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櫛田宮の八岐大蛇と伝承由来仮説②|出雲巡礼の旅

ヤマタノオロチ伝説のある佐賀県櫛田宮に訪れたという前回、神社の旗に描かれた紋から出雲との共通点を感じ始めたというのが前回のお話し

また、伝承の由来にはいくつかパターンがあるという仮説を提唱した。

伝承由来仮説
①同じ部族、氏族の者が移動・移住して同じ伝承(祭神)を残した
②その地で起こった事件、事故、災害などを似たような伝承(祭神)に残した
③その当時の流行
④支配者層からの強制

早速、櫛田宮に話を戻してみよう。
境内図を確認してみると、、、

やはり恵比寿様はこちらにもいらっしゃる。
(一般的にいわれる恵比寿様の総本社、事代主を祀る美保神社は松江市にある)
出雲の風を感じながら、本殿にてゆっくりと手を合わせた。

なんだか不思議な形のしめ縄がとっても気になる。
鈴緒も長すぎではないか?しかも3本。
そういえば鳥居も不思議な形をしていた。

笠木の両端が反り上がる特徴の肥前鳥居

なんだか佐賀って独自の地域色を残している感じがして、それもまた面白い。
ガラパゴス化していった出雲地域と同じ匂いを感じてしまう。

さてさて、今回の目的はヤマタノオロチ。
本殿の裏に回ると、石碑が建っていた。

櫛田大神を最初にお祭りになったこの地を、櫛山と称して参拝したよう。
もともとこの地は災難が多く、櫛田宮を祀って以来、神幸の里と名付けられ、現地名、神埼となったとのこと。

気になるのは、
平地のこの地を山と称するのはなぜか?
どんな災難が起こっていたのか?


山を祈るということ

出雲族は山に神様がお隠れになるとし、聖なる山を”神奈備山”(かんなびやま/さん)と称して、敬っていた。
なので、元々は山の上にあった神社だが、参拝が大変ということで、どんどん山裾にお引越しされたお宮が多く存在する。
出雲国一宮である熊野大社もその一つ。
天宮山という神奈備山がもともとの磐座祭祀の斎場であり、そこから2回お引越しして現在地にお社がある。
おかげさまでとても参拝しやすい。
(といっても奥地のため、一ノ宮のわりに参拝者は少ない。。。)

また、出雲族といえば蛇の信仰が見え隠れする。
旧暦10月に出雲地方では西方の海から神々をお迎えする神在祭が行われる。
その時に、神々を先導するのがセグロウミヘビという海蛇。
セグロウミヘビは捕まえられると、トグロを巻いた状態でミイラにして三方にのせて龍蛇神として敬われる。
かつては世襲制でセグロウミヘビ担当の神職さんがおられたそうだ。

セグロウミヘビの背中の六角形=龍鱗紋といい、現在では亀甲紋と呼ばれている

このトグロを巻いた蛇が山に見えるのは偶然とは思えない。

山を祀る&蛇=出雲族
とは言い切れないものの、ヤマタノオロチ伝承で繋がるし、神を山と称して拝んだというところに共通性を見出しても問題はないだろう。

つまり、弥生時代(景行天皇より以前)の当地には何らかの災難が続いており、櫛田大神が人々を救ったため、崇め奉られた。
何らかの災難がヤマタノオロチと称されたということか?

先ほどの石碑の隣には大蛇退治の酒甕をかたどった旧跡がある。


どんな災難が起こっていたのか?

この点はいろんな説が立てられるのだが、
近くに大きな川や山があるわけではない、だだっぴろい平地であることから、自然災害ではなさそう。

神社の説明書きには「往来する人々を苦しめる乱暴な神」とあるのだが、弥生時代と考えると、交易を邪魔した一族ということだろうか?

