロックすると、メッセージを削除した。

 変なメッセージのせいで目が冴えてしまった希美。卒論を提出し、就職先も決まり、単位も足りているこの時期、大学に行く必要はあまりない。今日の用事は夕方からのバイトだけだ。まあ、せっかく目が冴えたから、口頭試問の準備でもするか、と、起きることにした。

 そのまま口頭試問の準備をしたり、スマホを見たりテレビを見たりして、部屋でダラダラ過ごしていたら、お昼過ぎ、とんでもないことが起こった。

 プルル、とスマホが震えた。え? またあのメッセージ? と、一瞬思ったが、それはメッセージではなく電話の着信だった。画面を確認すると、去年の秋に希美が内定をもらった就職先からだった。うおぉ、と、特に必要もないのに希美は姿勢を正してボサボサだった髪をささっと整え、一度咳払いをしてから電話に出た。

「はい、巌刈です」

《お世話になっております。株式会社・伊吹ライフメモリアル、採用担当の蓮池はすいけです。巌刈様、大変申し上げにくいのですが、先日巌刈様に差し上げた内定の通知なのですが、今回私どもで再度検討した結果、誠に遺憾ながら巌刈様の内定を取り消すこととなりました》

 一瞬、なにを言っているのか理解できなかった。この採用担当の方とは面接や電話などで何度も話をしている。物腰が柔らかな男性で親しみやすかったのだが、急に冷たい印象を受けた。それもそのはず。徐々に相手の言っていることを理解した希美は。

「はあああああああぁぁぁぁぁぁぁぁ!?」

 と、就職先の相手に対する声ではないレベルで叫んでしまった。そして、それを詫びることも忘れて、「なんで? いやなぜですか? 理由を教えてください!」と、スマホを両手で掴んで訊いた。

《大変申し訳ございませんが、弊社内定通知書、及び入社承諾書記載の取消事由に基づくもの、としか申し上げられません。それ以外の決定の経緯や詳細な理由につきましては、守秘義務、及び社内規定により、一切お答えいたしかねます。なにとぞご了承ください》

 いやご了承できんわ! と言おうとする前に、相手は、《では、巌刈様の今後のご健勝をお祈り申し上げます》という、内定をもらう前に他の会社からのメールで何度も見てきた最後の一文を耳で直接聞かされ、電話は一方的に切れた。

 通話が切れたスマホを見つめる希美。いったい何の冗談だ。もちろん企業が冗談でこんなこと言うはずもないが、冗談であってほしいと願わずにいられない。

 ……いや、現実を見よう。内定は取り消された。その理由は不明。これほど理不尽なことは無い。恐らく、裁判なりなんなりで争えば、内定取り消しの撤回、理由の開示などを求めることはできるだろう。

 しかし、一介の学生でしかない希美に企業を相手に裁判を起こすのはハードルが高いと言わざるを得ない。費用はかかるし、恐らく時間もかかる。そして、仮にその高いハードルを乗り越えて内定取り消しを撤回できたとしても、そんなごたごたの後どんな気持ちでその会社に入社すればよいのか。そんな会社のために身を粉にして働く気にはなれないし、会社からも「面倒な社員」というレッテルを貼られて、ずっと窓際に置かれる可能性もある。

 なら、いっそ受け入れて、新たな就職先を探すか。二月も間近に迫ったこの時期からまた就活? ありえない。また一からエントリーシートや履歴書を書いて送り、何度も面接を繰り返すあの日々が戻ってくるなんて、考えただけでゾッとする。もちろん、今から再度就活をして四月までにもう一度内定をもらえる自信なんてまるで無い。そもそもこの時期ほとんどの企業は新卒採用枠を閉じているのではないだろうか? 残っているのは極端に離職率が高い企業、すなわちブラック企業である可能性が高い。

 また、『内定取り消しになった』という事実も重くのしかかるだろう。面接の際、「なぜ内定取り消しになったのですか?」と質問されたら、なんて答えたらよいのか。というかまるで心当たりがないのだからそう答えるしかないが、相手はあれこれと疑うだろう。不祥事や犯罪などがあったのでは? などと思われでもしたら、採用などされるはずがない。

 ──ああ、これが世に言う『どうあがいても、絶望』という状態か。

 その日の希美はもはや口頭試問の準備などする気になれず、いっそ浪人しようかとさえ思ってしまい、バイトも休んで無気力のまま過ごした。

 翌日も、その翌日もさらにその翌日も……と、何日も繰り返した後の、日曜の朝。

 ピコーン、と、スマホの通知音が鳴った。布団の中にいた希美はもそもそと動いてスマホを確認し、そして、布団を跳ね上げる勢いで飛び起きた。


【再送:トロフィー獲得条件1 志摩朱理に毎日お弁当をつくる。

 あなたの親友である志摩朱理さんに、月曜から土曜まで毎日お弁当をつくって持っていってください。

※前回未達のミッションへの再チャレンジとなります。達成してトロフィーを獲得すれば失った大切なものは取り戻せますが、再度未達になるとさらにもうひとつ大切なものを失います。
※必ず手作りのおかずを1品以上……】


 だから親友じゃないわ! と、まずツッコまずにはいられなかったが、それはひとまず置いといて、何より希美の目を引いたのは、【達成してトロフィーを獲得すれば失った大切なものは取り戻せます】という一文だった。

 ──え? ひょっとして、先週内定が取り消されたのって、これが原因?

 内定が取り消された理由は、今も判っていない(というか、この一週間は何もする気力が無かったので、ずっと家でゴロゴロしていた)。普通に考えればこんな時期に内定を取り消すなど企業側もリスクが高いのでよほどの理由が必要だ。希美が犯罪レベルの不祥事を起こしたか、企業の業績が著しく悪化したかだろう。当然、希美側に覚えはない。企業の方は水面下のことまでは判らないが、表立ってそんな話はない。

 にもかかわらず、今回あまりにも理不尽に告げられた内定取り消し。この『トロコンゲーム』のミッション失敗が原因なのだろうか……現実的に考えてあり得ない話だが、希美はこれまで、そんな『現実的に考えてあり得ない』出来事に、何度も遭遇している。

「…………」

 希美はそのままベッドを下りてパソコンを起動すると、お弁当のレシピを検索した。朱理にお弁当を作るなど希美にとっては自分の身を削ってハンバーグを作るような思いだが、今から裁判をしたり就活を再開するよりははるかにマシだろう。それは天から垂らされた細い蜘蛛の糸のようなものかもしれないが、今はこれにすがるしかない。

