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移民になって感じた世界①|デンマークを離れると決めた1年

私は昨年、デンマーク第二の都市、オーフスにある大学で「移民・難民のための教育準備コース(FIF kursus)」に通っていた。

これは、デンマーク在住の外国人が、現地の専門学校や大学へ進学するために必要な言語や文化を学ぶためのコース。
1年間履修し、4回の試験に合格すると、デンマーク語公式試験 Studieprøven(CEFRのC1レベル相当)と同等の資格が得られ、現地大学へ出願することができる。

この Studieprøven は、デンマーク在住歴の長い人たちでも苦戦する難関試験。その資格と同等のものを得られるこのコースは、移民・難民にとってはとてもありがたかった。

私がこのコースを選んだのは、デンマークの教育専門職であるペタゴー(pædagog)になることを目指していたからだ。
B2レベルのデンマーク語力を証明することで入学が認められ、学費は無料
さらに、クラスメートのほとんど全員が、その間の生活費(SU)も支給されていた。

そのSU対象外だったのは、実は私一人だけ。
支給条件が「EU出身者、またはその家族であること」だったからだ。
言語試験の結果でもなければ、成績でもない。
それは、私自身の努力ではどうすることもできなかった。

当時は、それでもデンマークで生きていきたいと思っていた。
だからこそ、このコースに入学した。
けれど、学び続けるうちに少しずつ見えてきたことがあった。

EUという仕組みによって、ヨーロッパの人々は国境を越えて学び、働き、暮らすことができる。
それは本当に素晴らしい制度だと思う。
ただ、その外から来た私は、常にシステムの外側に立っているような感覚を味わっていた。

同じ教室で学び、同じ試験を受けていても、見えない境界線がある。
大好きな国から「ウェルカムされてなさ」を感じ続けるのって、なかなか堪える。
実際にそう言われたわけではない。
それでも、制度の中で何度も「自分は対象外なのだ」と突きつけられる。

その感覚は、じわじわと積もっていく。
こういうことは、経験してみないとわからない。

簡単な選択ではなく、いろんな感情が溢れる1年だった。

最初の試験で最高点の12が採れたとき、なんだか涙があふれてきた。
言語学校に通うことができず、誰に褒められることもなく独学で頑張ってきたデンマーク語が、初めて誰かに認められた気がして嬉しかったのだと思う。

最後の試験を終えた後、卒業後にデンマークでペタゴー(pædagog)教育課程を続けていくか聞かれた。
その時にはもう、デンマークを離れることを決めていた。
ただ、実際に「続けない」と答えた時、自分でも想像していなかった涙が込み上げてきた。

後悔はしていない。むしろ、場所に執着し続けない選択ができたことを誇りに思っている。
それでもしばらくの間、この日のことを思い出すと苦しくなっていた。

報われないのになぜ頑張ってきたのかと感じることもあった。
でもあとになってから、このコースの終了が、過去の自分へのプレゼントのように思えてきた。

デンマークに来たばかりの頃、私はデンマーク語どころか英語も危うく、一人で電車に乗ることもままならず、まわりから助けられてばかりだった。
そんな私が、この国の大学に出願できる資格を手にした。
やろうと思えば、この国の人を助ける側になる道を選ぶこともできる。
そこまで辿り着けたのだから。

以前、日本好きデンマーク人の友人が日本へ行き、仕事の面接に3回落ちて2週間で帰ってきたことがあった。
当時の私は、「2週間は早すぎる」と思ってしまった。
でも、今なら少しわかる気がする。
きっと彼女も、大好きな日本から感じた「ウェルカムされてなさ」が悲しかったんだろうな、と思うから。

そういった状況を乗り越えながら生きている人たちもいる。
この国にどうしても残らなければならない人もいる。
私は、その強さを心から尊敬している。

けれど、私には選べる自由があった。
だからこそ、自分自身を守りながら生きられる場所を選んでいきたい。

日本にも同じように、制度に苦しんでいる外国人がたくさんいると思う。
自分がその立場になったあの時の感覚を、忘れないでいたい。

▶︎このコースでの1年間や、デンマークで移民として暮らして感じたことは、以下のnoteにもまとめています。


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