短編小説│二人を繋ぐ夢
「探してるのって、これですか?」
自転車の前でしゃがみ込んでいた松永 貴也は、不意に声をかけられて振り返った。
そこには紺色のニットベストを着た制服姿の女の子が、貴也と目線を合わせるようにやや中腰の姿勢でいた。
そして鍵のついたキーホルダーを差し出している。
「あ…!」
貴也の声は不自然に裏返った。
普段から女子と接する機会がないため、不意打ちで声をかけられ、激しく動揺したのだ。
彼女が輪っか部分を摘み、揺らしているキーホルダーは自分のものに間違いない。
「そ、それ!俺の…」
てんぱった貴也が狼狽えた声でなんとか伝えようとすると、女の子はクスッと小さく笑った。
「やっぱり、松永先輩のものだったんですね」
人懐っこい笑みを浮かべた女の子は、貴也の手の平にキーホルダーをそっと乗せた。
その笑みと呼び方で、彼女が誰なのか思い出した。
「あ…えっと…」
だが異性の名を呼ぶことが恥ずかしく、貴也はなかなか相手の名前を口に出すことが出来ない。
「ふふっ…松永先輩。引退したからって、もうマネージャーの名前を忘れちゃったんですか?」
茶化すように女の子が言うと、貴也は「違う!」と内心慌てふためいた。
彼女のことはもちろん知っている。
『高身長』という理由で、誘われるまま入ったバレー部。
彼女はそこの女子マネージャーだ。
三年の貴也は今年の夏にバレー部を引退し、それ以来、彼女との接点がなくなった。
当時から異性への免疫がまったくない貴也が、女子とまともな会話ができるはずがなく、彼女に挨拶されて一言返す程度の交流しかなかった。
まさか、自分のことをまだ覚えているとは思わなかった。
気恥ずかしさと妙な高揚感が湧いて、みるみるうちに耳まで真っ赤になる。
『非モテ』と自称している貴也が、軽々しく異性の名前を呼ぶことは、かなりの勇気がいることだ。
「あ、いや…そんな…ことは」
結局、貴也の口から彼女の名前が出ることはなく。
真っ赤な顔で口ごもった貴也の様子が、よほど可笑しかったのか、女の子は思わず「ぷっ」と吹き出した。
「す、すみません。…柏木です。柏木 萌奈です」
ひとしきり笑い終わると、彼女はそう名乗った。
「…か…し…わぎ、さん、どうも、ありがとう」
貴也は羞恥心と情けなさが入り混じ、とても消え入りそうな声で、なんとか感謝を伝えた。
「いいえ!じゃあ、私はこれで!」
萌奈は気にした様子もなく、にこやかに挨拶をすると、くるっと方向転換した。
そして後ろ手を組みながら、スタスタと駅舎に向かって歩いていく。
貴也は拍子抜けしたように、妙に力の入った肩を落とした。
浮ついた熱が冷めやらないまま、小さな彼女の背中をただ静かに見つめ続ける。
「あっ!」
急に立ち止まった萌奈が、おもむろにこちらに振り返った。
栗鼠のような真っ黒い大きい瞳と合って、貴也はドキッとした。
恥ずかしさと、じっと見ていた気まずさで、慌てて視線を横へ逸す。
「それ!悪道討伐伝・羅刹記シリーズの“灯鬼丸”ですよね!」
萌奈が言った「それ!」は、貴也の鍵についているキーホルダーのキャラクターのことだ。
【灯鬼丸】は十年ほど前に流行った家庭用ゲーム【悪道討伐伝・羅刹記】に登場する主人公だ。
当時は人気があって三作品ほどシリーズ化されていたが、主人公は一貫してこのキャラクターだった。
「そのゲーム、私も好きだったんです」
好きの言葉に、自分のことでもないのに貴也の心臓が大きく跳ねた。
「……」
萌奈が次の言葉を発しようと口を開きかけた時、駅舎から電車の接近メロディーが流れ始める。
「あ!電車が来ちゃう!!」
萌奈はハッし、貴也に何も告げることもなく、駆け足で駅舎へ入っていった。
貴也は置いてけぼりを食らったような心持ちのまま、しばらく呆然と立ち尽くした。
秋風の如く、瞬くようなそんな出来事だった。
◇ ◇ ◇
午後の秋の日差しは柔らかであるが、少し肌寒さを感じるほど弱々しい。
窓際の一番後ろの席で、黒板の文字をノートに取ることもなく、貴也はボーっとしていた。
背が高い貴也は何かにつけて「お前が前に座ると見えづらい」と言われ、後ろの席にされることが多かった。
