仄暗い穴の底からブラッド・ピット。
ある大手企業勤務の知人に「Mさん」という人がいます。彼は仕事が海外の販路開拓で、いつも世界各地を飛び回って精力的に仕事をしている様子をソーシャルメディアにアップしているのですが、それを見ていて気になったことがあります。
彼は私と同じ「真矢ミキ世代」で、正直に言うとこの年齢のオッサンはソーシャルメディアと極めて相性が悪いものです。全員が「老害ヤー」としての素質を持っています。「そうじゃない人もいますよ」じゃないんです。若者から老害に見えていない人がいるなら、その人は45度の斜面に指先だけでしがみつき、もう登ることこそできませんが滑り落ちないことだけに全力を使っている、命綱のないフリー・ソロ・クライマーであり、賞賛すべき人なのです。
我々は全員が老害になる宿命を背負って生きていますが、しがみついていた指先の感覚がなくなったり、そもそも自分が置かれている場が斜面であると知らずに加齢とともに奈落の底まで滑落してしまう人が大部分です。仄暗い底には「落ちたオッサン」が集まって発泡酒を飲んでいます。そこには共通の価値観があって居心地がいいので、彼らはネット回線を繋いで地上のソーシャルメディアにアクセスします。常時接続、テレホーダイです。
Mさんは意識しているかどうかは定かではありませんが「真矢ミキ、ブラッド・ピット世代」として斜面から滑落せずに済んでいる珍しい存在です。彼は地方の名家に生まれて何不自由なく育ったせいか、普段の発言や振る舞いを見ていてもどこにも嫌味なところや下品な部分がありませんが、こういうのだけは後から身につかないものなので仕方ありません。
彼が育った地方の「仄暗い穴の底で発泡酒の人々」がことあるごとにソーシャルメディアで彼に話しかけるのですが、これを第三者として見ているのがキツい、というのが本日の主題であります。

先日はMさんがイタリアに行っていました。ミラノからローマまでの数日間の投稿で、かなりのハードスケジュールで仕事をこなしつつ会った人や食べたもの、風景の写真などをアップしていました。写真の腕前もなかなかなので、楽しみに見ていました。そこにある人からのコメント。
「ノリくん、毎日豪遊してて、いいご身分ですなあ」
出ました。若い頃のあだ名を使って「昔からの知り合い」をアピールするタイプです。豪遊、いいご身分という嫌味臭いワードから、仄暗い穴の住人だとすぐにわかります。Mさんは日々多くの「地上の人たち」と仕事をしているのでこういうのは迷惑なはずですが、育ちがいいので昔からの知人を邪険には扱いません。
「いえいえ、仕事なので」
その冷静な反応にまたカチンとくるんでしょうね。
よせばいいのに次の矢を放ちます。
「夜はアメリカ美人とお友だちするんでしょう。羨ましいネ」
イタリアだと書いてあるのにアメリカ。外国は全部アメリカと思っている雑丸出しな感じがうかがえます。語尾の一文字はカタカナです。
Mさんは会社でも責任ある立場でたくさんの関係者から見られる存在ですから、同級生とは言えあまり品のない話を書かれても困るはずです。
次にまた別の人がやって来ます。
「俺っちも30年前に新婚旅行でフランスに行ったヨ。懐かしい」
「偉そうに。ファーストクラス乗っとるんか」
「ノリ、俺の西高の友だちがルーマニアにいるから寄ってあげて」
もう滅茶苦茶です。大昔の他人のフランスの思い出は関係ないし、写真に載っているのはビジネスクラスですし、新宿から代々木じゃないんだから、イタリアからルーマニアに寄る義理もありません。
Mさんは毎日これらの攻撃に耐え続けていて、ご愁傷様ですと言いたくなります。ここに横たわるのは「キーボードを打って書きたくない日本語」ではありますが、厳然とした「格差」で、まごうことなき現実ですから仕方ありません。経済、知識、体験の格差の存在は、会話を成り立たせません。
年に数十回は仕事で外国に行き、日本でも上質な場所にいることが多い人の生活を穴の底から揶揄してみせることに何の得があるか、と思うのですが、そこには「ギャグやユーモアとは貶すことだ」という昭和的なオッサンの勘違いがあります。
「ユミちゃん、最近太ったネ、違うか」
みたいなコミュニケーションを多くのオッサンは面白いと思っているのです。これがユーモア格差です。下世話なこと、下品なことが面白いと思うのは中学生までにして、大人は大人なりの格差を味わい、もし自分が劣っている部分があると感じてもイッチョカミせず、黙ることを憶えなくてはいけません。
「人には耳が二つ、口が一つ。だから言いたいことの倍、聞くべきだ」
多分、俺の方がお金は持っていると思うんだけど、どうしてもと言うならありがたくいただきます。
