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学校と向き合う姿勢 学級経営

以前、記事で触れましたが、
私は教員でありながら、教育実習をしたことがありません。
文部科学省が設置している、
小学校教員資格認定試験という試験を受けて免許を取ったためです。
また、企業で働いてからの、いわゆる転職組です。
初任者の頃に感じた「外様感」は、
教職歴を重ねた今なお、心のどこかにあります。

でも、その「外様感」は、
実習経験がないことや、転職したことなどばかりが理由でもないように感じる今日です。
また、自身の経験を振り返り、自分を見つめ直す視点から、
この点について考えてみたいと思います。

学校なんて という姿勢

自身が小学生の頃、宿題をやった覚えがありません。
おそらく自分が小学生の頃、または自分が通っていた学校では、
宿題はなかったのだ、と言ってみれば、
年子の妹に、
「そんなことはない。宿題はあった。あなたがやっていなかっただけだ」
と言われます。
笑える冗談話になっています。
そして、
「そんなんで『先生』務まるの?」
なんて、また冗談話になります。

さて、では、宿題をやらなかったことで、
先生に叱られたかと考えれば、その記憶は全くありません。
忘れているとういわけではなく、
本当に、叱られなかったのです。
というより、これこそ本当に、
宿題があったという記憶がないのです。

宿題なんて、そんなもの(だった)

としか思い出せないのです。

では、日々の授業はどうだったか。
これもまた、ほとんど覚えていません。
微かに覚えているのは、
先生が教えてくれたことや、声に出して読んだ教科書といったものではなく、
先生と子供たちが、対話的に授業の中で議論した場面、
これくらいなのです。
「『ごんぎつね』は、当時の教科書になかったなあ」
と私が言えば、妹と、上と同じ会話の件を繰り返すだけです。

授業なんて、そんなもの(だった)

という感覚です。

先生に関して覚えていることも少ないです。
すぐ怒る、ゲンコツする先生が嫌だったことと、
6年のときの担任の先生の背がとても大きく、
そしてどこか、優しい、心の大きさも感じていたことくらいです。
6年のときの担任の先生は、
分数のたし算で、分母も分子もそのまま足していた私のノートを見て、
「この計算でいいんだっけ?」
と聞いてきました。
「うん。なんかの本にこうやるって書いてあったから」
と答えると、
「そっか。先生も勉強したいな。その本、今度、見せてくれる?」
といって、席を離れて行きました。
その日の放課後、”チャレンジ”の教材を見たら、
しっかり、通分して解くことが書いてありました。
あ、やばい、
と思った私は、その計算方法を家で、自分で身につけました。
次の日、ちゃんと通分して計算している私のノートを見て、
先生は何も言わず、ただにっこりして丸をつけ、席を離れて行きました。
今でも覚えている場面です。

このほか、学校生活で覚えていることはほとんどありません。
休み時間のドッジボールや、
入っちゃいけない校舎の場所を探索したこととかくらいで、
あとはもっぱら放課後の遊びのことばかりです。
帰宅して玄関を開け、ランドセルを放り投げ、
そのまますぐに遊びに出ました。
たった1時間、2時間程度の放課後遊びが、当時の人生の中心でした。

学校生活なんて、そんなもの(だった)

のです。

集団の1/3ルール

集団の中で、優等、普通、劣等に構成員を分けると、
そのどれもが1/3の割合で存在する。
これはよく言われることです。
小学校の頃のクラスを思い返すと、まあ、当てはまるのかな、と思います。
1/3の子たちはよく先生に褒められ、
1/3の子たちはよく先生に叱られ、
1/3の子たちはその真ん中でした。
よく褒められる1/3のうちのさらに1/3の子たちは、学校の素晴らしさをはじめ、充実感や達成感を生き生きと感じる日々となります。
そして思うのです。

こんな素敵な学校生活を、将来、先生になって、自分でも提供していきたい

と。
簡単な割合で出せるものではありませんが、1/3のさらに1/3ですから、全体の1/9。訳1割の子たちです。
30人いれば、3人いるかどうかの割合です。

その子たちの見る学校は、輝き、充実したものです。
見方を変えれば、毎日が輝き、充実したものにするためのルールを理解し、順応できた子たちです。

この子たちにとって、
先生の言うことをよく聞くこと
宿題をちゃんと出すこと
既存のルールに疑問をもたないこと
これが当たり前のことになります。
ですから、自分が先生になったとき、

先生の言うことを聞かない子
宿題をちゃんと出さない子
既存のルールに疑問をもつ子

これらの子たちの神経を疑ってしまいます。
許せない
とも感じてしまうようです。
宿題を出しなさい
言われたことをすぐやりなさい
ルールなんだから受け入れなさい
と指示を出し、それに従うことが当たり前で、従おうとしない子にレッテルを貼ってしまいます。


