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スチームおじさんの大学院編第13話 「別れ」~旅の終わりと新たなる出発~

前書き

大学院で過ごした月日には、
勉強の苦しさよりも、
人との出会いと別れの重さがあった。

笑った日もあれば、
悔しさで机に突っ伏した夜もあった。
誰かの支えで立ち上がり、
誰かの涙に胸を締めつけられた。

そして卒業の日――
“自分の物語の最終ページ”を、
静かにめくる瞬間が訪れた。

この最終話は、
派手な事件も、劇的な奇跡もない。
ただ、仲間たちとの日常の延長にある、
**痛いほどリアルな「旅の終わり」**の記録だ。

別れは笑顔で、
再会は偶然で、
未来はまだぼんやりしていて。

でも、胸の奥でははっきりと分かっていた。
――あぁ、本当に終わるんだ、って。

あなたにもきっと、
人生のどこかに「こういう夜」があるはず。

その記憶と重ねながら、
静かに読んでもらえたら嬉しいです。

ビジネス学部の教室を出ようとしたそのとき、
後ろから、聞き慣れた声が飛んできた。
「今夜、いつものピザレストランでパーティーがあるわよ。ちゃんと来るのよ!」
振り返ると、コニーがいつものキレのある笑顔で手を振っていた。
スチームおじさんは、ひとつうなずいて教室をあとにした。
キャンパスの外に出ると、卒業生とその家族、在校生、教授、関係者たちでごった返していた。
晴れた空の下、スーツ姿の学生たちが記念写真を撮り合い、
胸にバラのコサージュをつけた保護者たちが、目を潤ませながら見守っている。
そのときだった。
「Steam!」
懐かしい声が耳に届き、スチームおじさんは思わず振り返った。
そこには、ムハンマドの姿があった。
快活な笑みを浮かべながら、両腕を大きく広げている。
そして、まるで兄弟のように抱きしめてくれた。
「You finally deserved.」
スチームおじさんは無言でうなずいた。
この一言だけで、過去のすべてが報われた気がした。
「お前も聞いてるだろ? 今夜、大学近くのピザ屋でみんな集まるんだ。来るだろ?」
「もちろんさ。」
言葉は短かったが、その胸の中には、出会いと別れ、挫折と希望、すべてが詰まっていた。
やがて歩き出すと、広場の一角にタオ、コニー、トミー、マリアム、
そして半年前に一足早く卒業したエメカの姿が見えた。
笑い合いながら代わる代わるペアを組み、肩を寄せ合って写真撮影に精を出している。
スチームおじさんもその輪に加わり、全員と写真を撮り終えたとき、
ふと、遠くからの視線に気がついた。
振り向くと、コフィとティムールがこちらに手を振っていた。
コフィはいつものように太陽のような笑顔を浮かべ、
真っ白な歯を見せながら叫んだ。
「Congratulations, Steam!」
スチームおじさんは笑顔で手を振り返し、
後でピザレストランで会おうと約束し、キャンパスを後にした。
アパートへ向かうその道すがら、
スーツの襟元に差し込む風が、どこかやさしく感じられた。
スチームおじさんはアパートに戻ると、スーツを脱ぎ、
ひとまずシャワーを浴びた。
熱い湯が首筋を伝い、肩の力がようやくほどけていくのがわかる。
そのまま簡単な昼食を済ませると、
式の緊張感から解放されたせいか、急に眠気が押し寄せてきた。
目覚ましをセットしてベッドに横になると、
次第にまぶたが重くなり、スチームおじさんは静かに眠りについた。
外はまだ、真冬の澄んだ光が、斜めに差し込んでいた。
冷えた空気の中、窓辺のカーテンがわずかに揺れ、
スチームおじさんの部屋には、静けさと淡い光が広がっていた。
ミッドウエストの冬は、陽が落ちるのが早い。
午後5時を前に、空はすでに群青色に染まりはじめていた。
スチームおじさんは、厚手の上着に袖を通し、
冷たい夜風に備えて、再び外出の支度を整えた。
やがて、パーティーの開始時刻である午後6時を過ぎると、外はすっかり暗くなっていた。
スチームおじさんは少し余裕をもって、6時半過ぎにアパートを出た。
空は群青色から、深く沈んだ青へと変わりはじめ、
街の明かりがその闇の中で、ひときわ鮮やかに浮かび上がっていた。
大学近くのピザレストランに到着すると、
入口の方でコフィが手を挙げ、「こっちだ」と声をかけてきた。
スチームおじさんが駆け寄ると、コフィにすぐに言った。
「このあとすぐ、大学院のクラスでちょっとした集まりがあるんだ。
 一旦そっちに顔を出して、後でまた合流するよ。」
スチームおじさんはうなずき、
コフィと別れて店の奥へと歩みを進めた。
するとそこには──
見慣れた顔ぶれが、笑い声と共にテーブルを囲んでいた。
大学院の仲間たちだった。
奥のテーブルには、アイーシャ、タオ、ノラ、
そしてなぜか、すでに卒業していたはずのエメカの姿もあった。
