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洞窟での修行① ルアンプー・カーウ師 

 ルアンプー・カウ師がその洞窟にただ一人で雨安居を過ごされた期間全体を通じて、師は非常に大きな歓喜と充足に満ちた心で修行に励まれました。この場所は他のいかなる場所とも異なり、師の心と修行に極めて適した環境でだったのです。昼夜を問わず、さまざまな巧みな方便が心の内と外に現れました。ルアンプー・カウ師は、すべての威儀(姿勢)と状況において、法の歓喜とともにただ「今」に生きる方でありました。立っていても、歩いていても、座っていても、横になっていても、純粋な心の本来的な基盤である安らかな法の中に、法の至福に満たされていました。心に触れるさまざまな現象がそれぞれの意味を示す中で、師の身と心は新たにされ、歓喜に満ち溢れていたのです。それは、適した気候と環境の中で肥料と水を十分に与えられ、幹から枝、葉、花、果実まで常に新鮮で潤いに満ちた大樹のようでありました。

(左)ルアンプー・カウ師と(右)ルアンプー・ファン師

ルアンプー・カウ師は、「心が法(ダンマ)の平静と安らぎとともにただ現在に安住するとき、どれほど外界の混乱や散乱に巻き込まれようとも、身と心の活動するこの世の中で、ただ歓喜のみがある」とおっしゃいました。他の場所や他の世界に幸福と充足を求めて苦労する必要などないのです。それはただ自らを欺く想念を生み出し、強い渇愛(タンハー)を起こし、苦の因を増長させ、自らを焼き尽くす燃料となるだけです。心の中で直接知られ、体験される幸福こそ、すでに十分であり完全なものです。その境地に至れば、この世界全体も、宇宙のいかなる他の世界も、存在しないかのように感じられます。確かに存在し、極めて明瞭で明らかなものは、心と法のみであり、それはまるで宇宙全体を覆うかのようです。しかし、これを言葉で説明したり、何かと比較したりすることは不可能です。なぜなら、それを分類するための特徴や基準が全くないからです。稀有なる法(アッチャリヤ・ダンマ)を具えた心は、世俗の約束事の世界には存在しないため、比較や推測の余地がないのです。(続く)


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ばいたらよう(貝多羅葉) 貴重なお布施ありがとうございます!