貴也は頬杖しながら、何気なしに窓の外へ視線を向ける。
二ヶ月前には冴えるような鮮やかな新緑だった校庭の桜の木。
今は枝にわずかに残る葉が、物悲しいほど色褪せていた。
『あの葉っぱの最後が落ちたら…』
昔見たドラマのワンシーンを思い出す。
少し感傷的な気持ちになるのは、そのドラマの悲しい内容のせいだろうか。
それとも、来年にはここに居ないと思ったせいだろうか。
そんなことを考えながら、視線をグランドへ移した。
(あ…)
ちょうど、グランドでは体育の授業が行われていた。
どうやら短距離走の授業をしてるようで、ゴールの横でストップウォッチを手にしている萌奈を見つけた。
紺色の長袖長ズボンのジャージ姿で、まだ肩口に届いていない短めな黒髪。
化粧っ気のない白い肌、頬だけ寒さのせいか少し赤みをさしていた。
萌奈はとても小柄な子だ。
部活中の彼女は驚くほど、気が利く子で、ちょこちょこ忙しなく動く姿が、まるで冬ごもりのために巣穴へ餌をせっせと運んでいる栗鼠のようだった。
その姿を見かけるたびに貴也の心は密かに和んでいた。
そんな可愛い印象しかない彼女が、ふと横髪を片耳にかけた。
その仕草は、ドキリとするほど大人びて見え、貴也はなにも悪いことはしていないのに、思わず視線を逸らしてしまった。
胸が妙にざわついて、その後の授業はまったく集中できなかった。
◇ ◇ ◇
学校が終わり、最寄り駅に着いた貴也は、駅前に停めていた自転車の鍵とチェーンを外して、サドルに跨った。
(腹減ったな…)
買い置きのお菓子はあったかと記憶を辿りつつ、貴也は片足を踏み込んで、ペダルを漕ぎ始めた。
「松永先輩」
不意に呼び止められ、驚いてブレーキをかける。
貴也のことをそう呼んでくれる女子は、一人しか居ない。
振り返ると、やはり萌奈がいた。
「松永先輩の最寄り駅って、ここなんですね」
萌奈は人懐っこい笑みを浮かべながら、貴也に歩み寄って来た。
昼間のことを思い出した貴也は、どこかぎこちなく小さく頷いた。
「私はもう少し遠くの駅なんですけど、通ってる塾がこの辺りなんです」
「そう、なんだ」
萌奈は自然体で話しかけて来て、貴也は少し肩の力を抜いた。
「わざわざ途中下車して、塾通うの大変そう…だね」
貴也は何とか会話を繋げたくって、そう返した。
「そうなんです!今は中間試験前だから部活なしで、早く家に帰れるはずのに…塾があるから」
萌奈は口を尖らせながら、不満を漏らした。
可愛らしいその仕草に、貴也は不覚にも口元が緩んでしまった。
「まだ塾に行くまで時間はあるんですけど、松永先輩はもう帰りですか?」
「あ…うん…そうだよ」
彼女はこれから塾があるのに、自分は家に帰るだけの状況に、少し罰が悪かった。
「いいですね」
萌奈はからかうわけでもなく、にこりと微笑んだ。
「そう言えば!松永先輩って“悪伝”好きなんですか?」
自転車の前かごに手をかけて、萌奈がぐいぐいと顔を寄せて尋ねてきた。
「う、うん…」
彼女の気迫に、貴也はやや仰け反りながら答えた。
「私もあのゲーム大好きなんです!!いつもシリーズの新作出ないかなって思ってて」
萌奈はキラキラと目を輝かせながら、興奮気味にゲームについて話し始めた。
「一番最初の“悪伝”が発売された時、私はまだ幼稚園生だったんですよ。兄がやってるのをずっと横で見てて、飽きた兄からソフトをもらってからは、もうハマっちゃって!」
「そうなんだ」
「はい!…でも、周りの子達とは趣味が合わなくって」
萌奈は苦笑いした。
貴也はなんとなく周囲の反応を思い浮かべて、納得した。
女の子の園児なら「ママゴトや女子向けの変身するアニメの方」が好きそうだ。
【悪道討伐伝】
略して“悪伝”は、やや重いシリアスなストーリーで、気味が悪い鬼が数多く出てくるRPGゲームだ。
だが、兄の影響か、それとも、たまたまそういう物語が好きだったのか、萌奈はその世界に夢中になっていた。
「そっか。俺も…まぁ、人付き合い苦手で…ずっと一人で遊んでたな」
