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僕は今日もコンビニ飯を食べる

結論から言えば、いまだにコンビニは友達だし、そのお友達が提供してくれるおにぎりは相変わらずしょっぱくてうまいと思ってる。3年は自炊していないってこの習慣が作ったいびつな形の生活に、コンビニは過剰に適合している。

前編があるとしたらこちら↑

限られた時間の中で食べたい。自席で作業しながら食べたい。なるべく睡眠時間を確保したいからお弁当を作って持って行くなんてことは思いつきもしない。そもそもこの時間に食べ物用意してくれるところが他にどこにあるのか。

私は筋金入りの飽き性だが、それを満足させるほどの選択肢があの50坪に詰まっている。自分が選んだ生活だから社会の仕組みのせいになんてできないのはわかっているが、どうしてこんなに解決の糸口が見当たらないんだろうか。

変わったことといえば

一方で変わったこともある。こういうことを考えるようになったことだ。自分の食生活を省みる。食べる時に香りを確認してみる。よくよく噛んで味わって食べてみる。味を分析してみる。食に関する本を読む。料理動画を見る。ここ1週間食について考える時間が多くなった。

僕は筋金入りの飽き性だが幸い毎日少なくとも3回食べる時間というのはあって、何かを口に運ぶ時に、そう言えばと考えることができる。これはいいことかもしれない。


コンビニの嗅ぎ方

この中でも、香りを確認することと、よく噛んで食べることはとても大事だ。そう言えばこんなこと小学校でも聞いたことがある気がする。
アルケッチャーノでの食事で再発見したのは、美しい盛り付けと同時に香りが届くというところだ。
口に運ぶ前にどんな味がするか想像してしまう。その想像から近ければ安心するし、大きく違っていれば驚くべき味だと感じる。そんな仕組みがあるのかもしれない。

ガサエビのリゾット
地魚のMIDORIのアクアパッツァ




さてコンビニ飯はどうかというと、基本的に香りが立ってこないものが多いように感じる。私がその香りに慣れきっているからか、アルケッチャーノの特別感がそうさせたのか、あるいは私が万年鼻炎だからなのかは正直わからない。ただよく鼻に近づけて嗅いでやっと感じるものが多い。
その微かな香りもよく知っている香り。慣れ親しんだ香り。ああそうだよなと香る必要もない情報だけが入ってくる答え合わせだ。

それでもやってみると面白い。香りと味と後味という時間軸で捉えてみるという新しい定規があるから、今までの数倍の情報量が入ってくるのだ。口に入るほど小さいものについてのことだけれど、僕からは大きななフロンティアの広がりが見えているぞ。

とても遠回りな食生活改善戦略

僕が考えるこれからの食生活改善戦略はこうだ。まずはこうやってなるべく香りと味をよく感じるようにして、味に細かな好き嫌いをつけて行く。
実は私は苦手な食べ物がなく、なんでもうまいうまいと言って食える特性を持っている。食えないものでなければなんでも美味いと思っている私からすれば、好き嫌いをつけるというのはタブーに近い行為だった。

なんでも美味しく食べられるなんてこれ以上幸せなことなどないと思っていた。でもその先に豊かな食生活はなくて、単純に自分の感覚を雑に扱っていただけかもしれないというのが前回の話だ。

もはやそんなことを言っている場合ではないのだ。
とにかく細かな好き嫌いをつける。この食べ物はいい悪いとかそういう大雑把ではなく、例えばどっちかというとこの後味は好きじゃないとか、この微かな苦味はいらないとか、あるいはもっと強い方が好みだとか、一口の中で感じてくる細かな時間軸つきの味にいちゃもんをつけて行く感覚だ。

そうやっていちゃもんをつけていっても誰もそれを改善してくれやしない。コンビニの商品開発部門の方にねえねえということができるような人脈はないからだ。

細かな注文を叶えるには、そりゃお前が自分で作れ、文句があるなら自分でやれとなる。僕は一応ものづくり民族だからそういうプレッシャーを感じればまたキッチンに立つ機会があるんじゃないだろうか。がんばれ未来の自分。

蛇足

あとは仕事の話だけど、この食という切り口から建築やその土地について考えてみるということをやってみたいと思っている。この地域のの場所でどんな作物が作られていて、それがどう調理されているのか、郷土料理とどう接続しているのか。旬の食べ物と日照・雨・風の分析を重ねてみるとどうか。着工時はこの食べ物が旬だったらこのお店を予約しておきたいなとか。ランドスケープなんかはいろんな切り口がありそうだ。

僕は今日もコンビニ飯を食べるが、1週間前のそれとは僅かに違う。

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