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2回目_宙組公演『黒蜥蜴』『Diamond IMPULSE』


2度目の『黒蜥蜴』を見た。
1回目の感想はこちら。

初回は物語のうねりとさーちゃん演じる黒蜥蜴の強烈な存在感に飲み込まれたが、2度目は他の登場人物たちの心情をより深く覗くように心がけた。
結果、だいぶそれぞれの登場人物の印象が深掘りされた。

特に印象が変わったのが雨宮だ。初回鑑賞時は「僕たち愛し合ってるんです」という最後の台詞が虚ろなまま発せられているように感じたが、今回は新たな恋人と生きようと必死に自分に言い聞かせているように聞こえた。いずれにしても彼の痛々しさは変わりない。美しく、貧しく、歪んだ愛情を抱く哀しい男だと思う。そしてそんな雨宮がとても好きだ。

そして気になったのが、そもそも雨宮の隣りにいるのは早苗と葉子どちらなのか?ということだ。初回鑑賞時は、早苗と入れ替わったままの葉子だと受け取っていた。
筋だけ追えば、早苗の婚約者が最後に登場する以上、雨宮といるのは葉子だと考えるのが自然だ。また雨宮自身が、「(早苗のような)お嬢様は虫が好かない」と口にしていた。黒蜥蜴を失ったからと言って、急に雨宮が早苗に惹かれるのは不自然である。

一方で、序盤に早苗が発する、「盗まれたい」という願望が雨宮の隣にいる光景でも周囲から繰り返されたことを考えると、最後に葉子が早苗として暮らし、雨宮の隣に早苗が現れているという推測も捨てきれない。
ややこしいのは、早苗も葉子も雨宮に惹かれていたことだ。雨宮美しいものね仕方ないよね。

早苗が地位を捨てて雨宮に「盗まれた」と仮定する。葉子は雨宮を得ることはできない代わりに、早苗として豊かな暮らしを手にする。岩瀬社長はいずれ気づかないものだろうかと不思議に思うが、程なく婚約してしまうとすると騙し切ることは不可能ではないだろう。雨宮の気持ちを一旦無視すると、二人がそれぞれ違う形で望んでいたものを得るという仮説も成立しうる。

更に複雑に考えるなら、雨宮自身は眼の前の女性を「早苗として生きる葉子」だと思っているが、実は本物の早苗だった、という可能性もある。
それならば、「僕たち愛し合ってるんです」という雨宮の言葉は、眼の前の人物そのものに対する愛ではなく、互いに偽って生きているのなら愛は成立するはずだ、という自己暗示にも聞こえてくる。それでいて、実際は早苗が早苗としているだけだとしたら。あまりに哀しいが。

また終幕では、雨宮の隣の女性にも「盗まれたいと言っていましたよね」と早苗としての過去が参照される一方、婚約者を紹介する岩瀬氏のもとにも早苗は存在しているように見える。では二人は世間から何者として認識されているのか。考え始めると、もう分からない。生田先生、解説してください!!!

結局、問題は「誰が誰なのか」ではないのだろう。
誰かが誰かを常に演じている、ということにこの物語の核があるように思う。

黒蜥蜴と明智の関係も初回よりずっと深く伝わってきた。
明智の黒蜥蜴に惹かれていく様がより強くなっていたように思う。特に、松吉を装っているときに黒蜥蜴の告白を聞いてしまった際の、明智の動揺と素顔を明かしたくなっていそうな振る舞い、そして最後に黒蜥蜴を看取るときの寂しそうな表情は、初回より深まっていたように感じる。
一方で、明智は一人の女性を愛したというよりも、明智自身がもともと抱いていた「犯罪への興味」の結晶として黒蜥蜴を見ていたのではないか。妖艶で美しい黒蜥蜴ではあるが、明智がその容姿に惹かれていたと思われる描写はあまり見当たらなかった。
つまり、犯罪という同じ世界を見つめ、同じ危うさを理解できる相手として黒蜥蜴に惹かれていた、ということなのだと思う。正直なところ黒蜥蜴が使ったトリック自体にさほど巧妙なものはない。時間差トリックは目眩ましとして巧いが、それ以外は変装を見破ることにも失敗するし、黒蜥蜴が有能とは私にはあまり思えない。犯罪を犯してでも美しいものを収集しようとする黒蜥蜴のロマンに明智が共鳴したと考えるほうが納得がいく。犯罪の巧妙さではなく、犯罪への陶酔という点で感性が合ったのだろう。

