拝啓 創作大賞2025 さま
創作大賞2025出し切ったーという人もまだまだ大詰めの方もお疲れ様です。
大作1本の方も、私のように短歌やショート複数の方もイラストや写真の方々も色々な取り組み方や表現方法があって
感情を表現しにくくなってる時代
とか
思考をAIに持っていかれる
とかいわれてずいぶん経ちますが
まだまだそんなことないんじゃないの?
思える世界を他の皆様の作品を拝見して感じています。
私自身は実は当初創作大賞に向けて作品を作っていたわけではありませんでした。でも編集関係の仕事をしている知人が勧めてくれて現時点でいくつかの作品を出すことができました。
仕事で広報誌を担当したり、アカデミックな論文を書いたり文章のお仕事を受けたりすることはありますが、今回のように応募するのはラジオの企画で短歌が入選して放送してもらった2010年以来です。
入選も放送もとても光栄なことでしたが、その時応募した短歌や放送日が当時の私にとってとても運命的であり、とらえ方によってはある意味残酷なものでした。それから作品を作ることに無意識に抵抗を持ち、そこに仕事や子どものことや介護のことなどが全部重なり作品を作ることや発表することから離れてしまいました。
それから15年が経ち、この春またいろんなことが重なり、作品作りから離れていた間の事を考える機会がありました。それが作品作り再開のきっかけになりました。
そのことについて書いたものを創作大賞に出すかどうか、もうこんな時間なのに未だに決めかねています。
創作大賞という名前でなければ迷いはないのかもしれません。おそらく自分で作成した文章を創作と解釈しているのだと理解しています。実際エッセイ部門もありますし、フィクションだけの世界ではないのだと思います。
でも創作大賞という名前がつくと躊躇してしまうのです。
創作ではないから。
でも
表現する自分を許してあげてもいい
そう思えたことは確かで、それはそっと背負っていた荷物を少しだけおろすことができたかもしれないと思っています。
今回私が作品を投稿することを家族はとても喜んでくれました。
私がここに投稿しても応募してもお金になるわけでもないですし、何なら作成中の家事をひょいっと引き受けたりもしてくれたりもしてそんなにメリットはないはず⋯
それでも私が文章を綴ることを肯定してくれて。
そんな環境にいることがとてもありがたいことだと思うのです。もうそれだけでも十分なはず⋯
でもギリギリまで悩もうと思います。
悩んで決めて責任を持つということの重みと大切さと自由と自由への責任を重ねてかみしめながら⋯