 その後、レシピを決めた希美は、まずはスーパーに出かけて材料を買い、慣れない手料理に悪戦苦闘しながらもなんとか夜までにはお弁当を完成させることができた。

 翌日、月曜の朝。

 早めに起きて大学に向かった希美は、朱理が通う学部の門の前で待つ。この時期四年生はもうほとんど大学に来ることは無いのだが、朱理は卒論の作成やサークルの活動のため、今もほとんど毎日通っているらしい。就職先ももちろん決まっている。希美と違い、さぞかしバラ色の学園生活を送っていたのだろう。

 しばらく待っていると、門から少し離れたところに車が止まった。希美はさほど気にしてはいなかったのだが、後部座席から朱理が降りてきたので、あれ? と思った。朱理は、大学には主にバスで通っている。たまに歩希の車で送ってもらうこともあるが、その車は歩希のものではなかったのだ。これはひょっとして、別の男か? すなわち朱理の浮気。ならその証拠を掴んでやろう、と、希美は門の陰に身を隠し、スマホを構えて様子を伺う。すると、運転席の窓が開き、そこから予想だにしなかった人たち・・・が顔を出した。なんと、裕太と楓だった。

「ありがとう、裕太くん、楓ちゃん。また今度誘ってね? 今度は汐音ちゃんも一緒に行けたらいいね」

「うん、そだね。今度誘ってみるよ。じゃ、朱理ちゃん、ばいばーい」

「またねー」

 三人は手を振りながら別れ、車は窓を閉じて走り去っていった。

「──あれ? 希美? なにしてんの?」

 あまりに予想外な光景に、門の陰から顔とスマホだけ出して呆然としていた希美は、朱理に声をかけられて我に返った。

「え? あ、えっと、いや、その……」希美はスマホをしまうと、一度咳払いをし、門の陰から出た。「あたしのことより、なんで朱理が、裕太と楓の車から降りてくるの?」

「ああ。あれね。土日を利用して、三人で県外の心霊スポットめぐりをしてきたの。牛鬼の角が保管されてるお寺とか、入口に置かれてるお地蔵様が時々笑っているトンネルとか。それで、いま帰って来た所なんだよ」

「へ……へぇ、そうなんだ。いつの間に、そんな仲良くなったの?」

「えっと、二年前だっけ? ほら、希美の実家で楓ちゃんと汐音ちゃんが女子会してたでしょ? あの後連絡先交換して、いろいろ話してたらすっかり意気投合しちゃって。最近は、特によく会ってるの。あれ? 楓ちゃんから聞いてなかったんだ」

「あ、うん。そうだね。そう言えば、最近連絡取ってないや。卒論とか、就活とか、いろいろ忙しくて。あはは」

 希美は苦笑いでごまかす。確かに朱理と楓はどちらもオカルトマニアで、心霊スポットめぐりが趣味という共通点がある。接点さえ持てば仲良くなるのも必然と言えた。しかも、さっきの別れ際の会話からすると、汐音とも仲良くなっていそうな気配もある。希美はもう二年近く楓とも汐音とも連絡を取っていないというのに。

「それで、今日はどうしたの、こんなところで。歩希なら、今日は午後から来ると思うけど」

 朱理に言われ、希美はここに来た目的を思い出した。ちなみに朱理とは学部が違うので、希美が普段ここに来ることは無い。

「あ、ううん。今日は朱理に用事があって」そう言って、希美はカバンからお弁当を取り出した。「これ、お弁当なんだけど、ちょっと作り過ぎちゃって。良かったら食べてくれない?」

 朱理は目を丸くして驚いた後、戸惑ったように笑った。「え? なに? その少女マンガみたいな展開。きゅんきゅんするんだけど」

「あはは、そうだね。まあ、とにかく食べてくれると嬉しいな」

「まあいいけど。ありがとう」

 朱理はどうにかお弁当を受け取ってくれた。希美もお礼を言い、「お弁当箱は、また後で取りに来るから。じゃあね」とお互い手を振って別れた。

 朱理の姿が見えなくなって、希美はがっくりとうなだれた。キツイ……キツすぎる。これを土曜まで続けなければならないとは……気が重いにもほどがある。しかし、内定を取り戻すためには、やるしかない。

 そして、お昼過ぎ。学食で朱理を見つけた希美は、お弁当箱を返してもらう。中身は空になっており、ちゃんと食べてくれたようだ。そして、「ごちそうさま、美味しかったよ」と、あのとびっきりの笑顔で言われ、希美はこれまでの遺恨も忘れてときめきそうになった。いかんいかん、こうやって周りの人間は彼女の魔の手に囚われていくんだ、と思い直す。それでも、ガンバって作ったお弁当を「美味しい」と言って完食してもらえるのは嬉しく、「明日は何を作ろうかなぁ」などと考えながら、その日は足取りも軽く家まで帰った。

 その夜もお弁当を準備し、翌朝仕上げてカバンに詰めた希美は、また門の前で朱理を待つ。そして、バス停に降りて来た朱理を見つけ、急いで駆け寄った。

「おはよ、朱理」

「え? おはよ、希美。どうしたの? 今日も待ち伏せなんて」

 戸惑いの表情の朱理に、希美はお弁当を差し出した。

「これ、昨日、『美味しい』って言ってもらえたから、また作って来ちゃった。良かったら食べて?」

 ホントに少女マンガみたいだな、と思いつつ、朱理の反応を伺う。

「ええ? あたしのために作ってくれたの? 嬉しい! とっても美味しそうだね。でも、希美のその優しさが、最高の調味料だよ♪」

 ……などと、乙女ゲームの攻略対象のような反応は無かった。

「……え? なに、昨日から。どういう魂胆……?」

 朱理は戸惑った表情で言った。まあそうだろうな、と、希美も一気に冷静になる。昨日の「美味しかった」は、社交辞令だったのだろう。

 とは言え、受け取ってもらわないとまたミッション未達になってしまうので、希美は「ヤダなあ。魂胆なんて無いよ。とにかく、食べてくれると嬉しいな。はい」と言って、どうにか受け取ってもらった。