つまり、明智が失ったのは単なる恋の相手ではなく、自分が長く惹かれてきた「犯罪」というロマンを一人の人間が纏った姿なのだろう。だからこそ、「犯罪」を愛する寸前まで行っても、相思相愛にはなれなかった。探偵としての矜持とプライドを捨てるわけには、いかなかった。

そしてもう一つ気になったのが、黒蜥蜴は松吉が明智だと気づいていたのかどうかという点だ。稀代の女賊である黒蜥蜴が明智の変装を最後まで見抜けないということに不自然さを感じる。前段でも記載した「黒蜥蜴って犯罪者として本当に有能なのか?」と疑問もこの点から生まれている。
特に、銀橋上手でのやり取りは、松吉姿の明智が自らの正体を明かす寸前まで行き、黒蜥蜴がそれを制しているように見えた。
もし黒蜥蜴がもう一つ前の、海を見つめる場面で松吉=明智だと知っていたのだとしたら、明智への愛を本人に聞かれて毒を飲む、という単純な説明はしにくいように思う。
しかし黒蜥蜴にとって「気づいていた」という事実は問題ではなく、そのことが確定することが致命的だったと考えると、少し腑に落ちる。
松吉という仮面があるからこそ黒蜥蜴は明智への本心を語ることができた。

今隣にいるのは、本当は明智かもしれない。
しかし今は松吉である。

その虚構を保っているから、本心を口にすることができた。
騙されてあげているのではなく、騙されたことに黒蜥蜴自身もしておきたい、という願いだったのかもしれない。

だが明智は皆の前で、自分が松吉に変装していたことを明かしてしまう。
黒蜥蜴の愛は皆の前で明らかになったも同然だ。
彼女が耐えられなかったのは、明智への愛が「現実」として共有されてしまうことだったのではないだろうか。
それならば、劇中で度々登場する変装が単なるミステリーの仕掛けではなくなる。

雨宮は山川を。
葉子は早苗を。
明智は松吉を。
そして、黒蜥蜴は無数の顔を演じ分ける。
誰もが別の名前と姿をまとい生きている。
もっと言えば、タカラジェンヌという存在こそ、本名ではなく芸名を名乗り、男役は舞台上で男性を演じ、さらにその上で役ごとに別の人物を生きる。

2度目の鑑賞で見えてきたのは「誰が誰に変装しているか」よりも、「人はどの顔に対してならば本当のことを言えるのか」ということだ。
そう読むならば、黒蜥蜴は最後に、本当の愛を吐露してしまったことに耐えられず、消えることを決意したことになる。捕まりたくなかったのではなく、本心を出すことが、美学に反した。
しかし美学に反することをしてしまうくらいに、明智を愛してしまった。
だとするならば、共感できるところがある。

生田大和先生の演出らしい、開けた世界観も素晴らしかった。
お恥ずかしながら初回は生田演出ということをあまり意識せず見ていた。鑑賞後かなり好きな作品だと気づき、振り返った時に生田先生と再確認した。もともと自分は生田先生の演出作品が、華やかで起承転結が綺麗に付くが外連味も十分にあって大好きである。

物語の頭と終わりには、事件に湧く東京の街が描かれる。原作では宝石の受け渡し場所となる通天閣も、本作では東京タワーへ移されている。
時代設定も戦後の196✗年へと移されている。戦後の混沌から復興し華やかさを増していく東京の眩しさに身を委ねる登場人物たち。
黒蜥蜴と明智という閉じた世界の外側で、東京は動き続けている。黒蜥蜴事件が収束したところでまた新たな事件が起き、明智は解決へと向かう。

誰もが何者かを演じる物語を包むように、生田演出では、その登場人物たちが生きる東京という都市そのものにも視線が向けられている。
華やかな群舞が東京をつくる重要な役割を担っていたように思う。洋装、着物、ちんどん屋姿まで見られ東京の混沌さを表していた。

初回以上に登場人物への理解が深まった分、舞台全体を覆う猥雑さや華やかさも、より鮮明に見えてきた。
そして、半世紀以上たった今であっても、どこか受け継がれる東京の街を私は愛していると感じるのだった。


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