落ちこぼれと機能 3
※本作は現場での体験をもとに構成したフィクションです。
登場人物・団体はすべて架空であり、特定の個人・施設を描いたものではありません。
※本作の技術描写は物語上の表現であり、介護・医療の指導を目的としたものではありません。
機能は、いつものように、とあるお婆さんの移乗介助を新人に見せていた。
この人は、機能が関わるようになってから静かに変わり始めている。
食事量が上がり、自己摂取も増え、体重もゆっくりと戻りつつあった。
日々のケアが積み重なった結果、下肢にもわずかに “Hari” が戻ってきていた。
移乗は全介助──けれど、もう力はいらない。
“ほとんど一部介助のような全介助”。
協力動作が戻ったことで、体格差に関わらず誰でも無理なく支えられる。
心身の深いところで、身体が“動きの筋道”を思い出しはじめている。
仰臥位から上体を畳むようにして、起き上がりから端坐位へ連動させる。
軽い。
端坐位になれば、片手で身体を支え、もう片手で膝や足の向きをわずかに整えるだけで安定した。
人前では基本の水平移乗。
人がいない時は、立ち上がりや歩行につながる“体重移動の記憶”を、そっと身体に思い出してもらう。
筋が“筋道”を探り当てるように、静かに整えていく。
村田の移乗は、最初はどうしても“持ち上げる”形になっていた。
それでは腰に負担がかかり、利用者の重心も迷子になる。
だから毎日一回は、見せることにした。
癖というものは、そのくらい丁寧に抜いていく必要がある。
──ある時。
村田が離床介助をしていた。
端坐位をつくり、車椅子へ移す一連の動作。
その流れを見た機能は、小さく息をのんだ。
やっぱり。
新人の動きが、“似て”きている。
鏡写しのように完璧ではない。
それでも、身体が“筋道”を理解しはじめていた。
言語よりも動きで覚えるタイプ──前から薄く感じていた“OSの癖”が、動作の細部に滲んでいた。
初めて覚えた“神楽舞のようなしなやかさ”。
あれは見間違いではなかった。
人の動きを見ると、自分の神経回路が走り出す。
ミラーニューロン。
その回路が育てば、介助の滑らかさは驚くほど伸びる。
機能は心の中で、そっと笑った。
いや、もしかすると──
「教える私が上手いだけ」
そうやって少し肩の力を抜いておきたかった。
その瞬間、ふと“今は亡き恩師”の姿が浮かんだ。
機能が伝統芸能の稽古をしていたころ、
導いてくれた数人の先達の顔が、静かに思い出された。
──この子だ。この子が受け継いでくれる。
そう言って、目を細めてくれた人たち。
自分が動きを再現した時、心底嬉しそうだった。
ああ、そうか。
あの時の恩師も、きっとこんな気持ちだったのだ。
機能もまた、そっと目を細めた。
村田の小さく整った背中が、ほんの少し震え、
そしてまた、前へと進んでいく。
