連載小説「ミケランジェロがコタツで死体」(第3話/全8話)
本作は連載小説のうち、第3話です。
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(第3話)
ママは数が数えられない。
ゼロと1の差は分かっても、1個と2個の差は判別できない。「ある」か「ない」か。それがママに出来る唯一の判断だった。
一枚の一万円札と百万円の束を見比べても、どちらが多いか分からない。一万円札が「ある」としか感じないのだ。
冬子はよく「ママに二回叩かれたら、諦める事ね」と言っている。ママは叩いた事は覚えているが、何回叩いたかは分からない。二回叩こうと思っても二回では終わらない。手が痛くなって止まる頃には、叩かれた顔は腫れ上がり、鼻血が流れている。その血が服に付けば、違う色の服を着たと言って、痛さに顔をしかめながらも、ママはまた叩き始める。
諦めるしか無いのだ。そうすればまだ楽に意識を失える。そういう意味らしい。
「お昼ごはん2皿しか無いよ……」
冷凍食品の乗った皿をレンジに入れながら、春子が呟く。ごはんを温めるのは春子の役目だった。
「秋ちゃんに任せるとどうなるか分からないよ……」と言って手伝わせてくれないのだ。シチューを蒸発させた事のある秋子は何も言い返せなかった。冬子は最初から手伝う気が無い。
秋子達の昼ごはん用の白い皿はきっちり3枚あり、全ての皿に盛る事で、数が数えられないママでもちょうど3皿用意出来る。「空っぽの皿が無い」状態までごはんを作るのだ。
秋子達はそれをレンジで温めて食べる事になっていた。 だが、2皿しか用意されていない事はよくあった。例えば皿を割ってしまったような場合でも、ママはあくまでも白い皿全てに料理を盛るだけだ。皿が少なくなれば、用意される料理も少なくなる。そんな場合は、春子がすぐに買いに走る。
「へぇ、2皿しか無いんだ? 今日はどうしたんだろうね」
「ああ、私が食べたの」
「冬子、あんたも今帰って来た所でしょ」
秋子はそう突っ込んだが、冬子は軽く笑って「だから私はいらないわ」と言った。ダイエットでもしているのだろうか。
レンジの中では、昼ごはんの皿がオレンジ色に染まって回り始めた。なるほど、夏子の言葉では無いが、コタツの中とレンジは似ている。暖かい物はなぜオレンジ色になるのかしら。一瞬そう疑問に思ったが、すぐに考えるのをやめた。こんな事が分かってもノーベル賞はもらえそうにない。
「冬子、さっきの話だけど、あんた何するつもりなの?」
レンジがの小さな唸り声を背中に受けながら聞いてみた。冬子はさっき、ミケランジェロを殺しちゃおうと言った。だが、そんな事が簡単に出来るなら、ミケランジェロがここまで大きな顔をしていられるはずも無い。
ミケランジェロは、ママに寵愛されている。もし何かしたら、きっとママからお仕置きされる。だから引っかかれても噛み付かれても、秋子達は仕返しが出来ないでいたのだ。
「もし何かしてママにバレたら、たぶん酷い事になるよ」
「バレなければいいのよ。私達がやったって分からなかったらね」
「推理小説みたいに完全犯罪でもやる気?」
冗談半分にそう聞いてみる。もし推理小説だとしたら、私達が犯人、ママが探偵役って事になるのだろうか。それなら相手が悪すぎる。ママ探偵は、どんなトリックがあっても気にせず、疑わしい私達を拷問して白状させるだろう。それで事件解決。そんな推理小説、斬新過ぎる。
「私に任せて、絶対バレない」
冬子は自信のありそうな余裕の顔で言う。
「方法は簡単よ。さっきもちょっと言ったけど、コタツの中に閉じ込めて蒸し焼きにしてしまうの。刺されたとかならともかく、熱で死んだのなら事故って事に出来るわ」
確かに夏子の部屋にあるコタツは持ち主に似たのか、部屋の赤さに毒されたのか、最大出力にすると狂ったような熱さになる。秋子達でも居眠りをしてしまって火傷を負うなんて事があった。中に閉じ込めてしまえば、猫を死に至らしめる可能性は十分にあった。
猫が自分からコタツの中に入り込んだものの、ぐったりして出て来たなんて話も聞いた事がある。普通なら事故に偽装する事も出来るかも知れない。だが、隠し事をするには相手が悪すぎる。
「冬子、相手はママよ? 疑わしきは拷問、って感じで白状させられるに決まってるじゃない」
「安心して、疑われる事すら無いわ。相手がママだからこそ絶対にバレない」
冬子は本当に魔法を使えるのかもしれない。そう思った。不安の欠片も無い声と表情を見ていると、根拠の無いその言葉が、信じられる気がしてくる。
「冬ちゃん、私もそれで良いと思う」
魔法にかかったのだろうか。そう言ったのは春子だった。普段どおり小さな声だったが、あくまでもはっきり賛成の意思を口にした。引っ込み思案な春子には珍しい事だ。
