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気だるげなまぶたの裏にユニバース

気だるげなまぶたの裏にユニバース星を数えて意識は彼方



part1 招かれざるヤツ

子どもの頃からずっと気になっていて仕方がない。目を閉じると見える謎の点のことである。その点は絶えず赤、緑、白と明滅しており、まぶたに無数に存在している。日中に空を仰いだあとの残像のようでもあり、一つの恒星のように一点で光ることもあれば、星雲のように寄り集まって塊になることもある。それにもかかわらず消えるときは挨拶もなく一瞬で消えるのでこの点はとてもタチが悪い。

この点たちは目を開いていても出現することがある。物事をゆっくり見たいとき、例えば絵画の鑑賞、あるいは動植物の観察などしているときに出現して私の楽しみを遮ってくる。先日も「おお、アオサギだ。」と田んぼに現れる鳥たちを見ていると、どこからともなく「呼んだ~?」と言わんばかりに現れたのだった。この点々はどこまでも私の邪魔をしたくてたまらない困ったやつなのだ。

この点は一体何なのか。私の周りで話題にしている者はおらず、幼稚園のときも、小学生のときも、はたまた同窓会の席で話してみても誰も理解を示してくれなかった。どうやら私の視界は極めて特殊な状況にあるようだ。

現代は便利なもので、インターネットで検索するか、チャッピーたちに聞いてみればすぐに答えが出るに違いない。おそらくは簡単な生理学的・医学的な現象として処理されてしまうだろう。私はそれが嫌だ。

たとえ特殊な体験であっても、一度名称がついてしまえばそれは症候の1つにすぎない。名称を知ってしまえば私のまぶたの裏の恒星や星雲は消え去り、ただの変な病気という認識に変容してしまうだろう。病名は症状を語ってくれても、その症状の当事者の気持ち、体験まで語ってくれるわけでもない。だから私は病名を一切調べずに、明かさずに私の特殊な視界を書きつづっていこうと思う。

あなたはすでに病名や現象名に見当をつけていらっしゃるかもしれない。簡単に答えを見出すことができる現代でなお、ここに書き記すのは Wikipedia や医師の解説には載らないリアルである。読み進めていただければ、あなたは知らない誰かの視界の只中に放り込まれることになる。


part2 私が見ている可憐で変な世界

まずは日常において、先に述べたように目を閉じると謎の点が無数に見える。赤・白・緑とまばらにまたたくので良く晴れた日の星空のような、大パノラマが常に広がっている。幻想的な風景が近くにあると普通の人なら心が躍るかもしれない。実際私も時々そう思う。私にもしも絵心があれば、星空の背景にたたずむ人々や天体観測を楽しむ子どもたちのイラストを容易に描けたはずだ。

しかし、問題は寝るときで、寝ようと目をつぶったときにも点々は見える。日中なら意識することのない光の強さでも、光のない空間では遠くに灯るろうそくですら存在感を醸し出す。ましてや私の場合、光る点々が無数にあるのだから「存在感」というむしろ「存在」そのものである。その上暗闇でこの点々は活発になるのだ。大きくなったり、小さくなったり、他の点とくっついたり離れたり…。私の眠りを妨げるという大いなる目標のためにお互いが協力しているのだ。私は「なんだこいつら…。」とその動きを意識せざるを得ない。無視してもよいかもしれないが、瞬時に視界全体を覆うほど巨大になったときには、まるで目の前を剛速球が飛んでいる感覚を覚えてハッと目が覚めてしまう。きっと、まぶたの裏の光たちはしめしめと笑っているだろう。このように視界が騒がしくてなかなか寝付けない上、悪夢を見る以前に目が覚めることすらある。

あるいは3歳のおそらく秋のころ。私が明確に覚えている光る点との触れ合いはそれが最初である。当時、何でも口の中に入れるという趣味があった私は鉛筆をベロベロベロ、ズロローっとテイスティングしていた。木の部分がほのかに甘く、芯の黒いところが苦い。鉛筆は全体的に調和のとれた優れた調味料であった。やがて飽きて鉛筆を咥えたまま寝転んだ。

ぼんやり天井を見つめていると、だんだんと謎の点があちこちから集まりだし、赤く縁どられた緑色の大きな玉のようになっていくのが見えた。それを目で追うと、その玉はへこんだり膨らんだりして視界で動き回る。怖くなった私は思わず目をつぶる。すると暗くなった視界の中で弾けて無数の光の粒子に戻った。やっといつもの調子に戻ったと思いきや、その粒子は珪藻のような形状となり、分裂していきながら、徐々にフラクタル様の微細な構造を新たに生成していく。その粒子たちが一斉に私の方へ向かい始めた。「ぶつかる!」と私は思ったが、何もなかった。実体のない空っぽな存在に貫かれた感覚以外は。