 その日も昼過ぎに朱理に会ってお弁当箱を返してもらう。中は空だったが、ホントに朱理が食べたのかは疑わしいところだ。まあ、ミッションの成否に朱理が食べたか食べなかったかは関係ないようなので、どっちでもいいか、と思い直し、次の日も、めげずにお弁当を作って持っていく。三日連続ともなると、朱理は戸惑うどころかあからさまに迷惑そうな顔をしていたが、半ば押し付ける形でどうにか受け取ってもらった。

 さらに翌日の木曜。

 この日も希美はお弁当を持って朝から門の前で待っていたが、バスが来ても朱理は降りてこなかった。まさか、今日は来ないのだろうか? いや、朝一から来るとは限らない。希美はそのまま待ち続ける。しかし、お昼前になっても朱理は現れなかった。今日大学に来ないのなら自宅まで押し掛けて行くしかないが、もしかしたらすでに大学内にいるのかもしれない。希美はとりあえず、学内の朱理がいそうな場所を探してみることにした。すると、学食で例の朱理の取り巻き連中AとBを見つけた。あまり話しかけたくはないが、背に腹は代えられず、朱理がどこにいるのか尋ねようとしたら。

「──ところで、朱理はどこ行ったの?」

 取り巻きAがそう言ったので、希美は話しかけるのをやめて自販機の陰に隠れ、聞き耳を立てた。

「川北くんと、外に行ったみたいだよ」Bが答える。川北くんとは歩希のことだ。「なんか、最近高校の友達がお弁当作って持ってくるんだって。正直迷惑なんだけど断るのも申し訳なくて、逃げてるそうだよ」

「えー? なにそれキモーイ。男? 男だったら、ますますキモイんだけど」

「ううん、女。ほら、例の、巌刈って子」

「ああ、あの、いっつも一人でいる地味な子ね。なに? いまさら朱理の人気にあやかろうと近づいて来てるってわけ? それで手作り弁当だなんて、やっぱりキモイわー」

 こっちだって好きで作ってるわけじゃないわ! ていうか朱理の人気にあやかろうとしてるのはお前らだろ! という言葉はどうにか飲み込み、とりあえず朱理は外に行ったという情報は得たので、学食を出て外へ向かう。大学近くで朱理が好きそうなカフェや歩希が好きそうな定食屋などを探して回り、大盛りで人気のラーメン屋から出て来た所をどうにか捕まえた。

「ゴメンね……朱理……歩希も久しぶり……これ……お弁当……」

 走り回って乱れた息を整えながらお弁当を差し出す。

「……えっと……ひょっとして、これ渡すためにわざわざ探してくれたの……?」

 朱理は迷惑を通り越してかなり引き気味な表情で言った。そして、一度歩希と顔を見合わせた後で、さらに続ける。

「ごめんね、希美。あたし、実は最近ダイエットしてて、あんまり食べないようにしてるの。だから、無理して作らなくても大丈夫だよ?」

 ダイエットしてるヤツが大盛りラーメンの店に入るか! とは言えず、希美は気持ちを抑えて言う。

「朱理の気持ちはわかる。よーくわかるよ。でも、実はこっちにもやむにやまれぬ事情があるの。食べなくてもいいから、とりあえず受け取って。はい」

 無理矢理渡して、後は反応も見ずに走り去る。朱理やその取り巻き連中にどう言われようと構わないが、もし歩希に「迷惑がってるんだからやめろよ」なんて言われたら、立ち直れないかもしれない。

 その後、返してもらったお弁当箱の中身には一切手を付けられていなかったが、まあお昼を食べた後に渡したんだから仕方がない、と自分に言い聞かせ、お弁当は持ち帰って自分の夕食にした。

 それでもめげず、これも内定を取り返すため、と自分に言い聞かせ、翌日の金曜、さらに翌日の土曜と、逃げ回る朱理を追いかけ、捕まえてもどうにかして断ろうとする朱理に無理矢理押し付け、土曜には取り巻き連中から「朱理は迷惑がってるのに毎日持ってきてなんの嫌がらせだよ!」などと言われても我慢し、そして全く手を付けられていないお弁当を返してもらった。

 そんなこんながあっての、土曜の夜。

 ピコーン、とスマホに通知があり、例のトロコンゲームからメッセージが届いた。


【トロフィー獲得条件1 達成。
 おめでとうございます! あなたは1つ目のトロフィーを獲得しました!
 ミッション再送なので、前回の未達時に失った大切なものは取り戻せます。】


 そして、さらにその直後。プルプル、とスマホが震え、前回内定を取り消された伊吹ライフメモリアルの蓮池から電話がかかってきた。きた来たキター! とはやる気持ちを押さえ、「はい、巌刈です」と、ネコをかぶった声で電話に出た。

《良かった。もう出てもらえないかと思いました。いえ、失礼しました。こちら、伊吹ライフメモリアルの蓮池です。巌刈様、先日は内定取り消しのご連絡を差し上げ、大変失礼をいたしました。実は、あの後当社の方で再度確認をしたところ、内定取り消しはこちらの手違いである事が判明いたしました》

 蓮池の話によると、内定取り消しとなった理由は、ネットのSNS上にアップされた、希美が書いたと思われる友人への悪口だった。数ヶ月前、希美の操作ミスからNOTOというサイトにアップされたやつだ。ああいうものを書くような人間は、入社後ネットで炎上して会社の評価を下げるような事件を起こしかねない。そんな判断をされ、社内会議で内定を取り消すべきとの意見が上がったのだという。その段階ではあくまでも「そういう意見が上がった」というだけで、決定ではなかったのだ。

 しかし、なんらかの行き違いにより、それが採用担当に決定事項として伝わり、蓮池が連絡をしてしまったそうだ。その後の調査でその悪口は希美本人が投稿した可能性は極めて低いという結論になったが、すでに内定取り消しの連絡をしてしまったことが判明。慌てて連絡したのだという。

《巌刈様には大変理不尽なご連絡でご不快な思いをされたと思いますが、どうかご容赦いただき、改めて当社に勤めて頂きたいと思うのですが、いかがでしょうか?》

「いえ! 不快だなんてそんなことはありません。私の無実が判明したのであれば良かったです。こちらこそ、改めてよろしくお願いします!」

 内心、そんなしょーもないミスをして大丈夫かこの会社は、と思う気持ちも無いわけではないが、そこはトロコンゲームを開催している者の謎の力が働いた可能性が高いので仕方ないだろう。