視野を広げるという学習

上に書いた内容は、少し極端な話です。
ですが、学級経営がうまくいかない先生。子供たちとの関わりがうまくいかない先生の多くに見られる傾向であることは、経験則から感じていることです。

他の『1/3』の子たち、人たちにも言えることなのですが、自分とは違う視点に対する許容が重要です。
『当たり前』と思うことの大半は、自分だけがそう思っている場合が多いものです。
ただ、『味をしめた』人たちにとっては、自分の当たり前こそが本当の当たり前と思い込む傾向は強いようです。
既得権益を守ろうとする姿勢に似ています。
自分の利益を守ろうとするのは当然のことかもしれません。

児童理解という言葉がありますが、心の底にある、『当たり前』を取っ払ってしまわない限り、まず無理な業になります。
自らの視野を広げるということ。
これ即ち、学習です。
学習は、子供たちや受験生にだけ必要なことではないはずです。
大人にも必要で、
生きている限り必要で、
子供たちの学習を支える先生においては、なおのこと、大切なことです、


うまくいっちゃう先生の共通点

『いっちゃう』と表現したのは、経験年数が浅かったり、授業力が特段、長けてなかったりするのに、学級経営がうまくいくという現象を意図しているからです。

個人的な感覚ですが、そのような先生はみな、子供たちから慕われています。
簡単に言えば人気があります。
そしてそれはなぜか。
おそらくは、学校というものに対し、凝り固まった見方がなく、ある意味テキトーだからです。
まあ、それもいいじゃん
という姿勢をもてるからです。
もっと言えば、集団の2/3の立場に立てるからです。

子供たちはなかなかシビアで、
変顔して笑わせるような面白さには、瞬時で飽きます。
懐柔、許容ばかりしている甘さには、瞬時に見限りをつけます。

こういった面白さやテキトーさではなく、
学校や子供たちに対し、フラットな姿勢で向き合える先生が、クラスをうまく回すといった様子をよく見ました。
過去の栄光に固執し、
自分が楽しかった学校生活の再現という意識から逃れられない先生は、しばらく、学級経営に苦しむことになりそうです、


視野を広げる学習例

では、視野を広げるという学習の具体例とは?と問われれば、これまた難しくなります。
短絡的には
読書
セミナー参加
などがあるのでしょうけど、それらも

うーん

と感じてしまいます。
なぜかと言えば、読書もセミナー参加も方法であって、それらをなすこと自体から得られる学びと、意識のもちようによって得られる学びとでは、大きく変わるからです。
視野を広げるために、なにをすべきですか?!

と問われ、

読書しよう!

セミナーに参加しよう!

とは、単純に言えないということです。

それであっても、読書やセミナー参加はよき方法です。
自分なりに、読書の、視野を広げることへのつなげ方を紹介します。

①読書
『ファクトフルネス』
これは、スウェーデンのハンス・ロスリング氏の著作で、数年前に大ヒットした作品です。
ここ30年以上のデータを元に、世界の現状に関して知ることができます。
その内容は、ぼんやりともっていたイメージとは大きく異なることに驚きます。

ここから、視野を広げることにつなげます。

まず、世界のことをはじめ、自分が知らないことばかりなのだという理解をもちます。
それだけならまだしも、知っているふり、知っているつもりになっていると自覚します。
すると、
本当のところはどうなっているのだろう?
という疑問がさまざまな分野に向けられます。
私はここから、例えば
日本史
お金

このあたりについての本を読み漁りました。
そしてもっとも大切なこととして、
物事の本質に目を向ける態度をより養うことができました。

ちょっと待てよ

と思えるようになります。
子供の様子に関しても、
学校のルールに関しても、
ちょっと待てよ
と立ち止まってから考えたり、次の行動を練ったりすることができるようになります。

『行動経済学が最強の学問である』
相良奈美香氏の著作です。
自分を含めて、人間は、理に適った行動ばかりをするわけではないことが、感覚的、経験即として、誰もが分かっていると思います。
ところが、子供たちや、自分以外の他者との関わりを考えると、つい、論理的に偏った考えをもちます。
私たちが、どのような行動様式を取る傾向にあるか。それはなぜなのかなどを知ることで、子供たちに語りかける言葉の内容やタイミングについて、改めて考えることができます。

この本から得られる、視野の広がりは、ズバリ


私たち人間は非論理的な生き物だ

ということです。
これを押さえて子供たちと接すると、より適切な関係が築けるようになります。

以上、少ない例ですが、読むだけでなく、日常の何かに当てはめたり重ねたりする姿勢をセットにすることで、読書から得られる学びが一気に高まります。

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