アイーシャは、医師である旦那さんと、幼い娘を2人連れてきていた。
家族で揃った姿はどこか微笑ましく、
スチームおじさんは、はにかみながら初めて会う旦那さんに丁寧に挨拶し、
娘たちにもやさしく声をかけた。
一方、ソフィアの姿は、どこにも見当たらなかった。
誰かに尋ねると、
卒業式が終わったその足で、ボーイフレンドと一緒にニューヨークへ向かったらしい。
彼女とは、今日、卒業式で交わしたわずかな言葉が──
結果として、最後の会話になってしまった。
もう一度、顔を見て、
何かを話せたわけでもない。
けれど、それを悔やむほどの関係でもなかった気もする。
ただ、ほんの少し。
あの笑顔が、もう一度だけ見られたらよかったな──
そんなふうに思った。
スチームおじさんが到着して間もなく、
遅れてコニーがボーイフレンドを連れて店にやってきた。
コニーは少し照れくさそうに笑いながら、
「私、卒業したら彼と結婚するの。シカゴで式を挙げるわ」と話し、
一同から祝福の拍手が沸き起こった。
コニーの話題で盛り上がっていると、
さらに遅れてオリビアが到着した。
みんなで彼女を迎え入れ、ようやく全員が揃う。
そして――
誰かの「じゃあ、乾杯しよう!」という声を合図に、
グラスの音が響き、宴が始まった。
ひとしきり料理が運ばれ、笑い声が交わされたあと、
ふと、コニーがスチームおじさんに尋ねた。
「スチーム、あなたこの後どうするの?」
スチームおじさんは、グラスを置きながら答える。
「うん……アメリカで働く経験がしてみたいな。
 いつまでいられるかは、まだ分からないけど。」
「そっか。仕事、もう決まったの?」
「ううん。……なかなか厳しそう。」
一瞬、周囲の空気がわずかに沈んだ。
その年は、
歴史的な政権交代があった年だった。
移民政策の風向きが急速に変わり、
外国人留学生の就職は、かつてないほどに難しくなっていた。
スチームおじさんの目には、
パーティーの明かりがぼんやりと映っていた。
その光の先にある未来は、まだ、はっきりと見えてはいなかった。
ふと、ノラがワイングラスを片手にタオの方を向いた。
「タオ、あんたはこの後どうするの?」
タオはすぐに答えた。
「私は、卒業した大学──公立大学の教務部に戻るの。
 もう採用も決まってて、来月から勤務よ。」
そう言って、少し照れくさそうに、でも誇らしげに笑った。
「そうか、次が決まってるんだな。」
スチームおじさんは、思わずそう呟いた。
タオらしいな、と心の中で思った。
彼女はいつも、冷静で現実的で、
そして決して揺るがない芯を持っていた。
エメカはグラスを傾けながら、
ぽつりとスチームおじさんに話しかけてきた。
「……知ってるか?
 今の政権になってから、外国人のジョブハンティング、ほんとに厳しいんだ。」
その声には、いつもの明るさはなかった。
「俺も卒業してから、もう半年だよ。
 それでも、まだ仕事は見つかってない。」
スチームおじさんは言葉を返せず、
ただ静かに頷いた。
この国でキャリアを築くことの難しさは、
誰よりも彼自身が痛感していた。
オリビアは、グラスを持ったまま、
現政権に対する彼女なりの意見を語り始めた。
移民政策の矛盾、教育制度の硬直、
そして経済と雇用の不均衡──
その語り口はいつもの彼女よりも、少し熱を帯びていた。
「ほんと、私たちは“都合よく利用されてる”だけなんじゃない?」
その言葉に、すかさずアイーシャが強くうなずく。
「Exactly. That's what I've been saying.」
気づけば、話題の中心は政治と経済に移っていた。
誰かが笑いながら「パーティーの会話じゃないな」と漏らすも、
それすら自然に交わされていった。
どれくらいの時間が経っただろうか。
ふと店の入り口に視線をやると、そこにふたりの姿があった。
DR.HとDr.Wだった。
場が一瞬ざわつき、
一同が拍手や声でふたりを迎える中、
スチームおじさんはすぐに立ち上がり、
迷いなく、DR.Hの隣の席へと移動した。
そして、そっとグラスを掲げる。
「Cheers, Dr.H.」
その声には、感謝と、敬意と、
そして“ここまで来た”という静かな実感が込められていた。
そして、スチームおじさんはDR.Hとふたりで、レストランの外に出た。
店内のざわめきが嘘のように、
外の空気はひんやりとしていて、静寂に包まれていた。
DR.Hはいつものように寡黙だったが、
その沈黙がどこか心地よくもあった。
スチームおじさんは、ポケットから煙草を取り出すと、
隣で黙って一緒に火を点けた。
「……これが、DR.Hと煙草を吸う最後になるのかもしれない。」
そう思うと、胸の奥に静かに何かが込み上げてきた。
DR.Hの言葉は、いつも通り淡々としていたが、