 こうして、内定取り消しは無事撤回され、希美は裁判や就職浪人を避けることができたのだった。

 電話を切ると、ピコーン、と鳴った。


【Continue to NEXT MISSION...】


 トロコンゲームの運営からの短いメッセージだった。Continue to NEXT MISSION...次のミッションに進み、続けなさい……。つまり、明日の日曜の朝、また新しいミッションが届くのだろう。トロコンというからにはトロフィーをいくつも獲得しなければならないわけだから仕方ないが、今回みたいなのが毎週続くのか……希美は重い気持ちのまま、朱理が手を付けなかったお弁当を食べた。

 ──しかし、むなしいな、これは。

 独り部屋でお弁当を食べる希美は、どうにもやるせない気持ちになっていた。誰かのために作ったお弁当が受け取ってもらえず、無理矢理渡しても食べてもらえず、逆に文句さえ言われても耐え、持ち帰って自分で食べる。朱理との関係を考えると相手の気持ちもよく判るので仕方ないことではあるが、せっかく作ったんだからやっぱり食べてもらいたかったな、という気持ちも強かった。

「…………」

 希美はお弁当を完食し、手を合わせて「ごちそうさまでした」と、心から言った。



 翌日の朝も、トロコンゲームからメッセージが届いた。

 この週のミッションは【一週間のバイト代を全て使って父にプレゼントを贈る】だった。なんで汗水たらして稼いだお金でそんなことをせにゃあならんのだ、と思ったが、もちろん逆らうことはせず、翌日月曜から金曜までのバイト代約二万円を持ち、土曜日にショッピングモールに買い物に出かけた。

 ──さて、なにを買おうかな。

 フロアを歩く希美。子どもの頃には父の日や誕生日には毎回プレゼントをしていたが、中学生になった頃からは一度もしていない。父のために二万円も使うのは初めてだ。

 何を買おうかと迷っていると、特設コーナにて、『E地方地酒祭り』というのをやっていた。特にこれといったプレゼントのアテはないのでこういうのでもいいかな、と思いながら見ていると、店員さんに声をかけられた。事情を話すと、オススメされたのが、『秘蔵純米大吟醸・粉雪の水泡』という日本酒だった。なんと四合瓶720mlで二万千円。お酒の味が判らない希美にはあり得ない値段だった。しかし、店員さんから「千年に一度しか作れない、まさに一期一会の幻の酒ですよ!」などと説明されるうちに、「これなら喜んでくれるかも」という気分になり、思い切って買ってしまった。

 そして、そのお酒を持ち、夕食前の時間帯に自宅を訪ねる。

「あれ? お姉ちゃん帰って来たの? 珍しいね」

 妹の乃愛が、どこか嬉しそうに言う。希美は「いいでしょ別に」と適当に返事をした後、リビングでテレビを見ながらくつろいでいた父に、プレゼントを渡した。父は「どうしたんだ? 急に」と、戸惑ったような顔をしていたが、そこはやはり愛娘からのプレゼント。かなり嬉しそうではあった。

「せっかく希美が帰って来たんだから、寿司でもとるか」

 父は機嫌良さそうな口調でそう言った。希美も、まあたまにはいいか、と、その日は実家で食べて帰ることにした。

 しかし、そこで悲劇が起こった。

 注文したお寿司が届き、みんなそろってリビングで食べ始めると、娘からの久しぶりのプレゼントにご機嫌の父は、希美のお酒を飲むなり「お? 美味いな」と言って、がぶがぶと飲み始めたのだ。

 ──いや二万もしたんだからもっとありがたく飲め!

 ……とも言えず、千年に一度しか作れない一期一会の幻の酒『秘蔵純米大吟醸・粉雪の水泡』は、その名にたがわず、わずか五分ほどの短い時間で父の胃の中に消えてしまったのだ。

 さらに父は。

「なかなかうまい酒だったが、やっぱり父さんはビールが一番だな」

 そう言うと、冷蔵庫からそこらのスーパーで二百円以下で売ってるような発泡酒を取り出し、さっきの日本酒よりも美味しそうな顔で飲んだのだった。

 ピコーンとスマホが鳴った。家族に見られないようにこっそり確認すると、トロコンゲーム運営からのミッション達成の通知だった。一安心したものの、一週間バイトして貯めたお金で買ったお酒を水みたいに飲み干してありがたみも感じてないような父に、どうにもやるせない気持ちになる。

「…………」

 希美は、少しでも失われたお金を回収しようと大トロやウニなどの高めの寿司を選んで食べ、マンションの部屋に帰ったのだった。



 その後も、トロコンゲームは続いた。


 次の週に届いたミッションは、【今日一日妹・乃愛の買い物に付き合う。その際、決して怒ってはいけない】だった。ほぼ同時に、乃愛から【新しいキャンプ道具買いたいから、お姉ちゃん車で迎えに来てよ】というメッセージも届いた。仕方ないので迎えに行き、あっちのアウトドアショップやこっちのホームセンターなど散々連れ回されたあげく「お姉ちゃんこれ買ってよー」と何度もおねだりされ、結局ほとんどの物を希美が買ってあげることになった。なのに、乃愛は最後になって「あんまり良いのが無かったなー。やっぱネットで充分だったよ」などと言い出した。もちろん、腹は立ったがどうにかガマンして別れ、ミッション達成となる。

 さらに次の週のミッションは【今すぐ妹・乃愛に会いに行く】だった。その日は日曜。恐らく乃愛は家にいるだろうから簡単だ、と思って会いに行ってみると、予想に反して乃愛は出かけていた。それも、乃愛が高校で所属しているキャンプ部の活動で、県外のキャンプ場に行っているという。結局希美は車で半日かけて会いに行くハメになった。乃愛には無事に会えたのだが、その際、帰り支度を始めた乃愛に、「ついでだから乗せて帰ってあげようか?」と訊いたが、「別にいいよ。みんなと電車で帰るし」と、冷たく断られ、時間とガソリン代をかけて来たのに二、三分会うだけで終わった。

 その次の週のミッションは【今日から土曜まで毎日20時までに妹・乃愛を家に送り届ける】というものだった。ちなみに二十時というのは、巌刈家での門限の時間である。これはやっかいなミッションになりそうだな、と、希美は思った。以前親から聞いた話では、乃愛は来年大学受験を控えているにもかかわらず、ロクに勉強もせず毎日部活や遊びにかまけているらしい。この時点ですでにイヤな予感しかしない。