春子は特にミケランジェロに苛められる事が多かった。部屋に入り込まれた時など、服を全て破られ、春子自身も全身を引っかかれた。その傷が膿み、高熱を出してしばらく寝込んだ。そんな記憶が春子を積極的にさせたのかもしれない。
「春子は賛成みたいだけれど、どうするの?」
冬子に促される。たぶん秋子が賛成すれば、計画は実行される。
「秋子だって何度も何度も酷い目に遭わされているでしょ」
「そんなに何回もやられてるっけ?」
「ええ」
確かに秋子もミケランジェロは大嫌いだ。ママの前で首元に噛みつかれ、流れた血で服を汚してしまった事もある。当然その後は死ぬほど叩かれた。顔が腫れてゆく秋子を横で見ていたミケランジェロの、いやらしい目つきは忘れられない。そのくせ、ママには甘えて擦り寄ってゆく。
狡猾で姑息な猫だ。殺す事自体には何の罪悪感も無い。 だけどその後のママのお仕置きは怖い。バレれば、たぶん叩かれるだけでは済まないだろう。想像力の及ぶ限りの苦痛を思い浮かべても、恐らくは足りない。それぐらいのお仕置きを受ける事になる。
「……どうやってバレないようにするつもりなの?」
「それは内緒。でも絶対にバレない。それだけは誓うわ」
「本当に? 神に誓う?」
「もちろん。やおよろずの神にでも、ゼウスにでも何でも」
「オーディンにも、天照大御神にも、阪神にも誓う?」
「阪神は神様じゃないわ。でも何にだって誓える。だいたい、もしママにバレたら私だって酷い事になるんだから。確信が無ければやらないわよ」
確かにそうだ。冬子はバカじゃない。本当に何か考えがあるのだろう。もしママにバレないでミケランジェロが殺せるなら、それは理想的だ。
冬子の目を見る。どんな考えがあるのか分からないが、本人がバレないと確信しているのは間違い無さそうだ。
「分かった」
冬子を信じてみよう。そう思って秋子は言った。
「ミケランジェロを殺そう」
「そうでなくちゃね」
冬子が微笑みを浮かべながら、子供をあやすように秋子の頭を抱く。「一緒にやろうね」と言いながら、春子も笑って秋子の腕に抱きつく。この場面だけを誰かが見たら、仲の良い姉妹の微笑ましい姿にしか見えないだろうな、と思った。間違っても飼い猫を殺す計画を立てているとは思わないだろう。
回っていたレンジが「チン」と音を立てて止まった。
「ミケランジェロへの仕返しが始まる、その開幕ベルみたいね」と冬子が呟く。
「お昼ごはん開始の合図じゃないの?」と返すと、冷ややかに睨まれた。
お昼ごはんを済ましてから部屋に戻ると、夏子は先ほどと全く変わらぬ姿勢でコタツに包まれていた。お腹のあたりまでコタツ布団に包まれ、こちらまで笑顔になってしまうような幸せそうな顔でふにゃーとしている。
「夏子、ミケランジェロはまだコタツの中に居る?」
冬子が聞くと、夏子が答えるより早くコタツ布団がめくれて、ミケランジェロが顔を出した。一声威嚇するようにヒステリックに鳴いて、またコタツの中に戻って行く。
夏子はやはり唄うように「ミケランジェロは夏の中。コタツで加熱、ほっかほか」と言った。秋子達は顔を見合わせて頷き合った。
「電源コードがあるでしょ、それをコタツの周りに巻きつけるの。四隅の脚に引っ掛けてね」
冬子が正方形の掘り炬燵を指差しながら、詳しい説明を始めた。殺し方の説明なのに、目を輝かせて嬉々としている。
「コタツ布団を押さえつけるように巻きつけるのよ。脚の一番下に窪みがあるでしょう? あそこに引っ掛けるようにすれば、きっちり止まると思う」
「それでコタツが密閉されるってわけね」
「そう、コタツ布団の壁が出来るわ。あとはその四面の壁を一人ずつ担当して、コードをしっかり押さえておく」
冬子が楽しそうに説明するのを聞きながら、秋子も少しワクワクしてきた。調理実習の説明を受けている時のような、何かを作る直前の楽しさ。どのように作ろうかと想像して楽しむ時間のほわほわした楽しさだ。今回作ろうとしているのは処刑器具だが、楽しい事には変わりない。
ミケランジェロの鳴き声が、コタツの中から聞こえてくる。ギャーギャーとうるさいほど何度も喚いている。秋子達が悪巧みをしているのを知って、牽制しているのだろうか。
だがいつもは不快なその声も、今は気にならなかった。もうすぐ消える命なのだから許してやろう。そう思った。死ぬ寸前の者は愛せると言う冬子の気持ちが少しだけ分かった。
「じゃあ、夏子をコタツから出して」
本人に言っても素直に出てくるとは思わなかったのだろう、冬子は秋子達にそう指示した。
「冬子、あんたも手伝いなさいよ」と文句を言いながらも、両脇を掴んで夏子をコタツから引っ張り出す。