萌奈を上手くフォローしてあげるつもりが、逆に自分には友達もいない根暗だったと告げているようで、貴也は思わず苦笑した。
「私もそうですよ」
萌奈は気に留めた様子もなく、笑い飛ばした。
「だから、松永先輩が【灯鬼丸】のキーホルダーを持っていた時は歓喜しました!悪伝のファン仲間がこんなに近くにいたんだ!って」
萌奈はとても嬉しそうだった。
「はは。…俺もなんだか…嬉しい、な…」
貴也は照れ隠しするように、痒くもない頬を掻いた。
「私も嬉しいです!」
萌奈は笑顔で頷く。
「松永先輩がまだ部活にいた時からずっと話したくって、うずうずしてたんですけど…話す機会が全然なくって」
「そう、だね」
貴也は同調するように頷いた。
学年が違い、部活以外に接点もないので、二人で話すなんてことはこれまでなかった。
もしもそんな場面を誰かに見られでもしたら、妙な誤解を生む。
そもそも、貴也には「女子に話しかける」というミッションが高難易度すぎて無理だ。
だから今、こうして萌奈と話していること自体が現実味がない夢のように思えた。
「そんな松永先輩に一つ提案なんですけど!」
唐突な言葉に、貴也は思わず身構えた。
「て、提案…?」
「はい!今度一緒に悪伝の展示会場に行きませんか?」
「っ!?」
思わぬ彼女からの誘いに、貴也は言葉を失った。
――まさに青天の霹靂。
思考が止まって、貴也は危うくサドルからずり落ちかけた。
◇ ◇ ◇
「なにを着て行けばいいんだ?」
鏡の前で、貴也は自問自答した。
まるで少女漫画のヒロインがするように、貴也はベッドに広げた衣服を見ながら、あーだこーだと考えあぐねる。
萌奈と出掛けることになって、慌てて本屋に駆け込み、オシャレなファッション誌を読み漁ったものの、高校生のバイト代では到底買えないハイブランドの服、一度も着たことがないようなおしゃれ着ばかりしか載っておらず、参考にならなかった。
『非モテ』と自称している貴也は、この時になって初めて「イメチェンしよう」と胸の中で誓いを立てた。
「無難に…これでいいか」
シンプル・イズ・ベスト。
半端ヤケクソになりながら、貴也はいそいそと手に取った服に着替えた。
「松永先輩」
先に待ち合わせ場所に来てきた萌奈が、やってきた貴也に声をかけてきた。
クリーム色のパーカーと膝下丈の紺色のプリーツスカート。
斜めに寄せた前髪には、淡いピンク色のシンプルなピン止めが留められている。
とてもシンプルな服装であるが、そもそもデートという意識はないだろうから無難な装いである。
小柄な萌奈と背の高い貴也。
傍から見ても、二人にはかなり身長差があった。
そのせいで、自然と上目遣いで見上げてくる萌奈に、貴也の頭の中は「可愛い」という感情しか湧いてこなかった。
「松永先輩の私服姿、初めて見ました」
萌奈は少し照れたように笑いながら言った。
「そ、そうだよね」
学校以外に会ったことがないのだから当たり前だ。
萌奈は純粋に思ったことを口にしただけだろう。
そこに他意はない。
それでも貴也は、何か言葉を返してあげたい気持ちになった。
けれど、どんな言葉がいいのか、分からない。
『君も可愛いよ』
なんて言葉が一瞬だけ浮かんできたが、さすがに恥ずかしくって口に出せなかった。
そのとき、萌奈が貴也の袖をちょこんと掴んだ。
「そろそろ電車が来る時間ですよ」
萌奈に促されながら、貴也は駅のホームへ向かった。
電車の中では、萌奈が他愛のない話をして、貴也はただ相槌を打つ。
終始、その繰り返しだった。
まるで言葉に反応するだけのぬいぐるみのおもちゃ状態の貴也に対しても、萌奈はとても楽しそうだった。
そして目的地の駅にたどり着いた二人は、そこから展示会が開かれている大きな建物内へと入った。
入口にはゲームキャラクターの等身大パネルが並び、訪れたファンたちがスマートフォンをかざして撮影をしている。
その光景を見た瞬間、一気に胸の奥が高鳴った。
会場の中には【悪道討伐伝・羅刹記】の制作の資料や未公開のイラスト、主要キャラクターの製作衣装など、数多くの展示物が並んでいる。
二人は懐かしくなりながら、時折会話を交わしながら熱心に見て回った。