 まずは当日の日曜。この日は市内のキャンプ場でデイキャンプをしている乃愛を、夜七時に迎えに行く。帰り道、「デイキャンプだから荷物少ないし、別に来てくれなくてもよかったのに」と感謝すらしない妹に腹が立ちながらも、どうにかガマンして送り届けた。

 翌月曜から金曜までも大きな問題もなく送り届けたのだが、土曜に問題が起こった。

 その日、乃愛は友達の花蓮・七海と三人で郊外の大型ショッピングモールに遊びに出かけていた。事前に夜七時に迎えに行くと約束し、その時間に車で迎えに行ったのだが、約束した時間と場所に乃愛は現れなかった。スマホでメッセージを送っても既読にならず、電話をしても出ない。このままではミッション未達になってしまうので、希美は車を出てショッピングモール内を探すことにした。広大なモール内を駆けずり回って乃愛の姿を探すが、見つからない。

 ──まさかあの子、また迷子になってるんじゃないでしょうね?

 まだ乃愛が幼稚園に通う前、このショッピングモールで乃愛が迷子になり、大騒ぎになったことがある。あのとき大泣きしていた乃愛の姿を、希美は今でもよく覚えていた。

 その後も、小学校の低学年までは何度も迷子になったし、高学年や中学生になると極度の方向音痴であることが露呈し、道に迷ったり電車やバスを乗り間違えたりすることがしょっちゅうだった。

 そんな乃愛だから、高校二年になったからといって安心はできない。そうなると、ミッション云々よりも純粋に妹の身が心配になってくる。相変わらずメッセージや電話に反応は無い。まさか……誘拐……? は、考えすぎかもしれないが、通りすがりのチャラそうな男にナンパされ、ひょこひょこついていってそのままいかがわしい場所に連れ込まれ……なんてことは、充分考えられる。

 ──もう、乃愛! どこにいるの!? 電話出てよ!!

 あちこち駆けずり回り、いよいよ迷子センターに相談しようか、いや警察の方がいいか、と思い始めた頃。

 ──いた!!

 ゲームセンターでようやく乃愛を発見した。希美の心配をよそに、友だちと大型のメダルゲームで遊んでいたのだ。大当たりしたのか大量のメダルを持っていて、乃愛は大はしゃぎしていた。その姿に一旦安堵したものの、すぐに腹が立ってきた。

「ちょっと乃愛! なにしてるの! もう七時過ぎてるでしょ!! 八時までに帰るって約束だよ!!」

 ゲームセンター内の喧騒にも負けない声で言う。乃愛は希美の姿を見て、あからさまに迷惑そうな顔をした。

「だって今いいところなんだからしょうがないじゃん。見てよこれ! こんなにいっぱいメダルが出たの、あたし初めてだよ!」

 言ってるそばからまた大当たりし、大量のメダルが吐き出される。乃愛も友だちもまたまた大はしゃぎだ。希美にしてみれば、どんなにたくさん獲得してもメダルをお金に変えられるわけじゃないので、なにが楽しいのか判らない。

「いいから帰るよ! ほら、早く!」

 無理矢理手を引っ張り、友だちに「ごめんねー!」と言いながらゲーセンから連れ出し、駐車場まで戻って車に押し込んだ。現在七時三十分。急げば実家まで間に合う時間だ。

「ああ、もう、せっかくいいところだったのに。今日土曜なんだから、ちょっとくらい遅くなってもいいじゃん」

 助手席で文句を言う乃愛に対し、希美は「門限は八時でしょう? ちゃんと守りなさい」と注意する。

「お姉ちゃんだって、八時の門限なんて守ってなかったでしょ」

 痛いところをついてくる乃愛。希美が高二の頃は、特に家族に反発していた時期だ。土日は深夜に帰宅することも少なくなかった。

「あ……あたしのことはいいのよ! とにかく、パパたちが心配するから、門限は守りなさい!」

 その後、どうにか八時前に実家まで戻ることができた希美。乃愛は大いに不満そうだったが、父たちからは感謝された。せっかくだから上がっていけという父の誘いを断り、実家を後にする。マンションに帰りついたところで、ミッション達成のメッセージが届いた。

 やれやれ、と安堵の息を吐く希美。乃愛も、親が決めた門限なんだからちゃんと守ればいいのに、と、自分のことは思いっきり棚に上げてそう思った。同時に、子どもが門限を守らず、どこにいるのかも判らないって、あんなに心配になるんだな、とも思う。ナンパや誘拐の心配までしてしまった。まあ、結果的に何事も無くて何よりだ。

「…………」

 希美は気を取り直し、シャワーを浴びることにした。



 そして、またまた日曜の朝。

 その日届いたメッセージには、【ラストミッション】の文字が書かれていた。ねぼけ眼で確認した希美だったが、布団を天井まではねとばす勢いで飛び起きた。

【トロフィー獲得条件6(ラストミッション) 今日中に母親に「ありがとう」と言う。
 あなたの母親に、「ありがとう」と感謝の気持ちを伝えてください。

 ※これが最後のミッションです。達成してトロフィーを獲得すれば、見事トロコン。あなたはかけがえのない大切なものを得ることができます。
 ※形だけ、言葉だけでの感謝は認められません。心の底からの「ありがとう」を伝えてください。】


 きた来た北着たキタああぁぁ!! いよいよ最後のミッション! これを達成すれば見事トロコン! しかもその内容は、【母親に「ありがとう」と言う】と、今までのミッションと比べて格段に簡単だ。希美は朝ごはんを食べて簡単に身支度を整えると、車に乗って母親が眠る墓地へと出かけた。

 ──ママ、いつも見守ってくれて、ありがとう。

 伊吹市郊外のお寺にある巌刈家のお墓の前で手を合わせる希美。実家にはあまり帰っていない希美だが、母の墓参りにはわりと頻繁に来ているので、本当に簡単なミッションだった。

 お墓参りを終え、車に乗り込んだ希美。自然と笑みがこぼれる。

 ──ウフフ、ご褒美の『かけがえのないもの』楽しみだなぁ。なんだろうな? ……って、あれ・・しかないよね。

 希美にとってのかけがえのないもの──それは、歩希以外には考えられない。ずっと待っていた、この時を。歩希の気持ちが希美から離れ、朱理に向いてしまってからも、いつかは自分の元に戻ってくる──希美は、ずっとそう信じていた。だから、朱理からの数々の屈辱に耐え、そして、今回の理不尽なミッションもクリアしてきたのだ。それらの苦労が、ようやく報われる。