そんなことを妄想しながらも、一つの面白い伝承に辿り着く。

就中弘安年中に蒙古勢襲来の時 
櫛田の御託宣に曰く
「われ異国征罰の為に博多の津に向かう。我が剣を博多の櫛田に送り奉るべし」
と云々。
仍てこれを送り奉る。
ここに博多の鍛冶岩次良霊夢あるによりて、三日精進して御剣をとぎ奉る。
これを箱におさめ白革を以て三所ゆい封をなして神殿に納め奉り畢ぬ。
即ち蒙古合戦の最中筑前国志摩郡岐志の海上に、数千万の蛇体浮かび給う。
万人の見知其の隠れなし。
また、三ヶ月の後、末社櫛田の社壇に疵を蒙る蛇体多く現じ給う。
即ち御託宣に曰く「各疵を蒙ると言えども、蒙古既に降伏して帰り来る」と云々。
仍て神埼本社の神仁等数百人、かの岐志の浦に発向して迎え奉り畢ぬ。
その後更に十三年を経て、かの御剣を本社に遷入れ奉らん為、神埼の神仁いむ田太良以下数百人、博多の櫛田に参向して件の箱の封を解きし処に、蛇体御剣を巻つめて頭をつばの本に打ちかけて、殆ど倶利伽藍明王の如し。
見聞の諸人渇仰肝に銘じ、随喜の涙袂をしぼると云々。

要約すると、
元寇の際、「私が征伐するから我が剣を博多の櫛田に送れ」と櫛田大明神の御託宣(お告げ)がおりたため、博多の刀鍛治が当社の神剣を研いだ。
すると、数千万の蛇が海上に現れ、傷ついた蛇が打ち上げられたものの、蒙古を撃退できた。

蛇が蒙古を撃退するというお話し。

一方で、元寇の際に歴史の裏舞台で活躍したのは、青森県津軽の十三湊を主な根拠地とする安東水軍だったという説がある。
この安東水軍のルーツ、、、実は出雲族であるのだ。

銅剣祭祀をしていた出雲族。
剣を大切に研いで、奉った櫛田宮の人々。
蛇を祀る出雲族。
蒙古を撃退する蛇体。

元寇の際に、出雲族である安東水軍に助けを求めた櫛田宮と、それに応えて必死に戦った安東水軍の姿が浮かび上がってくるのではないか。

言いたかったことは、後世に櫛田宮は出雲と密接に繋がっていたこと。
ただ、出雲=蛇と単純に捉えてしまうと、退治したヤマタノオロチが敵となるので、話が矛盾してしまう。
そこで、伝承由来仮説の④支配者層からの強制をとってみる。

櫛田宮の創建に由来する景行天皇。
出雲口伝では、物部王朝時代の大王とされる。
(吉野ヶ里遺跡を拠点とした物部氏が東征し、大和で政権を握った)

物部王朝前後にはこの地にいた出雲族にかなりの弾圧があったとされる。
その事実を後世に伝える際に、ヤマタノオロチの伝説を利用した。
出雲族のことを往来する人々を苦しめる乱暴な神=災難=ヤマタノオロチ(蛇=出雲族)と表した。

とすると、話がスッキリしてくるのだ。

私は弾圧やら陰謀やらというお話はあまり好きではない。
しかし、歴史を語る上で避けては通れないのがこういった歴史的史実である。
災難や、往来する人々を苦しめる乱暴な神、といった婉曲表現に違和感を感じたので、総合的にみて上記のような仮説を提示してみた。

佐賀と島根の出雲。
何にも共通点がないように見えるが、古代からの歴史を俯瞰していくと、どこかに微かな繋がりを見出すことができるのだ。
どこかに共通点が見つかる。
そうわかるだけで、興味・関心が湧いてくる。

前回は出雲と武蔵の関係について語った。
私が出雲巡礼の旅で感じたいこと、伝えたいことはこの繋がりと興味・関心である。
出雲の歴史を調べることは大切だし、それが過ぎると自己愛に陥る。
他地域の歴史にも関心を持ち、相互理解をすることが大切だ。
そうしたら、もっと他者に優しくなれるし、ひいては世界平和に繋がるのではないだろうか。

最後に佐賀と出雲との繋がりをもう一つ。

吉野ヶ里遺跡で発掘された銅鐸。
この銅鐸は出雲の木幡家に伝わる銅鐸と同じ鋳型で作られたものだそうだ。


以上、佐賀県櫛田宮の八岐大蛇と伝承由来仮説、完。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。


おまけ。
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