そのひとつひとつを、スチームおじさんは心に刻むように聞いていた。
すると、ふいにレストランの扉が開き、タオが出てきた。
スチームおじさんは、はっとして思わず駆け寄った。
「え、もう帰るのか?」
タオはうなずきながら答えた。
「うん、明日の早朝便でベトナムに戻るの。
 その前に、L.A.で2、3日だけ滞在する予定。」
スチームおじさんは、彼女の目をまっすぐに見つめて言った。
「Thank you for everything.
 Without your help, I couldn't pass all classes.」
言い終わると、ぎゅっと抱きしめた。
タオは黙って頷いていたが、
暗くなった外でも、その瞳が涙で濡れているのが分かった。
静かな夜風の中、
別れの言葉はもう、必要なかった。
レストランの中に戻ると、
アイーシャが、眠たそうな目をした小さな娘をそっと抱きかかえていた。
隣では旦那さんがコートを手にして、帰る支度をしているところだった。
アイーシャはスチームおじさんの方に歩み寄り、
やさしい笑顔で言った。
「色々ありがとう。元気でね。
 また連絡するね。おめでとう、スチーム。」
そう言って、彼女は片手で子どもを支えながら、
もう片方の腕で、ぎゅっとハグをしてくれた。
スチームおじさんも、静かに「ありがとう」と返し、
小さな手に向かって「バイバイ」と手を振った。
その後を追うように、コニーとボーイフレンドも立ち上がる。
「私たちも、そろそろ行くね。」
コニーはいたずらっぽく笑いながら、
スチームおじさんとしっかりハグを交わした。
「シカゴに来ることがあったら、連絡してよね?」
「もちろん。」
そんな短いやりとりのあと、
ふたりはゆっくりとレストランを後にした。
背中を見送るたびに、
部屋の中から、ひとつずつ笑い声が減っていく。
まるで、ひとつの時代が静かに幕を閉じていくようだった。
こうして、オリビアの「そろそろお開きにしましょうか」という一声で、
宴はゆるやかに終焉へと向かっていった。
別れの挨拶が交わされ、空いたテーブルのスペースに、
今度はアンダーグラディエイトの卒業生たちが、
にぎやかに店へとなだれ込んできた。
その中に――
見覚えのある横顔があった。
あの艶やかな黒髪。
落ち着いた雰囲気と、どこか気品のある佇まい。
「……アリーナ?」
まさかと思ったが、紛れもない、あのアリーナだった。
スチームおじさんは、思わず駆け寄った。
アリーナもすぐに彼に気づき、ふわっと微笑んだ。
「スチーム。あなたの修士論文、本当に良かったよ。
 伝わってきた、心が。読んでて、ちょっと泣きそうになった。」
その言葉に、スチームおじさんは一瞬、返す言葉を失った。
そしてアリーナは、
「卒業おめでとう、スチーム」と言いながら、
軽くハグをしてくれた。
香るシャンプーのにおいと、柔らかな体温。
ほんの数秒の抱擁だったが、
その短さが、かえって胸を締めつけた。
彼女は、ボーイフレンドの卒業式を見届けに来ていたのだという。
再会を告げるようにではなく、
ただ、人生の交差点で偶然にすれ違っただけ。
それでも、
この夜にもう一度、彼女と出会えたことは、
スチームおじさんにとって、何よりの贈り物だった。
その時だった。
「待ちわびたぞ、スチーム!」
背後から強引に肩を組まれ、思わず振り返ると、
そこにはムハンマドの満面の笑みがあった。
「こっちだ、こっちだ!今夜はまだ終わっちゃいねぇぞ!」
そう言うが早いか、スチームおじさんは、
ピザレストランの入り口近くに陣取っていた台テーブルのグループへ、
半ば強引に引っ張られていった。
そこではすでに――
ベガスボム、テキーラ、イエーガーマイスターが次々とテーブルに並び、
強烈なショットの応酬が、止まる気配もなく続いていた。
誰かが全員に酒をふるまい、乾杯する。
飲み干すと、すぐに別の誰かがまた注ぐ。
気づけばそこは、**“エンドレス・アルコール・ループ”**の渦の中だった。
グラスの音が打ち寄せ、笑い声が天井を跳ね返る。
スチームおじさんがふとテーブルを見渡すと、
エメカが歌いながら騒いでいた。
ノアは腕を組みながらも、片口だけをつり上げてニヤリと笑っていた。ノアの目はいつものように鋭く、でもどこか、楽しげだった。
コフィも楽しそうに微笑んでいた。
その瞬間、ムハンマドがグラスを手にし、スチームおじさんの肩を軽く叩いた。
「スチーム、俺はこの春からボストンに行く。ヘルスケアを学ぶんだ」
そう言った彼の顔は、未来の光に照らされていた。
酔いの中でも、その瞳だけは不思議とクリアだった。
スチームおじさんは、その言葉の意味を反芻する間もなく、
誰かがまた新しい酒を注ぎにきた。
誰の手だったかは、もう覚えていない。
肩を組み、笑い、語り、名を呼び、名を忘れ、
いつの間にか、心だけが正確に記憶していた夜になった。

