連載小説「ミケランジェロがコタツで死体」(第2話/全8話)
本作は連載小説のうち、第2話です。
前回以降を未読の方は、目次ページからぜひ、そちらを先にご覧ください。
■ 目次ページ
(第2話)
秋子たちの家は広い。豪邸と言っても間違い無いだろう。
和風の建築で、敷地内には秋子には数えられないぐらいの数の離れや蔵がある。会った事は無いが、ママのママが残した『イサン』がたくさんあるらしい。食べた物をむちゃくちゃ消化できるのかしらと言った時、冬子が「そうね」と同意してくれた。物凄く呆れた顔で。
「ただいまー」
声が揃う。この時間にはママは居ない事がほとんどだ。「おかえり」の言葉は返って来ない。それでも秋子たちは「ただいま」を言う事を忘れない。もし万が一でもママが家に居て、「ただいま」を言わなかったとバレたら、お仕置きが待っているからだ。
ただいまに対する返事が無い事を慎重に確かめてから、秋子たちは胸を撫で下ろした。三人の中で高まっていた緊張感が一気に緩む。
「良かった……」
春子が呟く。心からの言葉だと分かる、とんでもなく良い事があった感じの「良かった……」だった。
帰って来た時にママが居るかどうかで、その一日の価値は180度変わる。ただでさえ気の弱い彼女には、最も緊張する瞬間だろう。幼稚園の時に将来の夢を書けと言われて「鍵っ子」と答えた気持ちもよく分かる。
ちなみに秋子はノーベル賞、冬子は米大統領と書いた。
「大統領になれば核を発射できるでしょ。そしたら、人間はみんな死ぬ。他の動物も、虫も、植物もみんな。そんな滅亡の直前、死にかけた地球の全てを私の愛が包むの。瞬間の理想郷よね」
冬子は理由をそう言っていた。秋子はそれを阻止すればノーベル賞がもらえるわね、と思った。
「でもホント春子が言う通り、良かったよね。家はくつろげる場所であって欲しいもん」
「ママが居なくて喜ぶなんて、八歳の少女としては相応しく無いわね」
冬子が靴を脱ぎながら独り言のように言う。
「冬子、あんただって緊張してたでしょ?」
「そんな事無いわ」
冬子は玄関を上がってから振り向いた。その目に冗談の色は見えなかった。
「家族なんて言うのは、皆お互いに愛し合っているのが一番でしょう?」
厳しい口調と真面目な顔に、少し感心したような気分になった。普段冷たい冬子がずいぶん珍しい事を言うものだ。春のせいかしらと一瞬思ったが、まだ一月だ。春の陽気にやられるには早い。
「夏子の部屋行くでしょ? さっさとしなさいよ」
「待って、冬ちゃん……」
冬子に促され、春子が慌てて靴を脱ぐ。夏子の部屋には、立派な電気式の掘りゴタツがあるのだ。本来は各自の部屋には本人以外は入ってはいけない決まりだが、ママが居ない日は、皆でコタツに入るのが日課になっていた。自分の部屋は寒すぎる。
「先行くわよ」
冬子が言い残して、一階の奥の部屋へ向かう。
バランスを崩して転びそうになりながら靴を脱いだ春子も、その後に続いた。その様子を見ながら、秋子はふと気付いた。
「やっぱり顔以外も似るものなんかね」
水溜りを踏ん付けたからだろう、冬子も春子も靴下に水が染み込んでいた。その濡れ方が似ていたのだ。
四つ子は靴下の濡れ方も似ている、と言う事を証明できたらノーベル賞を取れないかしら。そんな事を思いながら自分も靴を脱いで見たが、秋子はあいにく水溜まりを踏み付けた覚えなど無かった。
鍵を開けて部屋に入ると、夏子はコタツ布団に包まれていた。幸せを絵に描いたような顔をコタツの上に置いて「ふにゃー」と言いながらゴロゴロしている。同じ顔をしているのに、どう頑張ってもこんな幸せそうな表情は出来る気がしない。お前はどこの萌えキャラだ、とツッコみたくなる。
この部屋を見て「赤い」以外の印象を抱く人は居るだろうか。
そう思えるほど、夏子の部屋は赤い。別に服装以外はママに色を決められているわけではない。自分の意思で、夏子は部屋にある全ての物を赤くしている。床も壁も天井もベッドも、皆で集まる立派な掘りゴタツも全てが、大した濃淡すらなく真紅に染まっている。
今は辛うじて鉄格子のはまった窓から白い光が差し込んでいるが、カーテンを閉じれば、それすらも無くなる。黄色一色の秋子が言う事では無いが、狂気すら感じる。
そんな部屋の中に浮かぶ肌色の笑顔は、やはり幸せそうで、砂漠の中にポツンと出来たオアシスのように見えた。
