見出し画像

落ちこぼれと機能 4

※本作は現場での体験をもとに再構成したフィクションです。
登場人物・団体はすべて架空であり、特定の個人・施設を描いたものではありません。
※作中の観察は介護現場で日常的に行われる見守り・気づきの範囲であり、医療的評価・診断行為を意図したものではありません。


三週目の昼下がりだった。
昼食後のユニットには、いつもの柔らかな空気が漂っている。
機能は姿勢の傾き、呼吸の深さ、喉の動き、表情の揺れ──
そうした小さな変化を“日常観察”として淡々と積み重ねていた。

その静けさを割るように、背後から細い声。

「……あの、機能さん」

村田だった。
声の奥に“誰かを守りたい”という緊張がかすかに混ざっている。

「どうしたの?」

村田はそっと、ある利用者を指差した。
その指先は少し震えているが、迷いはなかった。

「今日……飲み込みが、いつもより遅いような……気がして……」

機能は数歩近づき、利用者を確認した。
姿勢、口の動き、呼吸のリズム。
確かに、わずかな変化がある。

機能は静かに手首に触れ、脈の速さとリズムを確かめた。
(※鍼灸の“触れ方”に似ているが、あくまで日常観察の範囲であり医療行為ではない。)

いつもより、脈が少し速い。

「……どの場面で気づいた?」

村田は一瞬瞬きをしてから言った。

「さっき……ジュースを飲むとき……
 喉が上がるのが、ゆっくりで……
 もし間違ってたら、すいません……」

最後の一文にだけ、いつもの自己否定が滲んだ。

機能は、最初の部分だけを丁寧に拾う。

「よく気づいたね」

村田の目が、わずかに見開かれた。

「今日この人、少し水分が足りていない。
 こういうときは喉の動きに変化が出やすいんだよ。
 その“違和感”を最初に掴めたのは大きい。」

村田は胸の前でそっと手を握り、ほっと息を吐いた。
それは弱さではなく、“確かに気づけた”という小さな誇りだった。

「……拍子とか、間とか……
 少しだけ、分かる気がしました」

「うん。十分だよ。」

村田は慌てて付け加えた。

「でも、固まることもまだあって……」

「それでいい。
 安心が満ちてきたときに、いちばん伸びるタイプだから。」

村田の肩がすっと落ちる。
緊張がひとつ、音もなくほどけた。

「ありがとうございます……」

機能は軽く顎でキッチンを示した。

「これ、飲ませてあげて。
 台所の材料だけで作れる“喉を温める飲み物”(※フィクション設定)だよ。」

「作り方って……?」

「企業秘密」

村田は小さく笑った。
その笑みは、さっきより温度があった。

ふと思い出したように、村田が言う。

「……あ、そういえば。
 隣のユニットの先輩が、機能さんのこと“ミズバシラ”って呼んでました。」

機能は苦笑した。

「またそのあだ名か。気配が薄いって、よく言われるんだよ。」

村田は真剣に頷いた。

「……たしかに、気づいたら横にいますよね……」

「ショートの職員からは“魔術師”って言われてる。
 なんだかアニメのキャラみたいだって。」

「……分かる気がします」

村田はくすっと笑い、
さっきより柔らかい表情で言った。

「……いいですね、“ミズバシラ”」

機能は照れくさそうに目を逸らした。

去っていく村田の背中を、機能はそっと見送る。

「……育ってきたな」

その独り言は、村田には聞こえていなかった。


いいなと思ったら応援しよう!