「大丈夫じゃない」と言える社会|デンマーク・フォルケホイスコーレと集会文化
3年間の海外生活では、日本にいる時よりも、生きている心地がした。
いろんな背景や文化のある人たちとの暮らしは、刺激的というよりも、「普通であろうとしなくていい」ラクさがあって、それがよかったのだろう。
デンマーク生活の最初の一年は、2校のフォルケホイスコーレに半年ずつ通っていて、2校目の学校は美しい島にある小さな学校だった。
※フォルケホイスコーレは、デンマーク発祥の全寮制の大人のための学校。試験や成績はなく、対話や共同生活をとおして学ぶ学校として知られている。
そこでの暮らしで、私はずっと忘れていた「子ども心」を思い出したような気がする。
自然や音楽に心を動かし、目や耳で感じたものが言葉となって降ってくるような、そんな感覚があった。
私は、感じたことのすべてを言葉にしていた。
その時間や、感覚を言葉にする習慣が、その後の生活でも心の支えみたいな役割を果たしていたと思う。
ストレスや不安が言語化されることで、目に見えなかったそれらが、自分で扱えるものになるような感覚もあった。
デンマークに行く前は、東京で働いていた。好きな仕事をしていたし生活は安定していたけれど、ふと「自分の人生を生きている心地がしない」と思ったことがあった。
周りから浮かないように、普通を演じていたのかもしれない。
「普通」ってなんだろうって思うけれど、日本の学校や社会では、「普通であること」を求められる場面がすごく多いと思う。
フォルケホイスコーレでは、ボードグループミーティングというものがあった。そこでは毎週、今週どんなことがあったか、体調はどうかなどを、十数人ほどのメンバーと先生とで共有し合う。
そこでは、失恋や病気のことなど、パーソナルな悩みについてもオープンに話される。
日本では、うつのような精神的な不調は隠されることが多いけれど、ここではそうではなかった。
一人が抑うつについて話すと、他の人も「自分もそうだった」と自然に共有する。
一人で抱え込むのではなく、少し外に出して、共感し合ったり励まし合ったりする。
自分一人で病と闘うより、ずっと心強いと思った。
もともとデンマークでは、冬の日照時間が短いことによる影響で、鬱病になる人が多いと言われている。うつの診断を受けたり、セラピーに通ったりすることは、そう珍しいことでもないようだった。
日本では精神科の受診もハードルが高く思えたし、もし診断されても、周りに話すことはなかなかできなかったと思う。
本来は、隠すものでも恥ずかしがるものでもないはず。ただ、精神的に普通に強い人と思われていた方が、何かと都合がよい社会の空気を感じ取っていたのかもしれない。
私が就活生だったころには、圧迫面接というものもあった。今もまだあるのかはわからないけれど、ストレス耐性が強いことを求める職場は、今でも少なくない気がする。
もともとデンマークには、感情は抱え込むものではなく、シェアして共に味わうというような文化があったように思う。
散歩中にたまたまたどり着いた、デンマークの小さな村の教会で雨宿りした時のこと。
ちょうど鐘が鳴って、なにかの集会が始まった。
私は特定の宗教を信仰していないけれど、参加していいか尋ねると、「誰でもウェルカムだよ」とあたたかく迎え入れられた。
その日は、蝋燭に灯した光を見ながら歌を歌った。
少ししてから気付いたのは、最前列に座っていた方は、大切な人を亡くされたあとだったようで、その悲しみを癒しに来ていたということ。
光は揺れ、歌は教会の天井まで響いた。
悲しみも美しさも、一人で抱えるのではなく、誰かと一緒に感じればよかったんだ。
私はデンマークの集会文化がとても好きになった。
🕯️
いいなと思ったら応援しよう!
よろしければ応援お願いします! いただいたチップはクリエイターとしての活動費に使わせていただきます!