そのテーブルでは、誰一人として席を立とうとせず、
誰も「終わり」と口に出さなかった。
外の空が、うっすらと白み始めていた。
こうして、
スチームおじさんの大学院留学は、静かに──けれど、確かに
その幕を閉じたのであった。


後書き

ここまで読んでくれて、ありがとう。

スチームおじさんは知っている。
君も、本当は挑戦したいことがあるはずだ。
怖くて、恥ずかしくて、踏み出せないだけで。

でもね。
弱さの隣には、必ず小さな勇気が眠っている。
その勇気を、どうか手放さないでほしい。

理解されなくてもいい。
笑われてもいい。
君の歩く道は、君だけのものだから。

トンネルの先には光がある。
スチームおじさんがそうだったように、
君にも必ず訪れる。

君のペースでいい。
少しずつ、前へ。

また会おう。
君自身の物語を描く、その続きを。

スチームおじさんの旅は、今日ひとつの区切りを迎えました。
でも、物語はまだ終わりじゃない。

ここからは――
彼の“最初の戦い”を描いた、あの夜へ戻ります。

スチームおじさん第六編 IBS:「屈辱と悲しみを超えてBeyond the humiliation and sadness」〜さよならじゃない、でも支配はさせない〜
(スチームおじさんの原点がすべて詰まった章です)

そして、次回は待望の新章がスタート!!

スチームおじさんの大学編 OTA外伝Episode2D 大学編
第1話:「新たな門出」
~雪の町から始まる、新しい日々~
お楽しみに!

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#note公式掲載

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