そんな風に笑って 小説 第三話
オレンジの空を登るように黒く染められていく道中、タイムカードを切った俺と中浦の歩みは心地いいものではなかったものの、一抹の解放感があった。
問題を抱えたスタート。あの後、高山さんに謝ろうとやきもきしているところに中浦が俺を連れてそのまま会社を出た。
「まぁ高山もあんな言い方も悪いけどお前も大概やなぁ」
会社を出て暫くするとやっと口を開いた中浦から聞き馴染みのある関西弁が聞こえた。
「そうだけどさ…高山さんっていつもあんな感じ?」
「どうやろ、あんな感じかもしれんし初めてなんかもしれん」
「どっちだよ」
的を射ない返答は中浦自身もあまり高山さんについてわかっていないのか。
「そもそもあんな話す人ではないんよな~。基本的に無口な人ってのが部署の中での印象やし、ほんで今回のコンペなんか余計な業務が増えるのに本人たっての希望やからなぁ」
「希望して参加することできるんだ」
「食堂にも張られてるし朝礼の報告事項でも来てたぞ」
そもそも食堂に行かないし、朝礼なんて営業報告と目標報告さえ済ませると後は馬耳東風だ。
初耳である俺の姿に中浦は「はぁ」とやるせなさそうにため息を吐いた。
「…まぁそんなわけでその募集があったときにうちの部署で希望した一人が高山さんなんよな。あんまりそんなことに興味無さそうな人やと思ってたのに希望したことに周りも驚いてたわ」
「確かに、そんなイベント事に興味あるように見えないのにな」
「俺も同じ意見やわ」
「何考えてんだろうな」
先ほどまで口論をしていたにもかかわらず、俺は純粋に高山さんという人物に興味が湧いていた。
冷たい金属で覆われたロボットのような人物がこのイベントに対して熱をもって取り組む姿がどうしても想像できなかった。けれど実際に一時間前に俺はその人物の涙を見ていた。
「とりあえず、明日はちゃんと大人になってくれよ。というか涼介はてっきり嫌がらんと思ってたわ」
「なにが?」
「発表」
「あの場の勢いで頷くことが駄目な気がしただけ」と言えばそれこそ流石の中浦も気を悪くするだろう。
俺は「まぁ…」と言い、思い出したようにスマホを取り出し、意味もなく明日の予定を開きそのままなし崩し的に返事を濁した。
中原は「はぁ…」と残すと同じように自分のスマホを見た。
「ほんで?なんでなん?」
自分のスマホをみたまま俺に聞く。
俺はしぶしぶスマホをポケットに戻した。
「いやぁそもそも向いてないって。すぐに緊張してしまうもん」
「そんな風に見えんけどな。実際、新入社員の時のグループ発表で涼介が発表をして優秀賞みたいなもの取ってたやろ」
「あれは……」
あの時、俺のグループがよかった理由は自分でもよくわかっていない。
未だに不思議だ。
ほんとにノリの勢いってやつなのかもしれない。
「まぁなんでもいいけどさ、どちらにせよ適任なのは俺も思うで」
「いや、向いてないよ」
「なんやねん煮え切らんなぁ」
煮え切らない気持ちで話していることは自分でも分かる。漠然とした拒否はそれこそ建設的でないのだろう。
言葉にできないもやもやが積もり深い泥を踏んでいるような気分だ。
「まぁ明日改めて決めよか。無理強いは良くない事は神原主任も言うてたことやし今日のところは久々に一緒に帰ってることやし飲みに行くか」
「……おう」
「どちらにしてもこうして仕事なんか知らんけど同じ空間で仕事できるのは嬉しいな」
「俺も」
「じゃあ発表しろよ」
「それは保留で」
「なんやねん」
力なくツッコミした中浦はくたびれた歩きながらネクタイを解きだした。真似して首元を緩めると「真似すんなよ」と俺の肩を小突いた。
陽が落ちた紺に染まる空の下には有彩色のネオンが瞬いていた。
時計の針は既に翌日の時間を指している。
寝巻に着替えてゆっくりする一日の終わりに書く日記の画面に私はいつもより乱暴気味にキーボードを鳴らしていた。
暖色のランプに照らされた机はとても落ち着く空間なのにも関わらず私は眠れなかった。
自ら希望したコンペは初日から予想外のスタートを切ることになった。
「はぁ……」
心の雲を吐き出す作業をいくら続けても依然として曇り空だった。
安田涼介。
子供みたいな奴。