 この時の希美は、そう思っていたのだが。

 夜になっても、運営からミッション達成の報せは届かなかった。

 おかしいな? と、希美は首をかしげる。これまではミッションを達成すればその日の夜までには必ず通知が来ていた。今回のミッションでは【土曜日まで】という指定はされていない。むしろ【今日中】となっているので、一日で達成となるはずだ。なのに、ミッション達成の通知は来ない。つまり、運営的にはまだミッションは達成されていない、ということになる。

 どういうことだろう? 希美は考える。母親に「ありがとう」と伝えるならお墓だと思ったが、ミッション達成にならないということは、実家の仏壇の方なのだろうか? その可能性も考えられる。だとしたら急がなくては。時計を見ると、夜七時前。幸いまだ間に合うだろう。希美は実家に向かうことにした。

「──お? 希美? 今日も帰って来たのか。最近よく帰って来るな。父さん嬉しいし、母さんも、きっと喜んでるぞ」

 実家に帰ると、まず父が喜んで迎えてくれた。父の言う通り、トロコンゲームが始まってからというもの、父にプレゼントしたり、乃愛を送り届けたりで、かなり頻繁に帰って来ている。

「うん、まあね」

 希美は曖昧に笑って家に上がると、仏間へ向かった。

「あれ? お姉ちゃん、また帰って来たの? 最近よく帰って来るね」

 リビングには乃愛もいて、父と同じことを言った。

「いいでしょ別に。それより、今日はちゃんと門限守ったんだね、偉い偉い」

 希美がからかい半分に言うと、「今日は出かけてませんー」と、乃愛は言った。

 希美はフフッと笑うと、ミッションを達成しようと仏壇の前に座った。お線香をあげ、ちーんとおりん・・・を鳴らして手を合わせる。

 ──ママ、いつも見守ってくれて、ありがとう。心配かけてゴメンね。

 お墓の時よりも時間をかけ、丁寧に感謝の気持ちを伝えた。

「──帰って来てくれてありがとうね、希美ちゃん。静も、きっと喜んでくれてると思うわ」

 お参りを終え、リビングに戻ると、夏美がお茶を淹れてテーブルに置いてくれた。

「お構いなく、すぐに帰るつもりなので」

 希美はそっけなく言った。実際、お参りを終えればすぐに帰るつもりだったのだ。

「そんな他人行儀なこと言わないで? ここは希美ちゃんのおうちなんだから。そうだ。希美ちゃん、ご飯食べた? せっかくだから食べる? 今日はカレーを作ったから、いっぱいあるわよ?」

 夏美はそう言って、希美を引き止めようとする。

「いえ、あたしは──」

 断ろうとした希美だったが、父が、「そうしなさい、希美」と言い、乃愛も「そうしなよ、お姉ちゃん」と言う。あまり気は進まなかったが、まあいいか、と、希美はご飯を食べて帰ることにした。

 夏美がご飯の準備をしている間、希美は何度もスマホを確認する。ミッション達成のメッセージはまだ届かない。また首をかしげる希美。どういうことだろう? ミッションを達成したのなら、いくらなんでもメッセージが届いてもいい頃だ。それが無いということは、まだ達成していないということだろうか? しかし、お墓とお仏壇、どちらにもお参りをし、ありがとうという気持ちは伝えた。もちろん、形や言葉だけでなく、心からそう思っている。なのに、ミッション達成にはならない。では、どこに行けばいい? どこならば、ママに「ありがとう」と伝えられる?

「お待たせ、希美ちゃん。はい、乃愛ちゃんも」

 夏美がテーブルにカレーを置いた。希美はスマホをしまう。ミッションが未達なら、正直カレーを食べている場合でもないが、他に心当たりもない。どうすればいいのだろう?

「ねえねえお姉ちゃん」と、隣の席の乃愛が、なにやら嬉しそうな顔をする。「お母さん・・・・のカレー食べるの、久しぶりだよね? 食べたらビックリするよ? 最近ママのカレーとそっくりになってるから」

 ママのカレー……乃愛が言う「お母さん」とは夏美のことで、「ママ」とは希美と乃愛の生みの親である静のことだ。ママが生きていた頃──特に希美が小学生だった頃は、よくカレーを作ってくれた。特に、四年生の時の『だるまさんがころんだ事件』の後に食べたママのカレーの味は、今でも忘れない。

 それを、あの人・・・なんかが、そっくりに作れるはずはない──希美は乃愛を睨みつけた。

 乃愛は肩をすくめると、「いただきまーす」と手を合わせて食べ始めた。希美も気を取り直し、「……いただきます」と手を合わせ、スプーンでひと口すくい、口へ運んだ。

 ──驚いた。

 それは確かに、乃愛の言う通り、ママのカレーにそっくりな味だった。

 フルーティーな甘みの中にあるスパイスの辛さ、そのバランスはもちろん、カレーソースの舌触り、肉や野菜の煮込まれ具合、さらには、ご飯の炊き加減まで、希美の記憶にあるママのカレーと、ほとんど変わらない。

「ね? お母さんのカレー、ママの味にそっくりでしょ?」

 希美の反応を見た乃愛が、得意げに言う。

 お母さん・・・・──その言い方が気に入らなくて、希美はもう一度乃愛を睨みつけようとしたとき。

 不意に気付いた。気付いてしまった。

 目の前の席に座る夏美を見る。父の再婚相手、乃愛がお母さんと呼ぶ人──。

 ──まさか、お母さんって、この人のこと!?

