終末夜話 32
陸は歩いていた。
学校前の林道をまっすぐに。
荷物は全て林道前の道端にそっと置いて山の中に入ってきたのだ。
ザアザアと雨粒が顔や体を叩きつけ前を見ているのも辛いほどなのに、寒くもない、苦しくもない。
「なにもかも流して!」
エエ、イイワ。
ドコマデモ
アナタノノゾムトコロマデ
どれだけ歩いたのか、そしてここは本当に学校のそばの山の中なのかだんだんわからなくなってきて、一度立ち止まった。
雨が降りつづく。
どこかで鳥が鳴いている。
「こんな雨の日なのに。」
トリハジユウナノヨ
シンパイスルコトナイワ
雨と風に揺れる樹々を見上げ、鳥の声を聞きながらただ、ただ、歩き続けた。
「どこまでつづくんだろう。」
フアン?
コワイ?
不安でも、怖くもなかった。
むしろ自由になれた気がして、雨に濡れていることに喜びを感じていた。
雨に濡れることは悪いこと。
風の吹く日は家の中で静かにしているように言われ、真夏の太陽にあたる時は帽子を被る。
言われなくてもずっとやっていたことは何もかもまちがえていたのだ。
濡れたければ濡れればいい。
吹かれたければ吹かれればいい。
泣きたかったら泣けばいいし
怒りたければ怒ればよかったのだ。
「楠」の家などに行きたくなければ、「行かない」と言えばよかったのだ。
頭から滴る雨粒も、水で重くなる洋服も、中に入ってカパカパと音を立てる靴の水も、全てが陸のためにある。
陸の全てを流すための雨。
林道のまんなかで、陸は両手を広げて上を向いた。降りかかる雨を避けもせず
「ぼくを連れてって!」
そう叫んだ。
どこかでカッコウが低く
「カッコウ、カッコウ」と二回鳴いた。
クルワ!
イマクル!
アナタヲ、ムカエニ!!
雨が一層強さを増して、雨粒はどんどん大きくなり陸の涙を流していった。
明日セカイが終わるなら
やってみたいことがある。
まだ誰も
見たことのない
行ったことのない不思議な森。
森の奥深く入って行けば
まだ、気がつかない
知らないセカイが待っている。
セカイノオワリが来たときに
誰といたか
何を食べたいか
なにをしたいか
そしてそこから、何が始まるのか。
その森だけが知っている。
どこにあるのかみんな知ってる。
どこにあるのか誰も知らない。
まっくら森のまんなかに
明日セカイが終わるならぼくは行く。
まっすぐ歩いて
ときどき曲がって
坂道のぼって
必ず見つけるぼくのまっくら森。
森に入って
泉を見つめて言うんだ。
「やっとセカイが終わるって!
一からやり直すんだ。
ぼくのセカイを
ぼくだけのセカイを!」
これはぼくのものがたり
そしてあなたのものがたり
まっくら森は、不思議なところ
朝からずっと、
まっくらくらいくらい。
モウクルワ、
イマダワ
サア、ハシッテ!
陸は "声" に言われたように林道から見えない森の中へと走っていった。
誰か、誰かたすけて。
ぼくをたすけてほしいんだ。
陸の前を小さな光が横切った。
それは、とても小さな光ででもすごい速さで目の前を通りすぎると陸を見つけて戻って来た。
光はふたつあり
ひとつは深い緑色、
ひとつは金色だった。
遠く、近くをすごいスピードで飛びながら陸のこめかみにふたつの光の玉がぶつかった。
右のこめかみに緑色が
左のこめかみに金色が
「痛いっ」
イタカッタ?
ゴメンナサイ
アナタニ、シンジツヲミセルタメノダイジナメ
メヲアケテ
ソットヨ
ソットアケルノ
森は奥深く、
陸の頭の上だけに青空が広がっている。
誰も見たことのない美しいブルー
雲ひとつない青い空。
まっくらな森の樹々の隙間から見える誰も見たことのない不思議な色のブルー。
「あれは空?」
ソラカシラ
ソラカモネ
ソラダワキット
アナタガソラダトオモウナラ
まっくらなのに空が見えるのは少し違うと思ったけれど、声達が言う
「アナタガソラダトオモウナラ」
を信じようと思った。
あれは空だ。
ぼくの空。
戻らない。
そう決めた、あの雨の日に
あの日、ぼくは捨てたんだ。
お父さんもお母さんも家も学校も、「楠」も。なにもかもを。
小さな光の玉をもらってぼくに見えたセカイはなにもかもが変わっていた。
人形みたいなニンゲンに戻りたくなかった。どれほどお母さんがぼくを探していようと、泣いて暮らしていようと、森の中を彷徨い歩こうと。
右目に真実の見える緑色の眼をもらい、
その眼が陸の行く道を指し示した。
左目に心を繋ぐ金色の眼をもらって、
その眼が "あの方" と繋げてくれた。
ぼくは "あの方" のそばにやってきた。
森はどこまでも深く、大きく、暖かだった。
森の奥には静かで深い清らかな泉があって、泉に自分の顔を映すと美しい緑色と金色の眼がぼくを見つめ返す。
手を伸ばせばそこにぼくがいる。
真実の眼と、繋ぐ眼を光らせて。
「おまえの求めた通りになったか。」
泉の底から声がした。
「望んでいたのだろう。」
陸はうなづいた。
「その両眼を何に使う。」
水面を見つめ静かに声を聞いた。
「家を捨て、母親を捨て
おまえはやってきた。
おまえの望む通りになったのなら、
今度はおまえが
返す番だ。」
「ぼくの番?」
「どんなに時間がかかってもいい、
おまえは自由だ。」
ぼくは自由になったんだ。
あの鳥のように。
「その眼を無駄にするな。
似合っている。」
もう、戻らない。
ここで生きる。
緑色の右目と、金色の左目で
なにかを探せばいい。
ぼくに出来る、
ぼくにしか出来ないことを。
なんの手がかりもなく三年も過ぎた今、陸を探す手立てはないに等しい。
ため息をつきながら由紀子はアイロンをかけていた。業務用の大きなアイロン台の上で、スチームの熱気と湯気にめまいを感じながら首にかけたタオルで汗を拭い、考えることは陸のことばかりだった。
あの日、たった15分の間に何があったのだろう。もし犯人がいるのならなぜ身代金の要求もせず連絡を取ろうとしないのか。
自発的な家出なのだとしたら、陸はどうやって暮らしているのだろう。危ないことに首を突っ込んではいないか、ごはんはちゃんと食べているのだろうか。
万が一のことも考えないわけではない。
もし自分で命を絶つようなことがあったのなら、なぜその遺体が出て来ないのか。
居なくなって、やっと気がついたのだ。
陸はきっと篠津と由紀子の関係に気がついていた。聞いたわけではないが、居なくなる前のあの不安定な精神状態は「楠」という家のことだけだったとは思えない。心ないテレビやマスコミに投げ掛けられた陸へのレッテルは
「家庭内に問題のありすぎる子供」
というものだった。
仕組まれた関係から生まれた不幸な子供。父には別の家族があり、母には恋人がいる。
考えれば、考えるほど
どれだけ謝っても謝りきれない反省が由紀子の上にのしかかっていた。
終末夜話 32
つづく
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