懇親会の時も一人だけ異様なテンションだった。
皆が気を遣ってあえて取らないようにしているものを考えなしに山盛りに皿に盛ってこちらに挨拶してきたときは一人だけ初めてバイキングに来たのかと聞きたくなるほどだった。
およそマナーという言葉と無縁な奴なのだと思うと印象はそこからどんどん落ちていった。
空気が読めない人。
人付き合いの苦手な私は特に分厚くて冷たい仮面を被った。
冷たい印象で接していたらほとんどの人は空気を読んで一言二言交わすとそのまま話さなくなるがこいつはしつこく絡んできた。
「明阪大ってすごいところじゃん!高山さんって頭いいんだね!」
その言葉に反射的に返した。この努力なんて知らないやつ奴が無根拠にすごいや適当な耳障りのいい言葉を吐いたことが私にとっての努力を踏みにじっているのかと思ってしまった。
「安田さんは努力したことあるんですか」
お前に何がわかるんだ。その気持ちは低い声になり安田の饒舌な舌を錆びつかせた。
「そりゃあ、あるよ……」
もごもごと答える言葉に私は既に興味が失せていた。
「そうですか」
それが安田涼介との初めての会話だった。
その後、入社してからは話すような場面はなかった。
安田はすぐに落ちこぼれになるだろうと思っていた。
そんな予想とは裏腹に彼は新入社員発表会では優秀賞をとった。
ちゃらんぽらんで元気なだけの奴が一番良い発表をした事実。
そのことをどうしても認めたくなかった。
けれど結果は結果。ゆるぎない事実に感情を押し殺すしかなかった。
『私も安田君がいいと思います』
今回のチャンスを逃したくない。使える物を使う。そんな冷酷な気持ちで。子供じみたわがままを呑み込み彼を推した。
それなのに……
「くそっ…」
マグカップの中のホットミルクを手にとって口につけた時、既に中身は空だった。
ノートパソコンで書いている日記の手が止まり見返すと私怨の言葉ばかりが画面に広がっていた。
・・・・・・・
翌日のミーティングの場所は会社の共有カフェスペースで集まることになった。
厳かな研修室とは違い日当たりもよく一人掛けのソファが置かれているカジュアルな空間は休憩する人もいれば、そこで作業をしている人もいる。
いつも一人掛けのソファに座って残った仕事を片付けるが今回は四人掛けの机で自前のパソコンを立ち上げていた。
昨日の気持ちはまだ晴れないが流石に引きずるようなものではなかった。
「おっすおっす。おつかれ~」
能天気な声がカフェの入り口付近から聞こえてきた。
あいつが来たか。
エクセルの画面の数字を打ち間違えてしまった。
舌打ちを打ちたい気分だ。
一人だけ放課後のような雰囲気で共用カフェに来てからもう何人にも挨拶している。
ここに来るまでどれだけ時間がかかるんだ。
昨日の今日にもかかわらずけろっとしたあいつの声にキーボードを打つ手が
止まる。
「ちっ」
不意に出た舌打ちは意図しないものだった。
聞こえていてもかまわないと思い画面越しに彼の顔を見る気づいていない様子だ。できるだけ無表情を装ったまま彼が席に着くと先ほどのような陽気な学生姿はいつの間に肩を丸めた姿になっていた。
「えっと、高山さんお疲れ様」
飼い犬がよその家に来たのかのような委縮ぶりにイライラする。
当てつけのように冷えた声で返事をすると彼は一層小さく映った。
声を掛けるなと言わんばかりに私はキーボードの打つ音を大きくすると
ケージから出ようとしない犬のように、彼はちびちびとアイスコーヒーを飲んでいた。
そんなことを気にもせず画面を見ていると力なく尻尾の垂れ下がった彼はポツリと話し始めた。
「あのさ、昨日はごめん」
「なにがですか?」
とぼけたふりは、単純そうな彼にとっては効果的で尻尾はすっかりおしりとくっついているように見えた。
「感情的な態度で当たってしまったから……」
「いえ、こちらこそ勝手な判断をしてしまいすいません」
気の毒すぎる気持ちによって喧嘩両成敗として昨日のことを水に流してやると安堵したのかミルクと砂糖を二袋入れてかちゃかちゃと混ぜてコーヒーをすすった。
「はぁ…」
ため息を吐くとびくっと肩を上げた彼が画面越しから見えた。
やはりこいつは子供だ。