先の体験はホラーだが、私の視界はさらにSF体験も提供してくれる。中学3年、美術の授業において有名画家の絵を模写してみようという課題が出された。私はエル・グレコの「十字架上のキリストと礼拝する2人の寄進者」の一部、左下でイエスを礼拝する司祭を模写することにした。なぜその絵の、しかも作品の主題とは思えない一部分を選んだのか。給食当番の白衣を着て、いただきますのポーズをしているように見えたためである。中学時代の制服が学ランであったことも影響して、白髪の生えた髭だるまのオヤジが学ランを着ているようなナンセンスも感じて余計に面白かった。さっそく私はその司祭の模写を始めた。濃いクリーム色の肌、白髪と茶髪の入り混じった頭髪、絶妙に灰色に見える白衣…それぞれに対応する色をパレットに作り出し、水加減で濃淡をつけて顔や服を丁寧に描いた。描いたはずだったのだが…。

美術の先生に完成した模写を見せる。先生は「うーん、この絵はゴッホかな?」と言う。全然違う。「いえ、エル・グレコです。」そう答えると、「でも、この描き方はゴッホだよね。」と先生は続ける。描き方…。描き方だって!?全く知らない観点で返答された私は目をぱちくりさせて絵を見つめる。私はマシンガンで乱射するように筆で点を打って模写したのだった。いわゆる点描という表現技法である。「点描はゴッホやスーラの絵に多いけど、エル・グレコは用いてないよ。」先生は言う。

エル・グレコは点描を用いていないらしい。しかし、私はエル・グレコの白髪学生服じいさんが点描に見えたのだった。画集の印刷の都合だろうか?そう思って、席に戻って画集を見つめる。すると今度は画集のじいさんが点々ではなく、ルネサンス的なアレに見えた。おかしい。見ていたものがさっきと違う。もっとひょうきんな感じの点々ではなかったか?私は見たままを写したはずだ。まさか…世界線が変わったのか!?この冗談を思い浮かんだ瞬間、私は初めて自覚なしに光の点々が見えるときがあるとはっきり自覚した。


part3 視界にちらつく不安

このように光が常にチカチカして見るもの全てがポスト印象派になる現象はまさしく絵に描いたような幻想的な不思議体験も提供してくれるし、本当に邪魔にしかならないときもある。これは私にしか味わえない特別なものだと堪能している半面、他人との交流の際には怖くなる。他人と違うものが見えている可能性が常にあるからだ。友人らとの旅行後「旅行楽しかったね~!」とメッセージを送るとき。出張で技術展示会に行き、「これは新しい技術だ!」と関心して報告書にまとめているとき。そのようなときに「自分が見たものが本当に他人と同じだったか?」という疑問が常に頭をよぎる。

「これは赤いリンゴかね?」と聞いて「うん、そうだよ。」と答えられたら私にとってはチェックメイトだ。私の見ている赤いリンゴの輪郭には、おそらく無数の小さな光が瞬いている。私にはそれが赤いリンゴ「と光点群」だが、あなたにはおそらく赤いリンゴ単体である。同じ「赤いリンゴ」という言葉を交わしながら、見えているものは違う。

人は平等なのか、自由なのかという問いは古今東西で悩みの種になるものだが、この世に個人差は確実に存在する。どのように生きても人それぞれで身長や目の位置、目の大きさ、視野、視力に違いは生じる。社会は「皆が同じものを見ている」という暗黙の前提の上に組み立てられているというのに。学校で同じ教科書を読み、職場で同じプレゼン資料を眺め、選挙では同じ候補者の顔を見て判断するというのに。

個人差から生じる視界は他人と同じ視界だろうか?同じ視野で対象を見ているだろうか?赤ちゃんと私が同じ目線で物体を見るはずがないように我々は互いに同じ目線で見ていない。視界に広がる色も、見ている対象の形状も、見ているという感覚も、本当の意味でそれらが他人と同じであると断ずることはできない。だから「自分の見たものが他人と同じであるか?」という問いは検証不可能で無意味なのかもしれない。

ただ、自分と他人が同じか否かを唯一検証する術があるとすれば、言語に記すよりほかない。色は他人と共有できないが、色について書かれた文章は共有できる。視界は他人と共有できないが、視界について書かれた経験は共有できる。私が調べればすぐわかるだろう病名を直接示さずに長々と経験を書いてきた所以はそれである。

明らかに自分の星空のレイヤーはおかしいとは思うが、それは皆が気づいていないだけかもしれない。誰かが何かを語り始めたとき、私の中の点々が騒ぎ出すのと同じく、その人の中にも私には見えない何かが点滅しているはずだ。それは一体何なのか?語り出さなければ私には決して見えない。あなたの視界にもあなたしか知らない何かが瞬いていると私は信じたい。私は私の視界の不便さと孤独が他人への入口に変わることを願う。


見出し画像: フィンセント・ファン・ゴッホ「ローヌ川の星月夜」
wikimedia commonsより入手したものを加工

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