すべてはここから始まった!驚きに満ちた1970年代のゲーム業界
ゲームが大好きなみなさん、こんにちは!
現代は、実写と見間違うほどの美麗な3Dグラフィックスや、仮想空間に入り込めるVRゲームが当たり前の時代になりましたよね。でも、そんな超ハイテクなゲームたちにも、ちゃんと泥臭くて熱い「原点」があります。
今回は、ゲーム業界の歴史を各年代ごとにゆる〜く振り返っていくシリーズをスタートしたいと思います。栄えある第1回は、ビデオゲームが産声をあげた「1970年代」です!
当時の熱気を、私の個人的な感想や妄想も交えながら書いていきたいと思います。
1. すべての始まり!ビデオゲームの誕生と『ポン』
1970年代の初頭、世の中の「ゲーム」といえば、デパートの屋上にあるようなモグラ叩きや、機械仕掛けのピンボール(エレメカと呼ばれるもの)が主流でした。そんな中、1972年にアメリカのアタリ社から登場したのが『ポン(PONG)』です。
画面にあるのは、2本の白い線(パドル)と、四角いドット(ボール)だけ。これをダイヤルで上下に動かして打ち合うという、今見れば究極にシンプルなテニスゲームです。
これがアメリカのバーに設置されるやいなや、大ヒットを記録しました。あまりの人気に「ゲーム機が故障した」と呼ばれて開発者が修理に行くと、「お小遣いのコインが詰まりすぎて動かなくなっていた」という嘘のような本当の伝説が残っています。
もし私が当時の若者だったら、お酒を飲むのも忘れて、間違いなくコインを握りしめて順番待ちに並んでいたと思います(笑)。この『ポン』の成功こそが、商業用ビデオゲームという巨大産業の第一歩となりました。
2. 日本中がひっくり返った!『スペースインベーダー』の衝撃
そして1970年代後半、日本の、いや世界のゲーム史を語る上で絶対に外せない「大事件」が起きます。1978年にタイトーから発売された『スペースインベーダー』です。
それまでのゲームは「落ちてくるボールを打ち返す」ような受動的なものが多かったのですが、インベーダーは違いました。「敵が編隊を組んで、攻撃しながらこちらに迫ってくる」という、ものすごい緊張感があったのです。
この作品は、日本中で凄まじい社会現象を巻き起こしました。特にユニークだったのが「喫茶店」です。それまでコーヒーを飲んでおしゃべりする場所だった喫茶店のテーブルが、次々とゲーム画面の付いた「テーブル筐体」に置き換わっていきました。大人たちがこぞって100円玉を山積みにし、サラリーマンが仕事をサボってインベーダーに熱中する……そんな光景が日常茶飯事だったそうです。
当時は「100円玉が不足して日本銀行が慌てて増刷した(※諸説あり)」とか、ゲーム代欲しさに不良が集まるからと「学校でゲームセンターへの出入り禁止令が出た」といったエピソードもあります。ゲームが社会のルールすら動かしてしまうなんて、ものすごいエネルギーですよね。今でいう新作スマホゲームの流行なんて比じゃないレベルの熱気が、狭い空間に凝縮されていたのだろうな、と羨ましくもなります。
3. お茶の間にゲームがやってきた!家庭用ゲーム機の「超」黎明期
「ゲームは外(アーケード)で遊ぶもの」だったこの時代、実はひっそりと、でも着実にお茶の間への侵入も始まっていました。
1970年代後半には、エポック社の『テレビテニス』(1975年)や、任天堂の『テレビゲーム15』(1977年)といった家庭用ゲーム機が発売されます。
ただし、今のゲーム機のように「カセットを入れ替えて新しいゲームを遊ぶ」ということはできません。本体を買ったら、最初から内蔵されている数種類のテニスやブロック崩しをひたすら遊ぶ、というスタイルでした。
それでも、「いつもは一方的にテレビ番組を映しているだけの画面が、自分のコントローラー操作で動く」というのは、当時の人々にとって、まさにSFの世界が家にやってきたような衝撃だったはずです。四角いドットが跳ね返るだけで、家族みんなでテレビの前に集まって大騒ぎできたなんて、なんだかとても贅沢で純粋な時代ですよね。
70年代を振り返って
1970年代は、まさに「ゲームという新しい文化が地球にドカンと突撃してきた時代」でした。
技術的には白黒画面に色セロハンを貼ってカラーに見せかけたり、音が「ピコピコ」鳴るだけだったりしましたが、アイデアと「新しい遊びを作ってやる!」というクリエイターの情熱は、今の最新ゲームに負けないくらいアツいものだったと感じます。
さて、ゲームの産声を聞いた70年代はここまで。
お次は、ついにあの「赤い中肉中背の配管工」や「黄色い食べかけのピザのようなパックマン」が登場し、お茶の間にあの伝説の国民機がやってくる「1980年代」へと突入します。