「くそう、幸せそうにしてるなぁ」
夏子は家の外に出してもらえない。ママが出そうとしないからだ。
この部屋も外から鍵が掛けられるようになっていて、ママが外出している間は家の中すら自由に動く事を許さない。ママが帰ってくるまでの間、夏子はこの赤い部屋に閉じ込められている。どうやらママは、その存在自体を隠しているらしい。
夏子は他人が簡単に出来る事が出来ない。
こぼさずにご飯を食べる事、靴の紐を結ぶ事、状況に合わせた行動を取る事。そういう事が出来ない。ずっと昔から心の成長が止まっている。ママは、頭に問題があるのと言っていた。それを言うなら、この家に問題の無い頭を持った人間なんて居ない気もする。
それは秋子自身も例外ではない。夏子に問題があるなんて言う権利は誰も持っていない。そう思ったが、口には出さなかった。
とにかく夏子はママにとって隠したい存在であり、だからずっと家に居る。学校にも行かず、寒い日は一日中この赤い部屋のコタツで『冬眠』している。一般的に考えれば可愛そうな子と言う事になるが、この笑顔を見ていると本人は全くそうは思っていないようだ。幸せなんて人それぞれ。誰に言われたわけでも無いが、八歳の秋子にもそんな事は分かっていた。
「こっちは寒空の下、くだらない学校に行っているのに、一日中コタツの中か。羨ましいわね」
冬子がそう言うと、夏子はようやくこちらに気付いたように顔を上げた。
「冬が寒いのは当り前」
その声は言葉と言うよりは、歌に近かった。誰かに向けられていると言うよりは、ただ周辺の空気を優しく揺らすような声。羽毛が舞い降りるように静かに耳に入ってきた。
「秋が寒いのも当り前。春が寒いのは哀しいけれど」
視線を秋子や春子に動かしながら、歌は続く。
「それでも夏は、暖かい」
最後にそう言って夏子はふにゃふにゃと笑い、コタツ布団を被りなおした。この世の幸せを全て集めたような笑顔だった。
「幸せの独占も法律で制限すべきよね」
真面目な顔で冬子に言ってみたが、彼女は軽く肩を竦めるだけで、賛成票は入れてくれなかった。
「まあいいじゃない、私たちも幸せを分けてもらうとしましょう」
「あら冬子、珍しく意見が合うね」
「暖かいコタツの前では宗教の派閥だって統一されるわよ」
「それは言い過ぎじゃない?」
冬子の大袈裟な言い方に軽くツッコみながら、秋子はコタツ布団に手をかけようとした。
しかしその瞬間、ヒステリーを起こした女性のような声が聞こえて、動きを止めた。
コタツ布団がモゾモゾと動き、不機嫌そうな表情をした猫が顔を出した。
「ミケランジェロ……」と冬子が呟く。 家で飼っている三毛猫のミケランジェロがヒステリックな声を上げて、こちらを牽制するように睨みつけた。
冬子の顔が強張る。隣に居た春子は小さな悲鳴を上げて秋子の後ろに隠れる。
「これじゃコタツに入れないじゃない」
秋子はため息をついた。
ミケランジェロは、虎の威を借る狐、ならぬママの威を借る三毛猫だ。
随分前にママが拾ってきて、それ以来ママのお気に入りとして、この家で大きな顔をしている。太っているため、実際に顔もでかい。
「猫を拾って来たわ。名前を考えてちょうだい」
朝から雨が降っていた日、ママはダンボールの中、ずぶ濡れで震えている子猫を拾って帰って来た。自分で考えるつもりは少しも無いようだった。
「三毛猫だし、ミケでいいんじゃない?」
秋子はすぐにそう答えた。よく考えたワケでは無いし、本当にそれで決まると思ったわけでも無かった。ただ、誰かが意見を言い出さないと話が進まないと思ったので、とりあえず発言したみただけだ。
「秋ちゃん、ちょっと安直過ぎるよ……」
安直なのは認めるしかないが、珍しく春子に意見を否定されて、秋子は少しだけ傷ついた。
「じゃあ春子、何て名前がいい?」
「うーん……1つだけ?」
秋子は頷く。そりゃそうだろう、何個も付けてどうする。
「それじゃあミッケ」
「ミケと変わらないじゃない」
「違うよ、ミッケの方が可愛いよ」
「そうかぁ?」
秋子と春子が小さな「ツ」の醸し出す可愛さについて議論し始めていると、冬子が横から「あなた達、どっちも単純ね」と口をはさんだ。
「じゃあ冬子、あんたなら何て名前がいい?」
「ミケランジェロ」
地球は回っていると主張したガリレオのように、皆の知らなかった答えを発表するかのように、冬子は断言した。
