連載小説「ミケランジェロがコタツで死体」(第4話/全8話)
本作は連載小説のうち、第4話です。
前回以降を未読の方は、目次ページからぜひ、そちらを先にご覧ください。
■ 目次ページ
(第4話)
「スイッチを入れて」
冬子が言った。その言葉に小さく頷いて、春子がコードをコンセントに刺した。出力を最大に設定する所も見えた。 しばらくは、誰も喋らなかった。だがコタツの中では徐々に熱がその力を増しているはずだ。
秋子は、真っ赤な世界に閉じ込められているミケランジェロの姿を思い浮かべた。もう閉じ込められた事を理解しているだろうか。それともまだ何が起こったか理解できず、徐々に熱くなっていく空気を不思議に思っているだろうか。
閉じ込められる恐怖は秋子達も知っていた。中でもそれを最も味わっているのは、夏子だろう。そう思って正面に見える夏子の顔を見てみたが、何かを感じているようには見えなかった。普段とまるで変わらない。無慈悲な浮世とは隔絶した世界に居るような、幸せに満たされた笑顔だ。とても飼い猫を殺そうとしている最中とは思えなかった。
もしかしたら、今自分がしている事を理解していないのかも知れない。
夏子は昔から今のようだったわけではない。ママにお仕置きをされて、それで狂った。
ママが行うお仕置きに、箪笥に仕舞われると言うのがあった。洋服か何かのように、古い桐箪笥の引き出しに仕舞われる。自分が目を開けているのかすら分からない暗さと、どう動こうとしても体がぶつかってしまう狭さの中で、ただ放置される。
自らの糞尿から発される悪臭と、次第に増してゆく渇きと飢えを感じながら、いつ終わるか分からない暗闇に横たわっているのは、どんな肉体的苦痛よりも堪えた。体と精神の中に悪性の何かが満ちていくのを明確に感じられる。それをどうにか発散したくなる。動きたくて動きたくて動きたくて仕方が無くなる。
だが願いは叶えられない。恐怖と言うより、精神と身体へのストレスで頭が破裂しそうになるのだ。
あの日、枯れたような体をして箪笥から引き摺り出された夏子は、笑っていた。それ以前の夏子は冬子と似ていたような記憶がある。いつでも冷静で、頭の回転が早い。笑う時でも何かを企んでいるような、どこか魔女を感じさせる笑顔しか見た事が無かった。その夏子が、涙と涎で顔をぐちゃぐちゃにしながら、満面の笑みで箪笥から出て来た。少しの曇りすらない、幸せそうな笑顔。悪く言えば知性の欠片すら感じない笑顔を、痩せこけた顔に浮かべていた。
秋子はあの時感じた怖さを未だに忘れられない。箪笥に仕舞われる苦痛は秋子も知っている。だからこそ、そこから出て来た者の顔として、あんな幸せな笑顔は絶対に在り得ないと思った。ジグソーパズルの間違ったピースを無理矢理嵌め込んだような、気分が悪くなる違和感。そこに在ってはいけない物が在る事に対する怖さを感じた。恐怖と言う物は、常識の枠を歪められる事で発生するのだと知った。
「秋子、何ボーっとしてるの?」
左側から声が掛けられて、秋子は顔を上げた。
「ああ、ごめん。ちょっと昔の事を思い出してた」
「走馬灯?」
冬子がすかさず、目を輝かせて訊いて来る。昔を思い出すと言うような話をすると、冬子はすぐに走馬灯に繋げようとする
「すぐに人を死なせようとするな」と否定すると、残念そうに「そう……」と呟いた。
「走馬灯じゃないのは残念だけど、まあいいわ。それより、おかしいと思わない?」
冬子にそう言われて、秋子は辺りを見回した。だがおかしい所は見当たらない。
「ミケランジェロの鳴き声が聞こえないね……」
秋子の代わりに春子が答える。冬子が無言で頷いた。声……そうか、確かにおかしいかも知れない。コタツのスイッチを入れてからしばらく経つ。中は相当熱くなっているはずだ。普通ならとっくに危険を感じて騒ぎ出しているはずだ。だがコタツの中からは小さな鳴き声すら聞こえて来なかった。
「もう熱でやられてぐったりしてるんじゃないの?」
「ぐったりする前に、全く暴れたりせずに? コタツなんて、そんな急に熱くはならないわよ」
嫌な空気が流れた。計画は、コタツの中に閉じ込めて熱するだけ。単純なだけに、失敗すると言う事は考えていなかった。焦点は実行するかどうかと、ママにバレないで済むか。そこしか考えていなかった。
「春子、設定は最大になってるわよね」
「うん。コンセントもちゃんと刺さってるよ……」
春子は振り向いて確かめながら答えた。ならばコタツの中は人間が火傷を負うぐらいの熱さにはなっているはずだ。ミケランジェロが苦しんでいないわけがない。
「一度中を見てみる?」
冬子がそう言うと、春子が猛然と反対した。
「冬ちゃん、駄目だよ! もしかしたらミケランジェロはそれが狙いで、我慢して声を出さないようにしてるのかも……。開けたら飛び出してくるかも知れないよ」
猫がそこまで考えられるとは思えないが、ミケランジェロに限っては絶対無いとは言い切れない気がした。そのずる賢さは十分に知っている。だが冬子は「そんなわけ無いじゃない」と呆気なく言った。
「もうしばらくして何も反応が無いなら、一度中を見てみるわ。もしかしてコタツが故障してるのかも知れない。そうだとしたら、わざわざミケランジェロにコタツ独占させてるだけだしね」
「駄目だよ、冬ちゃん……」
「いいじゃない。コタツが故障してるなら意味が無いし、そうでないならもうだいぶ苦しんでるでしょう。十分仕返しにはなってるわ。もしかしたら静かなのは、もう死んでるからかも知れないしね」