「私、この人のイラスト大好きなんです」
壁にかけられた“ある展示物”の前で、萌奈は静かに呟いた。
彼女が見上げているのは、ゲームのパッケージにも使われている巨大なタペストリー。
その横顔はとても輝いていて、貴也はつられて笑みを深めた。
「私、こう見えて、趣味で絵を描いてるんです」
今度は貴也の方を向いて、萌奈が言った。
「でも、美大に通っている兄から全然ダメって言われるんです。ま、自分でもまだ見せれるほどの自信はないし……それに、上を見たらキリがないですからね。同じく絵を描いている人のSNSを見ても…ほんと上手い人ばかりで。でも…でも、やっぱり描くのが大好きだから」
いつも饒舌な萌奈が、この時ばかりは少し歯切れが悪かった。
無理にでも笑おうとするその表情を見ていると、貴也の胸は締めつけられるようだった。
それでも貴也はただ黙って耳を傾けていた。
「――このイラストが、私が絵を描きたいと思ったきっかけなんです」
「そうなんだ…」
貴也もこのイラストの絵柄は好きだった。
キャラクターの性格や個性がうまく表現されていて、服装や小物も細部まで緻密に描き込まれている。
たまに、キャラクターのエピソードに因んだ小道具が散りばめられていて、そんな隠し要素に遊び心があって胸が踊る。
そしてキャラクターたちは本当に生き生きとしていて、とても魅力的だ。
『萌奈のイラストを見てみたい』
ふと、貴也はそう思った。
けれど、彼女の苦しげな横顔を見てしまったら、とても言葉に出せない。
「私の絵、見てみたいですか?」
貴也が言いたかったことが顔に出ていたのか、萌奈の方からそう言ってきた。
「うん」
即答した。
「…見てみたい」
そう口にした瞬間、貴也はやっと彼女と向き合えた気がした。
「これなんです」
会場近くの公園のベンチに腰掛けた萌奈は、リュックから取り出したタブレットを画面を操作し、貴也へ差し出した。
――画面に映っているのは、自作のキャラクターらしい。
桜色の髪に、琥珀の瞳をした巫女が、神楽鈴を手に桜吹雪の中を舞っている。
画面に引き込まれそうなほど、幻想的な絵。
貴也は素直に「上手い」と思った。
「美大の兄から見たら、この陰影のつけ方は駄目らしいです」
萌奈は兄から指摘された箇所を指差しながら、説明を続けた。
「あと、背景と人物の馴染ませ方が良くなくって。全体で見るとキャラクターが引き立たないような視点になってるって。遠近法で背景と手前を“ぼかし”してみたんですけど…まだまだ甘いって言われて……才能ないのかなって」
絵が描けない貴也には、その評価の妥当さは分からない。
けれど、春風に舞う桜の中、桜の化身のように踊る巫女の姿は、どこか萌奈本人と重なって見えた。
技法のことは何一つ分からなくても、その絵からは温かさと優しさが確かに感じ取れる。
「えっとさ。…お兄さんが指摘してるのは、描き方というより…その、見せ方?についてだよね」
「え、あ、そうですね…」
何を言いたいのかと思いつつ、萌奈が小さく頷く。
「たぶんだけど、お兄さんは…か、柏木さんの絵を否定してるわけじゃなくって…美大生として、もっと良くするための技法や知識を教えてあげたいんじゃないかな。いい絵だからこそ、あえて厳しく言っている、のかも」
貴也の言葉に、萌奈は押し黙って考え込む。
「俺は…柏木さんのイラスト、すごくいいと思ってる」
言った瞬間、貴也の顔が熱くなった。
「…松永先輩」
名を呼ばれて、貴也が萌奈の顔を見る。
すると彼女は飛び切りの笑顔を浮かべていた。
「ありがとうございます」
「え、あ、いや…その…」
萌奈の笑顔に動揺した貴也は、視線をあちこちに彷徨わせた。
「…柏木さんは才能あると思うよ。でも俺は…ああ…えっと、俺にも夢が一応あってさ。でも、叶えられるほどの才能があるかどうか…正直分かんないんだよね」
貴也は間もなく大学受験を迎える。
理数系が得意で、機械をいじるのが好きだという理由で理工学部を志願していた。
けれど、その選択はまだ誰にも告げていない夢に関係していた。
「松永先輩の夢って?」
萌奈が真剣な顔で尋ねる。
