ゲームセンターの熱狂から家庭用ゲーム機への大転換が起きた「ゲームの黄金時代」1980年代
1970年代に産声をあげたビデオゲームは、1980年代に入ると一気にアクセルを踏み込み、世界中で爆発的な進化を遂げることになります。
大人たちの娯楽だったゲームが、一気に「子どもたちのカルチャーの王様」へと登りつめた、エネルギーに満ちあふれた「1980年代」を振り返ってみましょう!
1. アーケードの主役たちと、世界を虜にした「黄色いアイツ」
80年代の幕開けとともに、ゲームセンターはまさに黄金期を迎えます。その象徴といえば、1980年にナムコ(現:バンダイナムコエンターテインメント)から発売された『パックマン』です。
ピザの食べ残しから着想を得たという、あの黄色くて丸いキャラクターは、それまでの「泥臭い戦争モノ」だったゲームのイメージを180度覆しました。ポップな音楽と可愛いキャラクターは、男性だけでなく女性や子どもたちもゲームセンターに呼び込むきっかけになったのです。アメリカでの人気は凄まじく、「パックマニア」という言葉が生まれるほどの社会現象になりました。
さらに1983年には、背景が美しくスクロールし、独自のストーリーや謎解き要素を含んだシューティングゲーム『ゼビウス』が登場。 当時のプレイヤーたちは「ただ敵を倒す」だけでなく、「この世界には何か秘密があるぞ……!」と、ゲームの奥深さに熱狂し始めました。もし私が当時のゲーマーだったら、ノートに隠しキャラの位置を必死にメモして、友達に自慢していたでしょう(笑)。
2. 1983年、歴史が変わった。ファミコン爆誕!
そして1983年7月15日、日本のゲーム史、いや世界のエンタメ史に永遠に刻まれる伝説のハードが発売されます。任天堂の『ファミリーコンピュータ(通称:ファミコン)』です。
当時の家庭用ゲーム機としては群を抜いたグラフィック性能を持ちながら、14,800円という絶妙な価格設定。実は当時、他にもたくさんの会社が家庭用ゲーム機を出して「戦国時代」のようだったのですが、ファミコンは圧倒的なクオリティで一気に市場をかっさらっていきました。
ファミコンといえば、やっぱり「カセットの端子をフーフーする」というお約束ですよね。画面がバグると、みんな必死にフーフー息を吹きかけていました(本当は端子がサビるのでNGなのですが……笑)。 テレビのチャンネルを「2チャンネル」に合わせて、あの小豆色と白のコントローラーを握る。あの瞬間のワクワク感は、今の4Kや8Kの綺麗な画面を見るのとはまた違う、独特の脳汁が出るような興奮があったのだろうなと思います。
3. 社会現象化するソフトたちと、いつでも一緒のゲームボーイ
ファミコンの登場によって、ゲームは「おもちゃ」の枠を超え、子どもたちのコミュニケーションのすべてになりました。
『スーパーマリオブラザーズ』(1985年)
横にスクロールする画面を、マリオがダッシュして、ジャンプする。ただそれだけの操作が信じられないほど気持ちよくて、世界中で4000万本以上を売り上げました。「Bダッシュ」という言葉は、もはや全人類の共通言語になりました。
『ドラゴンクエスト』シリーズ(1986年〜)
それまでパソコンを持ったマニアだけのものだった「RPG(ロールプレイングゲーム)」というジャンルを、一気にお茶の間に広めました。特に1988年の『ドラゴンクエストIII そして伝説へ…』の発売日には、ソフトを買い求める人が家電量販店の前に大行列を作り、学校や仕事をサボる人が続出してニュースになるほどの社会現象になりました。
そして80年代の締めくくりとなる1989年、任天堂から『ゲームボーイ』が発売されます。 画面は白黒(というか緑色っぽい液晶)でしたが、「ゲームを外に持ち出せる」という価値は革命的でした。乾電池の残量が少なくなって、画面がどんどん薄くなっていく恐怖と戦いながら、街灯の光を頼りに車の中でテトリスをやった……なんて思い出を持つ人も多いのではないでしょうか。
80年代を振り返って
1980年代は、70年代の「点と線」だったデジタルデータに、「マリオ」や「リンク」といった息吹(キャラクター)が吹き込まれ、誰もが主人公になれる物語(ストーリー)が生まれた時代でした。
ハードウェアの制約が多いからこそ、開発者たちはドット絵1ピクセル、BGMの音1音にまでこだわりを詰め込んでいました。あの制限だらけの中で生まれたアイデアたちが、今もなお現役でゲーム業界を支えていると思うと、本当に頭が下がります
さて、家庭用ゲームという大波が日本中を飲み込んだ80年代はここまで。 お次は、グラフィックが16ビットへと進化し、ついに任天堂のライバルとなる「あの青いハリネズミ」や「次世代の黒い刺客」が登場、さらに3Dグラフィックスへの大転換期を迎える「1990年代」へと続きます!
