枯れた椿の花を舞踏に使う
4月12日の稽古は忘れようったって忘れられない、深く記憶に刻まれた稽古となりました。そんな劇的な稽古でありました。もうあれから2週間たったけれど、ようやく振り返る時間ができたこともあって、思い出しながらここに記録しておこうと思います。
この日は稽古場に向かう途中、小学校の椿が道に落ちていて、しばらく立ち止まって写真を撮りながら、その椿を眺めました。

その余韻を持って稽古場に入ると、なんとここにもたくさんの椿の落ちた花たち。

今日はこれらの椿の花を使って、スローとフリーダンスをするとのことで、とてもテンションが上がりました。最上さんが朝の公園で拾い集めてこられたとのこと。
1人ひとつ、枯れかけた花を手に取り、1日その花と過ごします。どの花にしようかと近づいた時に、目が合ってしまって、もうこれしかないという花をひとつ手に取りました。そう、目が合うというのも変な話なのだけれど、なんというか椿の花からも見られている感じがして、本当に目が合ったような感覚になったんですよね。その時点で運命の出会いというような契りを感じました。

スローのために、花を床に置き、静かに手を近づけていこうとした瞬間に、その花はまるで老人の仮面のように見えて、まだ生きている、息のある、熱のある魂というように見えました。最近、自主稽古で老人の面を使ったスローをしているので、完全に被って見えた感じです。

椿の花を手に取るとカサカサと音がしつつ、しかしそれでもまだ湿り気があり、その分まだ息があって、生きていて、そこには本当に老人がいるように感じられて、とても切なくなりました。思えば生命はすぐに死ぬわけではなく、少しずつ少しずつ乾いて干からびながら、やがて死んでいくのですね。それは人間も同じだと思いながら、椿のまだかすかに残ったみずみずしさを感じていました。
最近知ったのですが、完全な死においては人は飢えて死ぬのが自然なのだそうです。死が近づくにつれて、だんだんと食欲もなくなり、身体も干からびてきて、身体の機能が少しずつ落ちていきます。飢餓状態であっても、脳内ホルモンが出てくるので、全く苦しみはなく、痛みもなく、むしろ気持ち良く最後の脳の活動を楽しむのだそう。そのような自然の死のプロセスを妨げるような医療行為は、むしろその方を苦しめる要因になるというようなところもあるようです。
ふと、自然な死のプロセスに入った椿の花に触れながら、数年前に亡くなった父のことを思い出していました。彼も最後は徐々に枯れながら、せん妄というのか、お迎えというのか、たくさんのイメージに包まれていたようでした。亡くなった時には骨と皮ばかりとなり、ほんとうに枯れたという死に方でしたが、最期の方の父はまるでアクが抜けたかのように、素直なお顔をしていて、これがほんとうにあのお父さんなの?と、妹と2人で驚きながら話したのを覚えています。
しかしそこまで枯れるまでの間、まだ少し瑞々しさが残っている間は、いろんな思いも出るようです。父の入院していた病棟にはたくさんの死を待つ人たちがおられましたが、あちらこちらで「あー」とか「うー」とかの声が聞こえ、その声こそがその方々のまだ生きている思いの現れなんだということを思いました。
そのスローの中でそのようなイメージが浮かび、気がつくと少し目頭が熱くなっていました。そして椿の花をそっと床に置き、とても静かでゆったりとした時間を過ごしました。それがスローの稽古でした。
さて、その次にはフリーダンスです。数人が並んで座り、1人ずつ順番に立って床に椿の花がばら撒かれた空間の中に入っていきます。この床に撒かれた椿の花の美しさは完全に皆の心を鷲掴みにしたと思います。そこはもうどこでもない唯一無二の舞踏のための空間だったと思います。

この中に入っていくという経験をさせていただけたこと、ほんとうに感謝です。

まるでガンジス川の砂(恒河沙)のようであり、天の河のようでもあり、息を飲みなら、そっとその大河を向こう岸まで渡ると、そこにある花と自分が手にしていた花が感応したかのように引き合って、僕はそこにに突っ伏してしまいました。夥しい数の枯れ始めた花の最期の声を聞きながら、しばらく起き上がれませんでした。

やがてマーラーのアダージョが流れ始め、少しずつ少しずつ、上に向かって上がっていくかのような空気があり、気がつくと周りにいる皆がシンクロしながらその空間にいるというようになっていたようです。とても美しい舞踏空間となっていたように思います。

そして終わってもしばらく放心状態が続き、そこで起こったことが統合されて、整理されて、またいまここの場に戻ってくるために、少し時間が必要でした。そのくらいに意識は遠く次元を超えていたんでしょう。
これらの稽古場での写真は山川さんからいただいたものです。山川さん、ありがとうございました。
帰りに少しお花をもらって帰り、それ以来ずっと部屋に飾っています。今の状態としては、2週間前に比べて、はるかに乾き、干からび、もう瑞々しさはありません。そしてほのかに香る良い香り。まさに完全な死、グレイトフル・デッドだなと思いながら眺めています。

