見出し画像

​秋の夜長に児童文学を。コッローディ作『ピノッキオの冒険』

年に何度か、児童文学や青春小説のようなジャンルを読みたくなる。子どもにむけて作られていても書き手は大人だし、対象年齢はあくまで目安で大人は読まなくて良いという事ではなく今よむ事で得られる発見や学びがあるような気がしています。

それで最近読んでみたのがコッローディ作:ピノッキオの冒険だ。先日書いた記事で紹介したプレイリストの中でディズニー映画「ピノッキオ」挿入歌について書いていて、じつは原作をあたったことがない事にきづき早速読んでみる事にした。

日本での初版は1958年で、古い本独特の読みづらさはなく、翻訳本のためか意外にすんなりと読める。
作者のコッローディはイタリア・フィレンツェ市の生まれで、ご存じの方も多いと思いますがピノキオの人形はフィレンツェやイタリア土産として定番となっている。

お土産でみかけるピノキオ
つり下げて関節も動くタイプ

読みすすめると、確かにイタリアらしいポイントが随所に登場してイタリア好きや伊語の学習者にはたのしい所ではないかと思う。例えば「とうもろこしのお粥の色にそっくりな黄色」という表現でこれは北部で食べられるポレンタ(polenta)の事だと分かるしピノキオが棚を「これで1杯にしたい」と憧れるアンズ菓子もイタリア定番のお菓子の事だと思われる。

肝心のピノキオは、と言えばやはりこれまでアニメや絵本で見ていた表現はマイルドなもので原作の生まれたばかりの彼は中々にひどい。とにかく楽がしたいが全く自我がなく、善悪の判断もつかない。まさに"操り人形"で代わりにその時ごとの欲望だけはあり、その為に守るつもりもない約束をし使ってはいけないお金に手をつける。良心を教えてくれる存在を煙たがり追い払う。

ひもで吊り下げられ自分は脱力し人に動かしてもらったり只言われた通りに動くそんな前半のピノキオ的な生き方は楽かもしれないがはたして本人は楽しいのだろうか。作中には現代にもあるような古典的な詐欺や誘惑のパターンが登場するが、改めて自我をなくし判断を人任せにする事の怖さを感じる。何がどこからが良くないのか分からないと自覚なく犯罪に巻きこまれたり、人の善意を無下にする事が頻繁におこり、最近の若者や大人が巻き込まれる犯罪についてつい思い出すし、自分もそうならないとも限らない。

これだけ見ると最悪なのだが、彼は持ち前の好奇心で方々に飛び出していき、何度も憂き目にあいながらちゃんと自分でそれらを乗り越えるうちに自我や自分の意志も芽生え、だんだんと人間らしくなっていく。ここがこのお話の面白いところで作者が訴えている強い道徳心に反して、ピノキオは勝手気ままで勇敢でいつもどこかをほっつき回り、そんな所が世界中の子供たちをひきつけるのだと思う。主人公が安全圏に引きこもって何もしない人物だと物語にならないし面白くないですから。ウォルト・ディズニーが映画化したくなるのも通読してみると頷ける。

映画化で言えばギレルモ・デル・トロ監督のアニメ映画も独特な解釈で面白かった。ここではピノキオの心が空洞で心がないように描かれていて、オズの魔法使いのTin manを思い出す。

これらを見ると改めて大人も楽しめる作品だと実感して今読んでみて良かったし、これからも児童文学をたのしんでいけたら嬉しいです。秋の読書の選書になにか参考になれば幸いです。
※追記
この記事を書くきっかけ児童文学をもっと読もうと思ったのは最近noteで少し交流させて頂いた、きのころさんの発信を見たことからでした。
「童心」をテーマに沢山の執筆をされているきのころさんの記事もこちらで紹介させて下さい



いいなと思ったら応援しよう!

この記事が参加している募集