 思わずスプーンを落としそうになった。トロコンゲームのラストミッション【今日中にお母さんに「ありがとう」と言う】。ママに対しては、お墓にも仏壇にもお参りをし、ありがとうと伝えた。しかし、ミッション達成にはならない。ママにありがとうと伝えられる場所は他に思い当たらない──無いと言っていいだろう。

 ならば、ありがとうと言うのはママではなく、この人だと考えることができる。

 ──冗談でしょう!? この人に「ありがとう」なんて、そんなこと、言えるわけが……。

 希美は、さらに気が付いた。

 今回のこの『トロコンゲーム』で課せられたミッション──お弁当、プレゼント、すぐに乃愛に会いに行く、乃愛を怒ってはいけない、乃愛に門限を守らせる──は、全て、夏美に関係している、と。

 いや、それは、最初のミッションの段階で、気が付いていたことなのかもしれない。

 例えば。

 高校時代、夏美は希美のために毎日お弁当を作ってくれた。しかし、希美はそれを無視した。忘れたふりをして持っていかず、購買でパンを買って食べていたのだ。もちろん、帰ってから食べたりもしない。それでも夏美は、毎日毎日文句のひとつも言わず、希美のためにお弁当を作ってくれた。そんな夏美に対し、「なんの嫌がらせよ!」と、逆ギレしかけたこともある。

 高校を卒業し、家を出て一人暮らしをしようとした希美は、家賃格安セキュリティ皆無の1Kアパート一階部屋に決めようとしていた。それを、「とんでもない!」と言って、今のオートロック付き1Kマンション最上階五階部屋に変えてくれたのは夏美だ。一日四時間程度のバイトで賄えるような家賃ではなく、この四年間、全て夏美が負担してくれている。希美はそれに甘え、日々だらだら無為に過ごすだけで、お礼を言ったことさえ無い。

 一人暮らしを始める際、身の回りの家具や家電を買ってくれたのも夏美だ。希美の成績などの理由で保護者が学校に呼び出された時、仕事が忙しい父に代わって夏美が駆けつけてくれたこともある。もちろん、それらに対しても希美がお礼を言ったことは無い。むしろ、文句や嫌味を言ってばかりだった。なのに夏美は、一切怒ったりせず、ただ希美のためにつくしてくれていた。それが逆に疎ましくて、家に帰りなくなくて、高校の時の八時という門限は頻繁に破っていた。子どもが帰ってこず、連絡さえ取れないことが、あれほど心配だということも知らずに。

「──お姉ちゃん!?」

 乃愛が声を上げた。

 希美は、知らず、涙を流していた。

「どうしたんだ? 希美?」

 父も心配する。

「希美ちゃん? もしかして、カレーが辛かった?」

 夏美はコップに水をくむ。

「……違う……違うんです……」

 希美は涙を拭い、夏美を見た。

「カレー……とっても美味しいです。乃愛の言う通り、本当に、ママの味にそっくりで……」

 本当に、素直にそう伝えることができた。

 すると、乃愛も、父も、そして夏美も、洟を啜るような仕草をした。

 希美は涙を拭った。

 そして、正面の席に座る夏美を、改めて真っ直ぐに見つめる。

 その決意に満ちた目に気づいたのか、夏美も姿勢を正した。

 お母さん、ありがとう──そう伝えれば、全て終わる。簡単なことだ。これまで夏美がしてくれたことに感謝する。ただそれだけでいい。そう。それだけでいいのだ。ただそれだけで。

 希美は、これまでの夏美とのことを、ひとつひとつ思い出し──。

 ────。

 ふん、と、鼻を鳴らして笑った。

「……言わない……」

 そして、腹の奥に溜まっているどす黒い感情を、吐き出す。

「……言わない……言わない……言わない言わない言わない言わない言わない言わない言わない言わない言わない言わない言わない言わない言わない言わない言わない言わない言わない!! 絶対に言わない!!」

「ちょっとお姉ちゃん? さっきから、なにを言って──」

 心配そうに手を伸ばそうとする乃愛の目の前で、希美はテーブルの上のカレーを両手で払い除けた。お皿とスプーンが悲鳴を上げ、カレーが床に飛び散った。

「お姉ちゃん!!」

「希美!!」

 乃愛と父が何か言うよりも早く、希美は言う。

「あたしはあなたを許さない! 絶対に許さない!! あなたに『ありがとう』ですって!? あり得ない! あり得ないあり得ないあり得ない!! ママを殺した人にお礼を言うなんて!! そんなバカなこと!! あたしは絶対にしない!!」

 希美は夏美を指さし、殺意を込めた目で睨みつけ、叫んだ。

「……お姉ちゃん……なにを言って……」

「あたしは見たんだ! この人が、ママのところに『黒い人』を連れてきたのを!!」

 希美は、これまで言えなかったことを──腹の奥にため込んでいたことを、全て吐き出した。

 自分には霊感があること。

 病院で見かける黒い人のこと。

 夏美がお見舞いに来た後、ママのそばに黒い人がいたこと。

 ママを殺したのは、夏美であること。

 そして、今回のトロコンゲームのことも。

「……希美ちゃん? 落ち着いて? なにか、かなり混乱してるみたい。ね?」

 狂人を見るような目の夏美に対し、希美はさらに感情を吐き出す。もう止めることなどできない。落ち着けるはずもない。

「あたしは騙されない! もうガマンもしない!! ママを殺したあんたを絶対に許さない!! ありがとう? そんなこと、絶対言うもんか! トロコンゲームなんて知ったことか!! 歩希もいない!! 友だちもいない!! どうせこれ以上失うものなんて無いもの! 内定だっていらない!! ママを殺した人にお礼を言うくらいなら、死んだ方がマシだわ!!」

 ありったけの感情を叫んだ。今までため込んできた気持ちが爆発したのもあるが、そこには、夏美のことを一瞬でも認めかけた自分への憤りもあった。

 夏美が作ったカレーをママのカレーにそっくりだと思ってしまった自分。

 それに涙を流してしまった自分。

 これまでの夏美の行為のありがたさに気づいてしまった自分。

 それに反発していたことを情けないと思ってしまった自分。

 その程度で、夏美に心を開き、感謝しそうになってしまった自分。

 あり得ない。そんなことで、ママを殺したことを無かったことにできるはずがない。ママは死んだ。希美たちの前からいなくなった。その悲しみを埋める方法なんて無い。ただ相手を憎み続けるしかない。

「あんたのせいでママは死んだんだ! 返せ!! あたしたちのママを返せ!!」

 希美は、悲しみを憎しみに変え、目の前の相手にぶつける。

 ぱちん、と。

 希美の左頬に、炎がはじけたような熱さがほとばしった。

 遅れて、ジンジンとした痛みが広がる。

 ひっぱたかれた──そう気づいたのは、乃愛の手のひらが震えていたからだ。

 乃愛は、涙をいっぱいに溜めた目で希美を睨みつける。

 乃愛が手をあげることは、これが初めてではない。でも、それは乃愛がまだ小さかった頃の話で、癇癪を起して暴れたとき、振り回した手足が当たっただけだ。今回は、それとはまったく違う。心の底からの怒り──憎しみさえ込めた目で、希美を見ていた。

