見出し画像

新型登場!!バンキシャの幼ヒサちゃんが広島2日目でデビュー??ヒロシマの母をAIで調べたら運命の分かれ道を祖父が作っていた🙏

悠仁さんのこのたびの広島行きが、「別ヒト」ワードで話題になっています。

🤢私も、異和感でイッパイだよ・・・・


昨年9月の

大阪万博で、二人一役の日替りキャスト興行だった悠仁さん

について、当時、私のノートに書いたとおり👇️👇️


・大阪万博1日目は

チック有り+耳たぶカクオ+頬骨が出ている。

男らしい顔立ちで、肩のあたりもがっしり(フェイク筋肉かもだが)、顔の表情が豊かです。
【悠仁さま】スーツで初の単独公務 大阪・関西万博「日本館」など視察「日本の技術力によってどのような将来が導かれるのかというのを見せていただけた」 1日目/映像まとめ(2025年9月24日 ANNnewsChannel より


・大阪万博2日目は

チック有り・しかも時とともに止まらないほど激しくなる+耳たぶスボミ+頬骨は目立たない。

平らな顔立ちで、やさしげ。歩き方もナヨナヨしている。
【悠仁さま】「皇居より広いですね」大屋根リングなどを視察 午後は秋篠宮さまとともに 笑顔こぼれる場面も 成年式後初の単独公務【大阪・関西万博】2日目/映像まとめ(2025年9月25日 ANNnewsChannel より


ちな、チックの出方は、カクオくんは両目で軽く素早く、スボミちゃんはとくに左目をぎゅっとつぶる(右目ウインクはめったにない)ことが多い。
👆️どちらかがわざとチックして合わせているのかもしれないけど。


それが今回、広島では。


・広島1日目の原爆慰霊碑はよくわかりませんが、夜のジャンボリーでのあいさつから耳たぶスボミと推測。

【速報】悠仁さまが広島の原爆慰霊碑に供花 公的な訪問での被爆者慰霊は初めて 日テレNEWS

【最新映像】悠仁さまのおことば 公的な行事で初めて 日本スカウトジャンボリーに出席(2026年8月7日)|TBS NEWS DIG
(👆️”指の数がおかしい”という声があがっているそうですが、少なくともこの動画ではおかしくないと思います)

FTM状の声や話し方が、成年会見のイヤホンカンニング高校卒業筑波大学入学会見の子にとてもよく似ている=耳たぶスボミ

スピーチ後、ステージから降りて歩く様子や手の振り方も女子っぽい。

チックは無い。チックが出ないよう治療か訓練をしたのかもしれませんし、献花やスピーチが短時間ゆえ症状が出なかったのかもしれない。


・そして広島2日目は

【ノーカット】悠仁さま 広島・福山市の博物館に足を運び「草戸千軒町遺跡」を再現した展示を鑑賞(2026年8月8日)|TBS NEWS DIG

チック無し+耳たぶカクオ「なのに」頬骨が出ていない!!:

5:20よりスクショ

にゅにゅにゅにゅ!ニュータイプ登場=!!🤯🤯🤯


😱こ、このニュータイプ・ヒサは、いったい・・・


ヒントはコレかも、と思ったのが、その日の朝食づくりです:

【ハイライト】悠仁さま広島・神石高原で中高生ら集うキャンプ大会に出席、豚汁作りや丸太切りも(2026年8月8日)|TBS NEWS DIG


4:19スクショ

👆️👆️やっぱり「耳たぶカクオなのに頬骨は出ていない」ヒサちゃんの後ろで、タメ口きいている青いシャツに赤いスカーフの若い男性。あのバンキシャで「親友の1人としか思えない」と発言した子に見えるんですけど、わたくし。


で、このたびの広島キャンプ朝ごはんづくりシーンのどこかの報道で、この男性がヒサくんの後ろでニカっと笑ってる横顔の、大きな歯が並んだ写真(今探しても見つかりません。ご存じの方は教えてください。)を見て、「あれ?あの子じゃん!!」って思ったんですよ。

でも、ジェミニ3に動画を見せて同一人物かどうか聞くと、「別人です」と答えました。
皆さんは、どう思われますか?


他人の空似かもなのだけど、そのおかげで、

🧐あのバンキシャ時のやけに幼いヒサちゃんが、その後、成長し(成長させられ)、今、広島でデビューした(させられた)


という可能性に思いいたったのです。

だって、顔や首がとことん白いし、周りの、というか下々の、という位置で働いている中高生男子の真っ黒に日焼けした精悍な顔つき(こわばった表情?)に比べたら、表情も仕草もまさに「性別が違う」レベルのかわいさ・初々しさに満ちてるんだもん・・・・


***追記***

コメント欄に、きさらぎさんより
「顔は白いのに腕だけ日焼けしているのが不自然」との指摘をいただきました。

私も、ヒサくんの腕が男らしく作ってあるなあと思いました。
筋トレして、日焼けさせて。AIに聞くと、アミノ酸のサプリメント(アルギニンやシトルリン)を筋トレ前に飲むと、安全に強い「パンプアップ(血管の浮き出し)」を得られます。とのこと。
夏キャンプ朝食づくりの剥き出しの腕はシナリオにある見せ場なので、とうぜん準備したでしょう。

***追記終わり***


ちなみにこちらは、エトセトラジャパンさんの
【YOUR VOICE】悠仁さまが中学生にも見えるのは、1号の聴覚障害と発達面の問題が3歳あたりで確定し、造り直したから?:

👆️この子! 去年のこの幼顔の「大学1年生」が、今年の広島二日目に登場した子だったら納得いきます。

逆に、去年の大阪万博1日目のキリッと大人っぽいカクオくんが1年後、これほど幼児化するのは自然の摂理に反している。


そして後頭部の「盛り髪」まんじゅうが、男性ホルモン投与から6年以上経った副作用の証のようでたいへん悲しいことも、大事なことなので付け加えておきます:

6:59よりスクショ
9:16よりスクショ


😢😢😢😢・・・・


さて、広島。そして原爆。

私は、8月6日、81年前に広島で被爆した母のことを調べていました。

当時の母のことは、アメブロに書いて(描いて)います:

私はしつこく
「どうして? 原爆の被害の様子を見たんでしょ?」
と食い下がりました。

母は視線を落とし
「それは・・・いろんなものを見たよ・・・」
とだけ、言いました。

それ以後も、母は一言も原爆については話しません。

死体を焼いていたというのは、当時、母の今は亡き父から、母の妹が聞いたものでしょう。


原爆の爆心地から3キロほど離れていたおかげで、それにおそらく、建物の中にいたのかもしれません、母は熱線や熱風でやけどすることはなかったようです。

でもその後、高熱を出して寝込みました。

原爆下の広島のことはいっさい語らなかった母ですが、この熱と、何本もの注射によって腕が紫に腫れ固まり、あらたな注射をうつ場所さえなくなってしまったことだけは話してくれました。


👆️👆️この、母がいた看護学校について、私は「宇品にあった」ということしか聞いていません。

これまでも何度かネットで調べてはみたのですが、よくわからない。

でも今、AIというものが登場。
質問してみると、出典を確認する必要はありますが、かなり詳しい様子を教えてくれたのです。

まず、原爆投下時の午前8時15分、母は寄宿舎にいただろう。
当時は多くの建物が木造だったが、宇品は爆心地から4キロメートル離れていたので、倒壊することはなかった。このことは、熱線を直接浴びてやけどすることからも守ってくれた。

だが、原爆投下から約1時間ほど経つと、宇品の施設には「市内から皮膚が焼けただれ、血を流した無数の被爆者」がトラックや舟艇で次々と担ぎ込まれてきた。被爆者たちの体に付着していた放射性物質(死の灰や黒い雨の成分)に直接触れ続けた。

熱線や爆風からは逃れられたものの、救護活動の中で大量の放射線を体に浴びてしまった(二次被爆)。その放射線が骨髄を破壊したため、2〜3週間の潜伏期を経て、原因不明の40度近い高熱が出ることになった。


その頃の様子について、例えばこうした資料があります。


・被爆時15歳(母は16歳)、日本赤十字社広島支部病院救護看護婦養成所に通っていた方の手記:


・母より1歳年上で、日本赤十字社広島支部甲種救護看護婦養成部にいた方:


・広島赤十字救護看護婦養成所の学生だった方:
https://www2.nhk.or.jp/archives/articles/?id=C0060291


陸軍病院宇品分院。広島原爆投下後に開設された臨時の軍事医療施設で、爆心地から南東約4.1キロメートルにあった旧・陸軍船舶練習部等の建物を利用し、最盛期には6,000人以上の被爆者や負傷兵を収容した:


49 野宿する中、あちこちで遺体いたいが荼毘だびに付されうめき声が聞こえていた
1945(昭和20)年8月6日午後10時頃ごろ
爆心地から約3,500m 宇品町付近:


収容され治療を受ける負傷者、夜には亡くなった人が火葬される



そして・・・

AIの答には、私がこれまでまったく思い至らなかったものがあったのです。

AIは、私の母の父が、電車に乗れるところまで乗り、その後は歩いて母を迎えに行ったことについて、

「もし、お父さまが迎えに行かなければ、そのまま二次被爆を受け続け、死んでいたかもしれない」


と答えたのです。

😱わたし、そこまで考えが回らなかったよ・・・


上にあげた手記の被爆者さんたちは、休むこと無く患者のために働き続け、帰省された方も自発的にではなく 
>8月6日から、20日ほど過ぎたころ、1週間交代で帰省することとなった< >10月半ば、やっと1週間の休みをもらい< 
というありさま。

でも、
>他の生徒も治療のために自宅へ戻ったり、家族が迎えに来たりして、残っている人はわずかでした。<
という記述もあるので


母の父(私の祖父)が迎えに行ったという、そのおかげで、母の「帰省」が早まった可能性は高い。

それで母は生き延び、私が生まれ、私の子どもも生まれたのかもしれない・・・


じいちゃんが、あの時母を迎えに行ったか、行かなかったか。

あれって運命の分かれ道だったんじゃん!!!!


・・いや・・・

こんなことは、どの家族にも、家系にも、大なり小なりあるはずですが、ヒロシマのあの時の祖父の行動が、こんな意味を持っていたとは・・・


正直、母方の祖父は私とはほとんど交流がなく、私が中学生の時に亡くなってしまったのですが、

ありがとう、じいちゃん!!(TT)


ヒサくんsも、テレビカメラの前で一見華やかな出演者たちさえ、強制的な手術や訓練を施され、その子自身の人生など無い過酷な日々を送っているはずです。

母を迎えに行ってくれた祖父のように、ヒサくんsの親たちも「我が子」らを大事にしてください・・・🙏🙏🙏🙏🙏



いいなと思ったら応援しよう!