「それはアクロバティック過ぎない? 猫の名前っぽく無いじゃない」
秋子は呼びにくそうなその名前を避けようとしたが、すでにママは「へぇ、いいじゃない」と気に入っている様子だ。春子は「ミケランジェロもミッケも、どっちも採用って事にしようよ……」と諦められないようだった。
「よろしくね、ミケランジェロ」
冬子がまだ太っていなかったミケランジェロを両手で抱きかかえ、そう話し掛けた。秋子や春子の意見は完全に無視されたが、まだ凍えている子猫を優しく抱く笑顔を見ていると、ま、名前ぐらい何でもいいかと言う気分にさせられた。
だが時が経ち、ミケランジェロの体と態度が大きくなるに連れ、名付け親の冬子とは完全に敵対するようになった。ミケランジェロは勝手に自分のテリトリーを作り、秋子達がそこに入ると容赦なく噛み付いたり引っ掻いたりする。そのくせ、ママには甘えた鳴き声を出して擦り寄ってゆく。
敵視しているのは秋子も同じ事だ。春子はただ怯えて近づこうともしない。夏子だけはミケランジェロと争う事が無かったが、それは無視されているだけのように思えた。
「なんでミケランジェロがコタツに入ってんのかしら」
まだこちらを睨んでいるミケランジェロを見ながら、秋子は言った。ミケランジェロに限らず猫はコタツが好きなものだが、普段なら夏子の部屋の戸がしっかり閉まっているため、入ってくる事は出来ない。外側から鍵が掛かっているため、夏子が招き入れる事も出来ない。いつの間に侵入したのだろう。
「そんな事どうでもいいわ。問題はミケランジェロが居たら、私達がコタツに入れないって事よ」
冬子が言う。その通りだった。コタツの中にミケランジェロが居るのに足でも入れたら、噛み付かれるに決まっている。
「あ、あのね、秋ちゃん、冬ちゃん」
今日は諦めるしか無いかなと思っていると春子が話し掛けてきた。ミケランジェロが近くに居るからだろうか、とても緊張した顔をしている。
「どうしたの?」
「あのね、うんと……悔しいよね」
「え?」
「せっかくママが居ないのにね、コタツに入れないの悔しいね」
「そうよね、でも今日は諦めるしか無いんじゃない?」
「あ……うん」
春子はまだ何か言いたそうだったが、そのまま口を噤んだ。その様子が少し気になったが、コタツに入れない以上はこの部屋に居る必要も無い。後でミケランジェロへの愚痴はいくらでも聞いてあげよう。
「とりあえず、お昼ご飯でも食べようよ。今日はコタツ諦めるしかないって」
秋子はそう言い、部屋を出て行こうとした。
「ちょっと待って」
冬子が秋子の手を取って、その動きを制した。
「私は春子の気持ち分かるわ、悔しくない?」
「それはそうだけど……冬子、あんた何企んでるの?」
冬子が優しい目で笑う。その笑顔は、幸せそうに笑う夏子の笑顔にも通じる物があった。恐らく冬子にとっての幸せが、その目には映っている。幸せの瞬間が近づいてくる予感に、胸が高鳴っているような表情だった。
「ミケランジェロ、殺しちゃおう?」
冬子の目が静かに輝いている。ナメクジを眺めている時、魔女みたいだと思った事を思い出す。黒い服と不穏な言葉。それに似合わない不自然なほど幸せな笑顔。その不自然さが似合っている、矛盾した感覚。
「今日は寒いから、コタツで温めて上げよう。心臓の震えが止まるまで」
秋子は「ずいぶん優しいじゃない」と返す。冬子は微笑むだけだったが、その笑顔は「もうすぐ死ぬ者は愛しい」と言っていた事を思い出させた。
「さあ、詳しい事はご飯を食べながら話すわ。どうせレンジで作る冷凍食品だけどね」
冬子がさっさと部屋を出て行く。慌てて春子もその後に続いた。
「ミケランジェロも、レンジでチン」
夏子が嬉しそうに言った。どこかで聞いた、猫を暖めるためにレンジに入れてしまったと言う事件を思い出す。確か、猫を暖めてはいけないと注意書きをしなかったからと会社を訴えたと言う話だった。あれは本当にあった話だっけ、都市伝説の類だったっけ。思い出そうとしてみたが、うまくいかなかった。
ただ、ちゃんと殺すために暖めようとしている分だけ、まだ冬子の方が正気よね。コタツの中へ戻っていくミケランジェロを見ながら、そんな事を思った。
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