検査と評価は違う。それ、検査の報告になっていませんか?
前回、「ゴールが先か、評価が先か」という記事の中で少し触れた話を、今回はもう少し深掘りしたいと思います。
検査項目だけたくさん並んでいて、結局何を見ているのかわからないレポートや発表を見ることがあります。
これ、検査と評価を混同しているからだと思うのです。
検査の報告で終わっているケース
臨床実習のレポートやカンファレンスの発表で、こんな光景を見たことはないでしょうか。
「ROM制限あり。MMT低下あり。整形外科的テスト陽性。」
データはきちんと並んでいます。検査としては申し分ありません。
でも、「それで、結局何が問題なんですか?」と聞かれると、答えに詰まってしまう。
これは検査の報告であって、評価ではありません。
検査結果を並べることと、検査結果を解釈することは、まったく別の作業です。
なぜこうなるのか
これは、仮説がないまま検査をしているからだと思います。
仮説がない状態で検査をすると、1つ1つのデータは正しく取れていても、それらの間のつながりが見えません。
ROM制限があることと、MMTが低下していることと、整形外科的テストが陽性であることが、同じ問題から来ているのか、それぞれ別の問題なのか。それを判断するのが評価です。
仮説がなければ、検査結果はただの個別の事実として並ぶだけで、1つのストーリーとして統合されません。
検査を増やすことと評価の質は別
検査項目を増やせば評価の質が上がる、というのは誤解だと思います。
仮説を持たずに検査項目を増やしても、データは増えるだけで、解釈の精度は上がりません。むしろ情報量が増えすぎて、何が本質的な問題なのか見えにくくなることもあります。
逆に、明確な仮説を持って検査をすれば、最小限の検査項目でも十分な評価ができます。
「この仮説が正しければ、この検査でこういう結果が出るはずだ」という見通しを持って検査をするからこそ、結果の解釈に意味が生まれます。
検査の数は、評価の質を保証しません。
評価ができている状態とは
評価ができている状態というのは、検査結果を見て「だからこの症状が起きている」と1本のストーリーで説明できる状態のことです。
ROM制限も、MMT低下も、整形外科的テストの結果も、すべてが同じ1つの問題を指し示している。そう説明できれば、それは評価です。
逆に、検査結果を並べるだけで、それらがどうつながっているのか説明できないなら、それは評価ではなく、まだ検査の報告の段階です。
評価の質を決めるのは、検査項目の数ではなく、解釈の一貫性です。
まとめ
検査は作業。評価は思考。
検査項目をたくさん並べたレポートが、必ずしも良い評価であるとは限りません。むしろ、検査項目が多いほど「何を見ているのかわからない」という印象を与えてしまうこともあります。
大事なのは、検査結果を1つのストーリーとして説明できるかどうかです。
それができていなければ、それはまだ評価ではなく、検査の報告に過ぎないのだと思います。
