届かない手紙を書くのをやめたら言葉が消えた
“home”とは何だったのか
届かない手紙を書くのをやめたら、言葉も消えてしまった。
そんな気がしている。
以前、私はエッセイや詩を書いていた。
誰かに届けるために書いていたわけではない。
でも心のどこかで、自分の感じた世界を受け取ってくれる誰かの存在を信じていた。
私はここにいる。
私の感性はまだここで生きている。
そんなことを伝えたかったのだと思う。
世界のどこかで、同じように孤独を抱えながら生きている人に、「あなたは一人じゃない」と伝えたかったのかもしれない。
けれどいつの頃からか、その手紙がどこにも届いていないように感じられるようになった。
これ以上続けたら惨めな気持ちになるような気がして、書くことをやめた。
届けようとするのをやめたら、今まで浮かんでいた言葉も一緒に消えてしまった。
空を見ても、風に吹かれても、以前のように言葉が降ってこない。
世界を美しいと思えなくなった。
あの頃はなぜ、世界を自由に言葉にできたのだろう?
もしかしたら私は、「理解されること」を求めていたのかもしれない。
『星の王子さま』の物語の中で、主人公が描いた「ゾウを飲み込んだ大蛇(ウワバミ)」の絵を見て、大人たちは「帽子」だと言う。
説明することに疲れた主人公は、大人の仮面を被り続けてきた。
でも王子さまは、説明しなくてもわかってくれた。
言葉にならないものを共有できる人。
感受性を隠さなくていい人。
自分が自分のままでいても大丈夫だと思える人。
人生の中で、ごくまれにそういう相手に出会うことがある。
自分の世界の感じ方を愛してくれる人がいる。
理解してくれる人がいる。
言葉にしなくてもわかり合える何かがある。
それは、この世界とつながる灯火のように思えた。
今になって思う。
私が探していた“home”とは、国でも家でもなく、あの感覚だったのかもしれない。
誰かの目の中で、子どものままでいられるような感覚。
その中で、世界をそのまま感じ、孤独も愛も両方とも抱えたまま生きていた。
私は長い間、その感覚を失うことを恐れていた。
そして、そうした時間があったこと自体を否定しようとした。
それが本物ではなかったと思えば、いつかもっと本物に出会える気がしたから。
でも、最近になって気づいた。
本物だった時間は、本物のままでいい。
それが遠い過去になっても、ニセモノになるわけではない。
だから私は、あの時間を抱えて生きるのだろう。
それは孤独かもしれないけれど、忘れようとしていた頃よりもずっと、私だ。
誰に向けて手紙を書こう
喪失の中にいるとき、世界は心に言葉も雨も降らせない。
今の私は、雨を美しいと思える、雨の音や色に想像を膨らませて楽しめる、そういう世界の愛しい側面に心を動かす感覚を恋しがっている。
そして、昔はうっとおしかったこの雨の季節に、世界とつながるわずかな言葉の糸口を探している。
世界を美しく書こうとせず、自分に素直でいることから、もう一度世界を始めたい。
そう思った今日、外は雨が降っているから、私はまたこの世界を信じてみるのかもしれない。
誰に向けて手紙を書こう。
同じ人生の旅人たちへ、だろうか。
お酒でも水でも空気でもなくて、寂しい時に吹いた風みたいな、そんな存在に向けて、だろうか。
それはもう、通り過ぎてしまっただろうか。
風を纏っているときの世界では、弱いままでも立っていられた。
草木や季節と私の身体との境界線がなくなっていく心地は、私を孤独にして、それなのに旅を愛してしまう。
何になりたかったのだろう?
何を探していたんだろう?
強くなりたかったのだろうか?
何も分からなくて何も見つからなくて、強くもなれなくて。
でも、今日一つだけ見つけたのは、それでも自分が世界に何かを探そうとしていること。
こうして言葉を走らせるのは、もう一度世界を信じてみたくなったから。
何も形にできなくて、世界が遠く離れていくように感じられて、自分を信じられなくなっていた。
でも、それでもまだ私はここにいる。
そんな自分を信じてあげてもいい気がした。
あなたにとって、この世界は美しいだろうか?
この世界のどこかに、同じ空気を吸って、空を見ている人がいる。
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