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櫛田宮の八岐大蛇と伝承由来仮説①|出雲巡礼の旅

吉野ヶ里遺跡に弥生時代の到来を感じにいった。

その道中に立ち寄った神社。
そこは出雲族の痕跡を感じる地でもあった。



「吉野ヶ里遺跡に行こうかと思っているんですが、近辺でおすすめの神社はありませんか?」

と、古代史探究の先輩でもある五条氏に相談してみた。
五条氏は出雲口伝をベースに、日本各地の神社や史跡を自分の足で周っている。
そのフィールドワークの豊富さは、まさに神社界の歩く生き字引きといっていい存在。
ぜひ、五条氏のブログ、偲フ花をご覧いただきたい。
おすすめは、出雲口伝を追体験できる「八雲ニ散ル花」シリーズ。


そんな五条氏よりこんなアドバイスをいただく。

『佐賀でしたら、櫛田宮にヤマタノオロチ伝承があります。』

え、佐賀にもヤマタノオロチ伝説が?
日本の至るところでヤマタノオロチが活躍している。
なぜだろう。。。

日本各地の伝承や神社の御祭神をどう捉えるか?
この問いに私は大いに興味を持っている。
そもそも日本各地に同じような伝承があること自体が不思議。
そして、御祭神もなにかしらの共通点を持って全国に点在しているという事実がある。

ここには、もちろん様々な理由があると思うのだが、私なりにこんな仮説を持っている。

伝承由来仮説
①同じ部族、氏族の者が移動・移住して同じ伝承(祭神)を残した
②その地で起こった事件、事故、災害などを似たような伝承(祭神)に残した
③その当時の流行
④支配者層からの強制

八岐大蛇伝説を出雲が元ネタと仮定してみると、以下のような事例が考えられよう。
①龍蛇族である出雲族が別地域に移住した
②川の氾濫(大蛇)を治水して、稲作に適した土地(稲田姫)を救った
③勧善懲悪ストーリーである八岐大蛇伝説が流行ったため、その土地にある川や石、木などを関連づけた
④縄文的な女神信仰(竜神)を封じるために八岐大蛇伝説に変えさせられた

といったことが起こったのではないだろうか?
もちろん、元ネタが出雲ではなく、他の地である可能性、例えばシュメールやエジプトの説もある。
そのようなもっと古代の異国の地の話が受け継がれ、間接的に影響した可能性は捨てきれないとも思う。

いずれにしても、
八岐大蛇伝説があるから〇〇だ!
とは断定できないものだという認識を持ちながら、全国の八岐大蛇伝説と対話していきたい、と考えている。


いつも通り、遠回りしてしまった。
櫛田宮に話を戻そう。
櫛田宮は佐賀県神埼市に位置する古社である。

私は神社を訪れる際には、必ずgoogle mapでレイヤを地形にして確認するようにしている。
その地がどんなところにあるのか?
そして周りに川や山があるかどうか?
といったことを考慮しながら、
古代の人たちがどのような交通ルートを辿っていたのか?
を想像するため。

車も電車も飛行機もなかった時代だ。
かつての人々は船を使い、川を高速道路のように行き来していた海洋民族がいたであろう。
また、川を渡るのが大変だったため、尾根沿いに山の峰を歩いて行き来していた山の民(もしくは後の修験者)もいただろう。
そのような人々の移動を妄想することで、古代の人々の営みが浮かび上がってくる。
点と点が結び、つながり、線となる。
線が増えれば面となる。
面が立ち上がれば立体となり、リアリティーが生まれる。
そうしたら、過去と共に私たちのルーツがもっともっと鮮明に浮かび上がる。
現在地不明の迷子状態の私たちには必要な思索だと思うのだが、いかがだろうか?

さて、櫛田宮の位置を確認してみよう。
赤い点で記された位置は、有明海沿岸から北側に開かれた平地上にある。
実際にこのあたりを車で走った印象としては、”だだっ広い平地”であったこと。
見るからに穀倉地帯。
農耕民族の集団が稲を植え、実りを享受する様子がありありと目に浮かんだ。

若干離れてはいるが、西から流れる筑後川が有明海に注いでいる。
熊本・大分・福岡・佐賀の4県にまたがる筑後川。
海運もしやすく、他国とも交流があったであろう。
また、「筑紫次郎」の別名を持つほど暴れ川として知られている。
伝承由来仮説の
②川の氾濫(大蛇)を治水して、稲作に適した土地(稲田姫)を救った
に当てはまっている。

急峻な脊振山が北側からの敵の襲撃を防いでいる。
その北方の福岡市内よりも平地の割合は大きい。
また、半島からの外敵が直接やってこないという意味では、防衛上も有利な場所だったのだろう。

そんな事情を踏まえて、鳥居をくぐる。

立派な肥前鳥居をくぐろうとしたその時、私は足を止めた。

櫛田宮の上に印刷された神紋である。
交差した剣。。。
読者の中にはすでにピンと来た方もいるだろう。

私が追っている出雲族、出雲東王家の神紋と同じなのである。
※東王家の紋章はのちに剣が大根に変えられている
これは伝承由来仮説
①龍蛇族である出雲族が別地域に移住した
に当てはまると言えるか??

鳥居をくぐると、大きな楠が大切に保護されている。
御神木の「琴の楠」は、呼吸を止めて7回半周囲を回ることができれば、琴の音色が聞こえ、願いが成就するらしい。

真夏のこの時期にさすがに挑戦する気になれなかった。
成功しても、聞こえる琴の音は幻聴でしかないだろう。。。

また、この楠には景行天皇に関する言い伝えがある。

当時、この辺りには乱暴な神様がいて、往来する人を苦しめていたが、景行天皇が櫛田大神を祀りなごめると平和で幸福な地域となった。
このことから神幸、転じて、神崎と称される土地となった。

記紀神話では、天皇が自ら各地を遠征したとするのは権威が落ちることから、ヤマトタケルが九州遠征をしたことにしている。
しかし、出雲の口伝によれば、オオタラシヒコ(景行天皇)とワカタラシヒコが行った業績をヤマトタケルとしてまとめて記述している。

上記のこの土地の伝承を見れば、明白だろう。
『景行天皇が櫛田宮の地にやってきた』という伝承が残っているのだ。
出雲口伝の正当性がここでも証明されたと言えるだろう。


口伝をベースに歴史を紐解いていくと、新たな歴史が見え隠れする。
鳥居に足を踏み入れる前から出雲を感じてしまった私は、この宮に特別な何かを感じ始めていたのは言うまでもない。

続く。




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