見出し画像

終末夜話 26

週末は地獄だった。
マンションの部屋にお母さんとふたり、ろくに話もせず陸は部屋から必要以上出ることが無かった。
でも、ホントの地獄はこれからだ。
月曜日になればお父さんが家に帰ってくる。小さい頃は待ちわびて週末が大嫌いだったけれど今はまるで反対だ。
そして次の土曜日からは夏休みが始まってしまう。月曜日にお父さんが帰って来たらいつから楠に行くのかを、きっと言うに違いない。遅くとも8月から。早ければ休みに入ったらすぐ、と言われるだろう。
それを考えるといたたまれなくなった。
もう無理だ。
と、何度も口にした。
週末家の中でお母さんと顔を合わせても、自室に居ても、お風呂に居ても。

月曜日、夜7時過ぎ。
判で押したように同じ時間にお父さんは帰って来た。
返却されたテストの答案をテーブルの上に重ねて置いてあった。黙ってそれを一枚一枚見ていって一言「英語は、ダメか。」と聞いてきた。
「ハイ。」返事をすると

「おまえの楠の姉ふたりはふたりとも立泉大を出ている。英語を含む外語が堪能だ。
夏休みにいろいろ教えてもらうといい。」
静かに言った。
陸はうなづき、食事をし、歯ブラシをして、すぐに自室に帰った。

リビングから由紀子と貴仁の声が遅くまでしていた。それでも陸は部屋から出て行かなかった。
翌朝起きると貴仁はすでに出掛けており、陸は少し安心してどんよりした空を眺めていた。

「週末ごろ、梅雨明けですって。」

由紀子が静かに言った。
テレビで気象予報士が天気図を指し棒で示しながら説明を始めた。

「ずっとじめじめした梅雨が続いていた日本列島、梅雨明けの兆しがようやく見えてきました。今週水曜日は雨。しかしこの雨は長くは続かず深夜のうちに止むと思われます。水曜日の午後から木曜日にかけてようやく夏らしい日差しが望めると思います。
皆さん、まだ夏の日差しに慣れていないところで太陽にあたることになりますので水分と塩分を調整して熱中症にご注意ください。
そして問題は金曜日です。
この後土曜日から学生さんは夏休みになる学校が多いと思いますが、この金曜日の雨、あちらこちらで警報が出るほどの雨になりそうです。
また、日付が近づきましたら詳しいおはなしをしたいと思います。本日お洗濯ものは外干ししても雨は降らないと思いますが、曇り空なので乾くのに少し時間がかかりそうです。
梅雨明けまでもうすぐ、
夏はすぐそこです。

以上、お天気でした。」

明るい水色のワンピースがヒラヒラと風に揺れる。ショートカットのお天気お姉さん。指し棒が薄日にキラッと光った。

「今日も、図書室に寄る?」

由紀子に聞かれ、陸はうなづき小さく「行って来ます。」と言うと玄関へ行った。
先週の金曜日からずっとあの調子だ。
話しかけても短い返事が帰って来るだけ。食事も食べてはいるがおかずにまで手を出さず、ごはんと味噌汁を静かに食べるだけ。
陸は気がついているのだろうか、篠津との道ならぬ恋を。

火曜日の放課後、数学の答案の間違っていた箇所をもう一度答え合わせの時の先生の言葉を思い出しながら解き直した。
二問。
正しい答えが目の前に現れ、
「ああ。よかった。」と心の中で思った。
たったひとつの答えを出すために奮闘した時間は嘘ではなく本物だ。たとえ間違ってしまっていても頑張ったことにウソはない。そこが数学のいいところだ。
それは正解の方がうれしいに決まっているけれど間違って居たからといっても、後から計算し直せば必ず正しい答えが出てくる。そこがいいのだ。
今日と明日で答案の返却が終わる。
木曜日はレクリエーション。
夏休みの課題や、休み中の登校などへの注意事項。翌日終了式が終わったらすぐに休みに入れるように余計なことをやっておく日だ。

どうでもいい。

もう、ぼくに夏休みは来ない。
帰ればまた、お父さんに答案を見せて通りいっぺんの話をして部屋にこもるだけだから。そして、たぶん今日の夜「楠」に行く日をお父さんに言われる。

気持ちが沈んだまま、図書室を出た。


ぼくの毎日は、家と学校だけ。
ほかになにもない。
この世界のどこにも、ぼくの居場所はない。1999年の7月に、空から大王が降りてきて世界を破滅に向かわせるはずだったのに失敗したんだ。きっと。
なにかのアクシデントで
                 フフフ
               ソンナトコロヨ
             デモキイチャダメヨ
               シカラレルワ
帰り道の林道でたんぽぽがまるく、綿毛になっていた。
飛んで行けるのかな。
今夜雨が降るのに。
             シンパイシテクレルノ
               アリガトウ
        デモ、ワタシタチハダイジョウブ
               アナタハ?
          アナタハ、ダイジョウブ?
雨が降る前の、湿気た匂いが林道の奥からしてきて、深い草むらの匂いを陸は嗅ぎとった。
図書室で英文詩の訳をしてから、ときどき聞こえる小さな声を陸は少し楽しみにしていた。

ぼくはきっと
おかしくなったんだ。
勉強のしすぎかもしれないし、
環境のせいかもしれない。
小さな、小さな声がするところではいつも、たんぽぽの綿毛があるなんて言ったら病院に連れて行かれるかも。
それもいいか。
言ってみようか。

自嘲して、高等部のバス停まで急いだ。


「楠」に行くのは8月1日と言われた。
断ることはできないし、
向こうは断られることなど想像すらしていないだろう。夕べ晩ごはんの後に呼び止められて言われた。
「陸、よく聞きなさい。
お祖父様も、おまえの姉たちも、そしてその姉たちの母親も、おまえが来るのを楽しみにしている。
誰もおまえを奇異な目で見たりしないし、あちらにはおまえの全てを揃えてある。何をそんなに恐れているんだ。」

「恐れてはいません。」

「気に入らないのか。」

「いいえ。ただ。」

「ただ、なんだ。」

言っても仕方ない。
なにもかもが嫌だなんて、
お父さんに言ってもわからない。


            終末夜話 26
               つづく

第27話へ

第1話に戻る


#天気予報
#警報級の雨
#声
#夏休み前
#林道

いいなと思ったら応援しよう!