終末夜話 24
図書室の引き戸を静かに開け、恐る恐る声をかけた。
「おはようございます。」
蔵書室兼司書準備室から司書さんの声がした。
「はーい!」
陸は鞄を肩から下ろしていつもの座席に向かい、ガラスの仕切りの向こうに居る司書の先生に頭を下げて、風通しのための窓まで歩いていくと隙間から吹いてくる雨の匂いのする湿気った風にあたった。
穂積さんのあの家はニンゲンが住んでた。
陸は思った。喧嘩しながらもお互いを思いやり助けあって暮らすニンゲンの家。
いい家具、いい調度品、大きなテレビ、お母さんが作るレストランみたいな食事。いつでも風呂が沸いていてなにもかもが必要以上に揃っている。
自分の家はニンゲンじゃない、人形の家だ。
借り物の人形の家。
カレンダーすらウソ臭い。
夏休みが始まれば、お父さんの言うようにぼくは何日間か「半井陸」から「楠陸」になる。それを繰り返し「楠陸」でいる時間を増やしていって、いつかぼくは「楠陸」にさせられるのだ。
怖い。
ぼくがぼくでなくなるなんて。
考えたくない。
「半井くん!おはよう。」
司書さんの声で我に返った。
「おはようごさいます。」
「試験休みなのに真面目ねえ。」
先生、
ぼくは勉強しかやることがないんです。家にいたくないんです。
お母さんと顔を合わせられないんです。
どうしたらいいですか。
頭の中で考えながら、司書さんに笑顔を返した。
ここはぼくの唯一の居場所。
大事にしないと。
「英語がやっぱりダメなので、
学校のほうが気が散らないから。」
「そうよねえ。
おうちにはゲームやらテレビやら
お菓子やら、楽しいものがたくさんあるものね。」
学校が休みだから、帰りのスクールバスの本数も少ない。それに合わせて行動しないと。
「バスの時間注意しないと。
何時のに乗るの?」
「4時、かな。」
「それに間に合うように
声かけてあげるから、
ゆっくりしていきなさいね。」
陸はペコリと頭を下げて、いつもの座席に座った。
英語の辞書と、あの黒い本から書き移したメモ。それと一冊のノート、筆箱。
今日はこれだけだ。
朝、お父さんにわあわあ言われて他のものを用意する余裕がなかった。
「そのまま、出て来ちゃったから。」
昨日、あの本を見つけた本棚を見ると昨日あった本しか無いように思えるのにあの本が入っていた隙間が失くなっている。周りの本は何も変わっていないように思えるのに。
まるではじめから無かったかのように。
はじめから「半井陸」なんていないのと同じように。
「ぼくはいる。ここに。」
席に座って頭を振った。
忘れて。
忘れるんだ。
今だけでいい。忘れよう。
何も書いていないノートを開いて、昨日の英文詩をなるべくきれいな字で書き移した。
from the sky. ソラカラ
great king will descent once again
王様?大王?偉大な王?
降りてきて、もう一度。
ダイオウガ
フタタビオリテ
and this time he
そして?
この時間?あ、今回。今度は?
彼?
そして彼は~した。今度は。
will accomplish what was not acieved
before ,
うぃる、あこんぷりっしゅ?
あかんぷりっしゅ?
ACCO、う~ん。
辞書を開いた。「成し遂げる」
へえ。「成し遂げる」か。
what was not
~ない。だったっけ。
~なかった。みたいな。
acieved
ん?あち、あちーぶど?
達成、成功。
before
前に、以前に。
どうやって繋げるんだろう。
さっぱりわからない。
たぶん期末テストの英語は相当悪い点数にちがいない。
それだけはわかった。
国語は得意な方だし嫌いではない。
でも英語の文法の並べ替えはどこにどの頭がつくのかまるでわからない。
覚えられない。
そして、今度は彼は~した。
成し遂げる。
~なかった。
前に達成した。
四つの訳をじっと見つめて、英文を声に出して読み直した。何度も、何度も。意味を考えながら。
ソシテコンドハナシトゲタ
マエニタッセイデキナカッタコトヲ
これでいいのかな。
and also
そして。
ソシテ
I will assuredly
え?あしゅありどりぃ?あ、必ず。
go to your side
あなたの側に立つ。寄る。
あなたの味方になる。
next to you .
あなたの隣に?
全面的に寄り添ってくれるってこと?
who seek me
誰が私を求めているのか?
違うなあ。
私を求めている。who 誰。
on the last lainy 最後の雨の日
evening 夕方?
of July . 7月
七月最後の雨の夕方だ。
順番を変えてみる?
シチガツサイゴノアメノユウガタ
ワタシヲモトメル
next to you あなたの隣に
オマエノトナリニ
I will assuredly go to your side
私は必ず~だろう。
必ず、味方になるだろう?
隣に行く。
ワタシハカナラズオマエノトナリニイクダロウ
空から
大王が降りてきて
以前達成し得なかったことを
成し遂げるだろう。
そして
七月最後の雨の夕方
私を求めるおまえの隣に
私は必ず行くだろう。
時間がかかったが誰の手も借りず訳した詩を見て、
「ぼくに言ってるの?」
そう思った。
お昼を告げる町の防災無線がチャイムを鳴らし集中した三時間あまりを陸は喜んだ。こんなに英語を真剣に見つめたのは試験勉強の時だけだったからすぐに誰かに伝えたかった。
でも、ぼくには誰もいない。
少しの晴れ間が4階の窓をキラキラと照らした。梅雨明けが近いのかもしれない。
終末夜話 24
つづく
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