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Hameln 17


何日か前から、夕方になると公園で冬馬と遊んでいたしっぽの長い黒猫が桜の木の下で街灯に照らされ座っていた。
それまでそこに立っていたお兄ちゃんはどこに行ったのか冬馬は首をかしげ「さっきお兄ちゃんが言っていたことはどうやら本当かもしれない」と、少し離れた場所から黒猫を見つめていた。

黒猫は立ち上がった。

冬馬は黒猫に向かって小さく呼んだ。

「お兄ちゃん。」

「ニャーン」

黒猫は冬馬に向かって一声鳴くと、ちゃんと四本の小さな足を順番に出して歩いて来ると、目の前に行儀良く座りミドリの右目とキンの左目でまっすぐ冬馬を見た。

「お兄ちゃん、お兄ちゃんなの?」

「ニャーン」

確かに人間だったお兄ちゃんの目も右目がミドリで左目がキンだった。前髪で左目を隠していたけれど金色に光ったのを冬馬は見たのだ。

「人間なの?ねこなの?」

黒猫は首をかしげ桜の方を振り返り、冬馬から目を反らすと

「りく、ぼくはりく。
りくっていう名前なんだ。それだけだよ。」

静かに言って冬馬に向き直り、また猫らしく「ニャーン」と鳴いた。


「りく」と名乗る黒猫は長いしっぽを左右に振りながら冬馬の周りを一周回ると「着いてこい」とでも言うように歩きはじめた。

猫が行く、猫が行く
ピカピカのちっちゃな猫
ふらふらとお散歩で今夜もご機嫌
どこ行くの、どこ行くの
聞こえても聞こえぬふり
ビルの影、橋の下、心向くまま
サヨナラとサヨナラと
人がうつむく秋を
踏みつけて踏みつけて
足取りも軽やかに
猫が行く、猫が行く
きらきらの星をまとい
うずくまる人達の影を横切る


冬馬はりくの後を歩き、来たことのない森の前に立っていた。てっぺんよりも少し下がったところにお月様が輝いて、それでもまだ一人と一匹を優しく照らしてくれている。
森の入り口で黒猫が振り返った。
まるで「これから奥に入るよ。ちゃんと着いてきてね。」とでも言うように。
奥に入れば入るほど闇が広がる。
風が吹くと葉っぱの落ちた木々が揺れガサガサと音を鳴らし泣いても笑っても一人だと、おまえは一人になったのだと騒ぎ立てる。
アスファルトではない地べたの道を、黒猫はまるで自分の家の庭を歩くように悠々と鼻歌を歌いそうな勢いで歩いていく。
冬馬は後に続きながら、これがおとぎ話ならパンくずや、木の枝や、石ころを落としながら歩くのに。と心の中で思った。
道は途中で途切れ少し広めの畑のような場所に着き、黒猫は立ち止まった。

「お兄ちゃん?」

黒猫が口の中でモゴモゴと何か言った。
ササヤカナルモノノコエヲキケ。

森の木々がまるで生きているように囁きあい、ざわざわと揺れはじめお月様の出ている方角からものすごく強い風が吹いて来ると最後にとても気持ちの良くなるいい匂いの風になり、黒猫は一瞬にしてお兄ちゃんに変わった。
公園の桜の木の下で黒猫に変わった時よりも激しく強い風だった。

「おいで、冬馬!」

遠巻きにそれを見ていた冬馬は、急に自分の名前を呼ばれ我に返り「ぴょんっ」と飛び上がると、りくのそばに走りより出された左手を掴んだ。

「お兄ちゃん!」

冬馬は強い力でりくの隣に引き寄せられると人間の姿のお兄ちゃんの不思議な色の目を覗き込むように見つめてそれから小さく
「怖い、」と呟いた。
「殴られるよりも、怖い?」お兄ちゃんは言った。

そ、そんなら怖くなんかないっ

冬馬の叫びを合図に陸は真上を向くと右目をつむり、左目を三回パチパチパチと閉じた。
さっき吹いて来た風よりも一段階強い風が、あらかたその辺のものを全て吹き飛ばすとあとからあとから白い綿毛が飛んできてふたりを包み連れ去った。

アトカタモナクそこにはただ、風に運ばれて飛んできた枯れ葉や枝が残されていただけだった。


いつも、アイツが仕事に出掛けて少し経つと冬馬が家に入って来ていた。
風呂に入れてやり、体を温め、ごはんを食べさせて布団に入れてただただ謝った。

ごめん、ごめんなさい。
おまえをこんな目に合わせるつもりはぜんぜんなかった。
少しの余裕を持ちたいと
あの頃の私は必死だった。
それでもなかなかうまくいかなくて
勧められた相手とうっかり再婚してしまった。
あんなこと思わなければ。
楽をしたいと思ったたりしなければ。
こんなことにはならなかったのに。


冬馬を外で眠らせた翌朝はいつもこうして始まっていた。
けれど、アイツが出掛けた朝七時を過ぎても冬馬が帰って来ないのだ。
春乃も心配して「探しに行こう」と言い出し、加奈子はいつも冬馬が夜を過ごす公園のもぐら山を覗きに行った。もぐら山の中にまだお湯がたっぷりと入ったままの水筒が一本転がり、他には何も残っていなかった。
遊具の中に頭を入れて冬馬の名前を呼んだ。
もちろん返事はなく、顔を上げ辺りを見回して冬馬の姿を探した。

どこにもいない。

冬馬がいない。

愛したあの人によく似た面差しの涼しげな目元をしていた。
笑うと右のほっぺの上に小さな横じわが出来て八重歯がのぞいた。
小さな耳
おでこのほくろ
アイツに掴まれ続けて消えなくなった左の鎖骨の上のアザ。
痩せ細った体と曲がった左の足首。
少し歩きにくそうに歩いてた。
みんなアイツがやった。
みんな私がやらせてしまった。

「冬馬!」

呼んだ。
けれど、誰も振り向かない。
誰も「おかあさん」と呼んでくれない。

「冬馬、どこに行ったの。
おかあさんを困らせないで。出てきて。」

大声では言えない。
公園の近所の人に聞かれたらたいへんなことになる。

「冬馬、冬馬っ」

加奈子は春乃のために家に帰った。


Hameln 17
つづく


※本文中、谷山浩子さんの
「ねこが行く」
という曲の歌詞を掲載いたしました。
りくのイメージにピタリと重なる曲です。

収録『ここは春の国』
作詞/作曲 谷山浩子


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