「……ゲームのプログラマー」
貴也は自信なさげに、小さく呟いた。
「すごい!」
萌奈が、素直に目を輝かせる。
「進路で悩んでいた時にね。……俺も、悪伝みたいなゲームを作りたいって思ったんだ。プログラマーになるのに資格は特に必要はないんだけど、スキルは必須だし、ソフトウェアとかネットワークについての知識も身につけないといけないしさ。…あと、意外とコミュニケーション能力も大事らしいんだよね」
最後の一言は、貴也にとって最大の難所だ。
真面目な顔で言う彼を見て、萌奈は「ぷっ」と吹き出した。
「あ、すみません。じゃあ、いっぱい人と話して、コミュニケーション能力を磨かないとですね。特に松永先輩は、女子といっぱい話す練習をしないと」
「え…それは厳しそう…」
「あははっ!そんなに難しくないですって!!」
弱気な貴也に、萌奈は楽しげに笑い飛ばした。
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「ーー…で、今日の打ち合わせに来るイラストレーター、SNSですげぇ話題になってる子なんだって。ディレクターがその子を知ったのは、たまたま眺めてた画像サイトの投稿だったらしい」
「あ~、前に俺らに見せてきたやつ?」
「そうそう。下積み時代はそこで描いて稼いでたらしくてな。それで今回が、ゲームイラストとしては初仕事らしい」
「えっ、それ、大丈夫なんすかね?」
後輩がそう言い終えた時、ちょうど目的の部屋の前に着いた。
「問題ないよ、彼女なら」
さっきまで資料に目を通していた貴也が、迷いなく言い切る。
「彼女…?」
一同が顔を見合わせる中、貴也は扉の前に立ち、コンコンとノックした。
「おう、松永。紹介する、こちらーー」
ディレクターの言葉に続くように、背を向けていた栗色のセミロングの女性が立ち上がり、振り返った。
「あ、モナです!よろしくお願いします」
後輩が「可愛い」と惚けたように呟く。
その瞬間、貴也はそいつの腹を肘鉄で小突きたい衝動に駆られた。
しかし――
「松永先輩、お久しぶりです」
萌奈は桜の蕾が綻ぶような柔らかな表情で、貴也に笑いかけた。
「顔合わせの直前に資料を見てさ。びっくりしたよ」
「ふふ、ディレクターさんに“当日まで内緒で”ってお願いしてたんです」
「なんで?」
「それは、もちろん驚かせたかったからですよ」
萌奈のしたり顔に、貴也は苦笑いをしながら、ふと懐かしむように遠くを見つめた。
貴也が高校を卒業して上京した後、二人のやり取りは自然と途絶えた。
しかし、互いへの関心が消えたわけではなかった。
二人には、一緒に叶えたい「ひとつの夢」があった。
どんなに離れていても、その夢が二人を繋ぎとめていた。
そして、その夢は十年越しにようやく叶おうとしている。
「松永先輩、大変お待たせしました」
「いや、待ったつもりはないよ」
萌奈が申し訳なさそうに言うと、貴也はやわらかく微笑む。
本当は、いつだって萌奈に会いたかった。
けれど、萌奈が夢を叶えるために頑張っていると知っていたから、この想いは胸の奥にしまいこんでいた。
そして今、『待った』という感覚は陽だまりのように溶けて消えた。
「――こうしてさ…それぞれの夢が叶って“一緒にゲームを作る”って夢まで叶えられる…なんてね。本当に嬉しいよ」
貴也がしみじみと呟くと、萌奈は微笑みながら頷いた。
「私も嬉しいです」
「あ…あのさ」
ふいに萌奈から視線をそらして、貴也が歯切れ悪く言葉を濁した。
「? なんですか?」
萌奈が首を傾げる。
「これから、その――“萌奈”って呼んでいい?」
緊張しすぎたせいで、貴也の声は不自然なほど裏返っていた。
何を言われたのかと、萌奈は一瞬キョトンとした。
そのうち、みるみるうちに耳まで顔を真っ赤にさせた貴也を見て、萌奈は「ぷっ」と吹き出す。
「もちろんですよ。この勢いで付き合っちゃいますか?」
冗談にも本気にも聞こえるその言葉に、貴也は反射的に叫ぶ。
「えっ……ええぇーーー!!!!」
顔を真っ赤にして慌てふためく貴也を見ながら、萌奈はお腹を抱えて笑った。
