連載小説「ミケランジェロがコタツで死体」(第1話/全8話)
(第1話)
晴間が見え始めた小学校からの帰り道、春子と一緒に帰って来た秋子は、家の前で立ち尽くす冬子を見つけた。
もう雨は上がっているのに、冬子は黒い傘を差したままだ。傘に残った水滴が雲間から差す光を受けて、小さな輝きを放っている。
「冬子、何してんの?」
声をかけると、冬子は目だけをこちらに向けた。春子が、身を隠すように秋子の後ろに下がる。冬子の視線から逃げているのだ。
「ナメクジ」
冬子が視線を落とした先を見ると、水溜りと水溜りの間で、ナメクジがウネウネしていた。地球の歴史で淘汰されていったはずの生物体系の中で、なぜこんな生物が生き残ったのかと思わせる愚鈍な動きだった。
「もう雨が上がったでしょ。こんなアスファルトの真ん中に居たら、乾いて死ぬわ、この子。こんな気持ち悪い生物でも、もうすぐ死ぬと思うとすごく愛しい」
冬子はそう言って、普段は見せない優しい微笑みを浮かべる。まるで生まれたばかりの娘を見る母親の表情のように思えた。そんなもの、見た事無いけれど。
「やめなよ、悪趣味」
「動物を慈しむ事が悪趣味なんて聞いた事無い」
「もうすぐ死ぬ動物限定なのはどうかと思う」
「生きている動物は、いつか死ぬのよ」
秋子は「呆れた」と肩をすくめて口を噤んだ。屁理屈の言い合いで冬子に勝てるはずも無い。後ろに隠れて一言も喋らない春子と同じ遺伝子を持っているとは思えないほど、冬子は口が立つのだ。
遺伝子が人間の設計図だと言うのなら、作る時に相当大きなミスをしたのだろう。顔は全く同じでも、秋子たち姉妹は全く似ていない。
同じ顔が幾つも並んでいるのが珍しいのだろう。
買い物帰りのオバサンがこちらを見ながら「かわいらしいわねぇ」と呟いていった。独り言なのか、秋子たちに言ったのかは分からなかった。よくある事でもうとっくに慣れてしまったが、無責任な発言だと思う。同じ顔が並んでいるのがかわいいと言うなら、クローン技術が完成したら自分を何人も作るか? 鏡の中に映った自分が急に意思を持って動き出したような気味の悪さを感じるんじゃないだろうか。
「かわいらしいってさ」
同じような事を思っていたのだろう。冬子が見下したように笑う。
「ま、ぶさいくって言われるよりいいんじゃない?」
「そうね、どうせ秋子は一人じゃ、可愛いなんて言われる事無いだろうし」
「あんたも同じ顔だ」
「服がダサいのよ」
犯人はお前だ、と探偵が断言するように、冬子が服を指を指して断言した。
確かにそれは反論の余地が無い事実であって、秋子は言葉に詰まった。 秋子の服は、上から下まで黄色一色だ。濃淡をつける事で何とか普通のように見せようとしているが、靴からダッフルコートまで全て黄色なのは、どう考えても異常にしか思えない。ランドセルも黄色だ。カラーバリエーションなんてものを考えた責任者に文句を言いたい気分になる。
黄色の物しか身につけていないのは、自分の趣味ではない。秋子たち姉妹は顔が全く同じで見分けがつかないため、ママが一人ずつ色を決めているのだ。
秋子は黄色、冬子は黒、春子は白、ここには居ない夏子は赤以外の物を身に付けてはいけない決まりになっている。
前に春子が友達に貰ったピンク色のリボンをして帰って来た事があった。運悪くママにそれを見られた春子は、顔が腫れ上がるまで叩かれた。口から血が流れ、それで白い服が赤くなったと言ってまた叩かれた。
秋子は何も言えず、ただ膨れて行く春子の顔を見つめていた。ママは絶対の法律だった。法律をやぶったら殺されても文句は言えない。そんな事、どの世界でも同じだ。
「やっぱり、春子が一番マシかもね」
秋子は、ため息をつきながら後ろを振り返った。名前を呼ばれた春子が、ビクンと震える。
「秋ちゃん、そ、そんな事無い」
「だって白よ、清楚な感じでいいじゃない」
黄色一色とかだと、頭おかしいとしか思われないわよ、と冬子が口を挟んだ。当然無視する。
「白のワンピースとかさ、おかしいどころか、むしろちょっと憧れるもん」
「でも、すぐ汚れるよ。色変わっちゃうよ……」
「ああ、確かにね」
春子は今にも泣き出しそうな顔になっていた。血が服に付いて叩かれた時の事を思い出していたのかもしれない。
「その点、黒は気に入ってるわ」
唇の端に笑顔を滲ませて、冬子が言った。冬子には確かに黒が似合っていた。
「魔女みたい」
似合っていると言うのは悔しいので、秋子はそう言ってやった。けれど、魔女みたいと言ったのも本心だった。
すでに雲もほとんど消えて、寒いながらも力強い日光に世界は包まれている。その中にあって、黒い傘の陰に包まれた黒色の少女は、どこか違う世界に立っているように見えた。魔女のようなその姿が不自然で、その不自然さこそが似合っているのだ。
「あら、魔女なんて嬉しいじゃない」
「喜ぶか、普通。アニメに出てくるような魔女っ子のイメージじゃないわよ。干したイモリで怪しい薬作ってるイメージよ?」
「死にかけのイモリなら愛せるわ。干したのとか興味ないけど」
「そういう問題じゃないって」
「それに何より、魔法が使えるのよ」
似合わないメルヘンチックな事を言うと、冬子は差していた傘を突然閉じた。陰の中にあった姿が、急に光の中に現れる。その姿がすでに魔法のようだったが、冬子は傘をくるりと回しながら「テクマクマヤコン」と呟いた。呪文が古い。
その呪文を聞いた瞬間、秋子は「なんであんた、そんな昔のアニメ知ってんのよ」と言おうとした。「秋子こそなんで知ってるの」と切り返されるところまで思い浮かべた。だが、実際には言葉が出なかった。古い呪文の後に冬子が続けた言葉が耳に届いたからだ。
「テクマクマヤコン、テクマクマヤコン、ナメクジみたいにママも死ね」
冬子は、生まれたばかりの娘を見る母親のような表情を浮かべていた。足元に視線を落とすと、ナメクジが乾き始めているのが見えた。
水溜りは魔法の鏡のように、秋子たちと晴れた空を映し出している。秋子は、呪文なんてものは古い方が効き目があるのかも知れないわね、と関係の無い事をふと思った。
いいなと思ったら応援しよう!
もし気に入って頂ければサポート(投げ銭)もお願いします。
モチベーションが上がって、更新頻度も上がります。