 そして。

「お姉ちゃんいい加減にして!!」

 希美にも負けないくらいの声で言う。

 なにすんのよ! 希美がそう言い返す前に、乃愛は叫んだ。


「──ママが死んだのは! お姉ちゃんのせいでしょ!!」


 乃愛のその言葉を、その瞬間、希美は全く理解することができなかった。

「乃愛! やめなさい!」

「乃愛ちゃん、やめて!」

 父が、夏美が、血相を変えて、乃愛の言葉を止めようとする。

 しかし、乃愛は止まらない。一度溢れ出した感情を止めることなどできないと、希美も知っている。

 乃愛は、父と母が止めるのも聞かず、さらに叫んだ。

「お姉ちゃんが! 病室に庭の花なんか持ち込んだりしたから!! だから! ママは死んだんだよ!!」

 ────。

 乃愛の、その言葉で。


 ──ママ、これ、お見舞いのお花。


 希美は、入院したママに、コスモスの花を──ママが庭で育てていた花を摘んで持っていったことを、思い出した。

 近年、病院のお見舞いに花を持ち込むことが制限されていることは、希美も知っていた。感染予防の観点からだ。

 病院に花を飾ると、まれに、花瓶の水が腐敗し、菌が大量発生することがある。

 それが、病人や手術直後などで免疫が落ちている患者に感染すると、肺炎や敗血症などを引き起こし、一気に容体が悪化するのだ。

 この感染症から患者を守るために、現在ほぼすべての病院で、花の持ち込みは禁止されている。

 それを、希美は破っていた。

 希美は、母の病室に花を持ち込んだ。

「乃愛、違うぞ!」父が、希美をかばうように言う。「パパだって、あのとき庭の花を持ちこむことに何も言わなかった。パパも知らなかったんだ。希美のせいじゃない」

 そう。あの頃の希美はまだ十歳の子どもで、そんなことは知らなかったし、十二年も前だから、病室への花の持ち込みはまだ制限されていなかった。

 でも。

「判ってるよ……。ママが……亡くなったのは……不幸な事故だったって」

 乃愛は声を詰まらせながら言う。溢れ出した涙は、もう止まらない。

 それでも、最後は希美をしっかりと睨みつけ。

「でも……でも!! それを、黒い人とか、トロコンゲームとか、ワケわかんないこと言ってお母さんのせいにするなんて、あたし絶対許せない!! お姉ちゃんサイテーだよ!!」

 その胸の内の思いを憎しみに変えた声で、叫んだ。

 ただ。

 希美には、もう乃愛の声は聞こえない。

 ──あたしのせいでママは死んだ……あたしがママを殺した……。

 最初の乃愛の言葉を繰り返す。大好きだったママ、大好きだった花、今日、初めて知った事実。

 何かが崩れる音がした。それは、希美の中に最後に残っていた、細い柱が崩れる音。希美という存在を、最後まで支えていた柱だ。

 それが今、音を立てて崩れ落ちようとしている。

 それを悟った希美は、リビングを飛び出した。

「──お姉ちゃん!?」

 階段を上がり、自分の部屋に駆けこみ、内側から鍵を変えた。

 すぐに父たちが上がってきてドアを叩くが、耳を塞いで顔を振りたくる。

 そして。

 ──歩希、助けて! 歩希……歩希!!

 最後の柱が崩れ落ちる前に、もう一度、彼女が支えにしているものに、すがりつこうとした。

 窓に駆け寄り、カーテンを開けた。すぐ正面が、歩希の部屋だ。

「────」

 歩希は、朱理と唇を重ねていた。

 希美は、ただ茫然とそこに立ち尽くす。

 それはまるで、朱理の中の魂を吸い出そうとしているかのような行為だった。貪るように、あるいは獣のように──そう呼ぶにふさわしい姿だ。やがて、歩希の唇は朱理の唇を離れる。朱理が顎を上げた。歩希の唇は朱理の首筋を伝い、さらに下へ移動する。鎖骨の間を過ぎ、そして、その下のふたつのふくらみの間に顔をうずめた。そこでもまた、朱理の魂を吸い出そうと、貪るように、あるいは獣のように、歩希は朱理を求める。朱理の表情が恍惚に染まる。口から甘い息が漏れたのが、ここからでも判った。

 不意に、朱理がこちらを見た。窓越しに、目が合った。

 朱理は、窓際に立ち尽くす希美を見て──唇の端を釣り上げた。

 ──え? 笑ってる?

 そう思った瞬間。

 朱理が手を伸ばした。窓際のカーテンを掴み、しゃっ、と、素早く閉める。しばらくカーテン越しに二人の影が見えていたが、やがてそれも、倒れ込むようにして見えなくなった。

 ドアが激しくノックされる。希美! 希美ちゃん! お姉ちゃん! 出て来なさい! 激しいノックの音──どんなに繰り返されても、呼ばれても、もう希美には届かない。

 ──あの子、笑ったよね。今のあたしを見て、笑ってたよね。

 心の中で、誰ともなく問いかける。

 そして、希美も笑った。朱理よりも強く、鋭く、唇の端を吊り上げて。

 希美の中に残っていた最後の柱は、崩れ落ちた。

 しかし。

 代わりに別の柱が芽生え、希美を支えていた。

 もちろんそれは、歩希やママといった、これまで希美を支えていた柱とは、別種のものだ。


 ──許せない、絶対に。


 希美は窓辺に立ち、向こう側にいるであろう朱理と歩希を見つめ、いつまでも笑い続けていた。

 ピコーン、と、スマホが鳴った。それはトロコンゲームからのメッセージだったが、もう見る必要はない。希美は無視した。



【トロフィー獲得条件6 未達ゲームオーバー


 画面には、そう表示されていた。



 巌刈希美は、これまでいくつもの大切なものを失ってきた。


 幼馴染との絆。

 家庭での居場所。

 数多い友人たち。


 そして、この日。

 希美は、最後の心の支えだったものさえも、失ってしまった。


 全てを失った希美は、この数日後、志摩朱理を深夜のドライブに誘い出す。


 そして。


 二人の運命は、結末へと向かって走り出したのである──。




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