夏子は幸せそうな顔のままずるずると引き出されたが、「カタツムリは可愛い、ナメクジは醜い」と歌った。もしかしたら夏子なりの抗議だったのかも知れない。コタツから顔を出している姿は、カタツムリに似ている。
夏子を全部引っ張り出した所で、秋子は「あ」と小さな声を上げてしまった。夏子のつま先を見たからだ。冬子たちのように靴下の先が濡れていた。その濡れ方はやはり冬子たちと似ていたのだ。先ほど考えた『四つ子は靴下の濡れ方も似ている』説はやはり正しかったのか、と思った。これでノーベル賞は私の物ね。
「秋ちゃん、何にやにやしてるの……?」
春子に言われて、慌てて顔を引き締める。とりあえず、後で自分も水溜りを踏んで来ようと思った。
「さあ始めるわよ」
冬子の言葉に、春子が緊張した面持ちで頷く。夏子は「ふにゃ」と言った。肯定か否定かすら分からないその言葉に苦笑しつつ、秋子も頷く。 冬子は赤い赤い電源コードをコンセントから抜いた。コタツの脚にそれを巻きつけようとするが、内側からコードが出ている最初の部分で、上手くコタツ布団が挟めずに手間取っている。
「冬ちゃん、手伝うよ」と言いながら春子がコードを抑える。冬子は「ありがと」と言いながら最初の脚にコードを巻きつけた。
その後は、順調に赤いコードを時計回りに巻きつけていく。脚に辿り着くたびにギュッとコードを強く引っ張って固定する。一番下にあるくぼみに引っ掛けるようにして、脚とコタツ布団と床がぴったりくっつくようにコードを巻きつけてゆく。
「そうそう、コードは二周させるわ」
最初の場所に戻ってきた時、冬子が言った。
「別にいいけど、何で? 一周でも思い切り引っ張れば、きっちりコタツ布団固定されると思うけど?」
「二周させれば、全員がコードを離さない限り、固定されるでしょ。もし誰かが、途中で殺すのが怖くなって手を離したりしても困らないようにね」
一周だけだと巻き終わる所の脚を担当している人が手を離せば、密閉は解ける。一人の意思でミケランジェロを逃がす事も出来るわけだ。確かに春子や夏子は途中で手を離してしまいかねない。だが二周すれば、そんな事は出来なくなる……と言う事らしい。
それにしても、随分と用意周到だ。ミケランジェロがコタツの中に居ると分かってからまだそれほど経っていない。その間にこんな細部まで気が回るものだろうか。
「て言うか、ちゃんと巻けるのかな?」
やる事が無くて手持ち無沙汰だった秋子は、コードを抑えている春子に喋りかけた。赤いコタツは大きくて、脚と脚の間は、秋子が両手を伸ばしてもギリギリ届くかどうかと言う幅があった。コードが足りるだろうか。
「大丈夫、コードも思ったより長いよ。二周は十分巻けるよ」
珍しく春子がはっきりとそう言った。冬子は最初の場所に戻ってきて、二周巻き終わったわ、と言った。コードはまだ余裕がある。
「冬子、ここちょっと緩んでるけど大丈夫?」
最終チェックのつもりで、秋子は指摘してみた。春子の押さえている面のコタツ布団は他の面と違って、ピンと張り詰めていない。コードが内側から出ている部分なので、少し伸ばし損なったのだろう。だが冬子は気にしていないようだ。
「そうね、でもしっかり固定されているわ。コタツ内を密閉するのに問題は無いわ」
その言葉を証明するように、ボフッと布にぶつかる音がして、内側に凹んでいたコタツ布団が、外側に膨らんだ。ミケランジェロが外に出ようとして布団にぶつかったのだろう。ちょうどその場所に居た春子は顔にぶつかられて、とても痛そうだった。だがコードで固定されている部分は少しもズレなかった。
冬子が「ほらね」と言いながら笑う。 これで準備は完了だ。
改めて「今からミケランジェロを殺すんだなぁ」と思った。あまりの感動の無さに自分でもびっくりする。もちろんママにバレる事はまだ不安に思っていたが、殺す事自体はちょっとした出来事ぐらいにしか捉えていない。まあ、嫌いな猫を殺すだけだ。こんなものかも知れない。
「春子はそこでいいわ。夏子はその右側の面。秋子はそのまた右。私は手前の面をのところでコードを押さえとくわ。要するに、春子から反時計回りに春夏秋冬の順番よ」
冬子に指示された通りに、配置に付く。電源コードがガッチリと巻き付いていて、コタツ布団を食い込むようにして固定している。このコードは、全員が手を離さない限り緩まない。そして、その時が訪れるのは、ミケランジェロの命が消えた時のはずだ。
両手でコードを掴む。右側では冬子が見える。左側では夏子がたぶん何も分かってなさそうな顔で笑っている。真正面には、緊張した春子の顔も見える。夏子以外の三人で頷き合う。
「さぁ、スイッチを入れて」
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