春子はまだ「駄目だよ……」と言っていたが、それは反対意見を伝えると言うより独り言に近い呟きだった。思いつめたような顔をして、俯いてしまっている。
それにしても、冬子はずいぶん似合わない事を言うな、と秋子は思った。コタツが故障しているかも知れないと言うのは同意できる。だが、死んでいなくても苦しんでいるからもう十分仕返しになった、と言うのは冬子の発言とは思えない。
「秋子もそれでいいわよね?」
冬子が決定事項を確認する口調で訊いてくる。確かにコタツが故障しているなら秋子達のやっている事は滑稽なだけだ。だが、そうでないならせっかくミケランジェロを殺せる機会を自ら捨てる事になる。
どう答えようか……秋子はしばらく考えていたが、その結論が出る前に事態は急変した。 部屋の外から「チン」とレンジの音が聞こえた。春子が小動物のようにビクッと扉の方を振り返る。さすがの冬子も予想外の展開だったのか、顔に焦りの色が浮かんでいた。
「まさか……」
秋子は呟いたが、秋子達以外でうちのレンジを動かすのはあの人しか居ない。普段なら外に出かけたら、帰ってくるのは早くても夕方だ。だから安心していた。だが実際にレンジの音は鳴った。神経を集中させると、その足音も聞こえて来た。全身の毛穴が開く感覚をおぼえる。扉の向こう側に居るのは我が家の元凶。ママだ。
「嘘、いつの間に帰ってきてたの?」
そんな事を言っている場合じゃないと思いながらも、つい声に出してしまう。真正面にある春子の顔が、突然北極に放り出されたみたいに青ざめて震えている。右隣の冬子の呼吸も荒くなっている。夏子だけは周りの緊迫した空気から浮き上がるように、縁側で日向ぼっこをしているようなのほほんとした笑顔を浮かべていた。
自分以外の部屋に入る事はママから厳重に禁止されている。さらに夏子の部屋は、ママが居る時以外は鍵を閉めて、夏子を閉じ込めておく事になっている。その法律をどちらも破ってしまった事になる。その上ミケランジェロを殺そうとしている事までバレたとしたら、もう何が起こるかわからない。当然叩かれるだけでは済まない。箪笥に仕舞われるか? それとも沸騰したお湯をお腹が一杯になるまで飲まされるか? ヤスリで腕を削り落とされるかもしれない。それでも足りない!
鼓動が早くなる。想像が加速する。恐怖が血液に乗って、体の隅々まで行き渡った。
「コタツの中に隠れるの! 春子、コンセント抜いて!」
冬子が小声で叫ぶ。震える腕を押さえつけるようにして、春子がコンセントから電源コードを引き抜く。その瞬間、冬子が投げ縄を投げるようにして、コードを外そうとする。だがコタツの角に引っかかって外れなかった。イラつくように、力任せに引っ張る。 ガチャリと鍵をかける音が扉から聞こえる。続いてノブを捻る音。
「あれ?」とママの呟きが聞こえた。秋子達が先に鍵を開けていたので、鍵を開けるつもりで、逆にかけてしまったのだろう。扉は開かない。
「早く!」
冬子の声が飛ぶ。引っかかった所を秋子は慌ててはずした。コードが完全に解けて、押さえつけられていたコタツ布団が開放される。秋子は滑り込むようにしてコタツの中に潜り込んだ。
「あ、痛っ」 コタツの中に入った瞬間、誰かと頭をぶつけてしまった。すぐに正面と右側から春子と冬子がコタツの中に滑り込む。その瞬間に暗いコタツ内に光が射し込んで、斜め左に赤い服が見えた。頭をぶつけた相手は夏子だった。秋子は「あんたは隠れる必要無いのに」と思った。
それが、コタツに入って最初に思った事だ。次に思ったのは、中が意外と熱くなっていないと言う事だ。今コンセントを抜いたばかりなのに、外の空気より少し暖かい程度だ。やはりコタツが壊れていたのかも知れないと思った。
その後でようやく、足元のヌルッとした感覚に気付いた。それに続くように、匂いを感じた。生臭い鉄の匂い。血の匂いだと気付くのに時間は掛からなかった。
「やっと開いたわ」
外から扉の開く音と、ママの声が聞こえてきた。声を殺して縮こまる。最初扉が開かなかった事は気にしていないようだ。どこかに引っかかったぐらいにしか思っていないのだろう。
コタツの上に何かが置かれる音がした。恐らくは夏子の昼ごはんの皿が置かれたのだろう。ママが帰ってくるまで閉じ込められているので、夏子の皿は秋子達の物とは別に用意されている。
「あら、コンセントが抜けてるじゃない」
またママの声が聞こえる。それからコードの擦れる音が聞こえて、突然の夜明けがやってきた。あたりに熱気が充満するとともに、秋子達の頭上にある熱源から、オレンジ色の光が降り注いだ。真っ暗だったコタツの中が照らされた。
その瞬間、ミケランジェロらしきものが目に入った。
らしきもの、としか言いようが無い。
「いーち、にー、さーん……」
夏子が指を差しながら、微かに聞こえるような声でリズムよく唄い始めた。冬子が下を向いたまま固まっている。春子が「密室だったのに……」と呟いた。 夏子が「はちっ!」と言いながら笑顔を秋子の方に向けた。周りがオレンジ色の光のせいで一見すると濡れているようにしか見えないが、コタツの中は血だらけだった。
熱気で更に濃くなった匂いが鼻をついた。それだけでも気分が悪くなる。 とてもじゃないが秋子には数えられない。だが夏子の言葉を信じるなら、ミケランジェロの体は、言葉通り八つ裂きの肉片になっていた。
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