第1話 茶の間の風景

私の中には、一つの茶の間の風景がある。

来客用の湯呑みがずらっと並ぶ茶箪笥。
一番下の扉を開けると、いつでもお茶菓子があった。
その茶箪笥の前が、祖母の定位置だった。
湯呑みが空になるたびに注がれる番茶を、
夫は「わんこ茶」と言って笑った。


我が家でも、老犬の介護が始まるまでは、よく来客があった。
親戚や友人たちが集まり、若い頃の私は張り切って、
少し背伸びをしたおしゃれな料理を用意したものだった。

けれど年を重ねるにつれ、無理せずに、
その時々に家にあるものでおもてなしをするようになった。
それでもホームパーティは、掃除や料理、後片付けと、
どうしても手間がかかる。楽しい反面、体力も必要だ。

老犬たちの負担にならないよう、
そうした集まりを控えるようになってからは、
家に人が集う機会もしばらく途切れていた。

今年の正月休み、久しぶりに連日の来客となった。

「ひさしぶりだな、ここに来るの」

「もう何十年の付き合いだね」


口々に、懐かしいと言う声が一瞬遠のき、
私は「あの茶の間」にいた。


おそらくその世代の女性達の多くが、
望むと望まざるとに関わらずそうであったように、
祖母もまた家のために生きた人だった。

子供のため、孫のため、
いつも自分の人生は後回しだったように思う。

「影に日向に」という言葉があるが、
控えめで、温和な祖母は、どんな時も
「影に影に」支えていた。

八十歳を過ぎてもなお、盆と正月には、
ちゃぶ台いっぱいに手料理が並んだ。
野菜の煮物、松前漬け、混ぜご飯、
天ぷら、カレーが定番メニューだった。

戦後の食糧難を経験した祖母には、
お腹いっぱいにして帰すことが、
最高のもてなしだったのだ。

まだ若かった私たちは、祖母の気も知らず、
「なんで煮物にカレーなの?」とか、
「こんなに作ったって食べられないよ」
などと勝手なことを言いながら、
結局はあらかた平らげた。

それでも残ると、お土産に持たされるのが常だった。

やがて孫たちが結婚し、配偶者や曾孫が増えると、
小さな茶の間は、さらにごった返した。

テレビ画面では紅白歌合戦の出場者が熱唱していたが、
話し声と笑い声で、かき消された。
大トリを飾る巨大な衣装も、
大抵は誰かの頭が邪魔していた。


テレビといえば、私はDVDを繰り返し見るほど、
ドラマ『北の国から』の大ファンだ。

放送当時、
子供の私が五郎さんの心の機微を理解していたかといえば、
ほとんど出来ていなかっただろう。

けれど、シリアスなシーンの合間に映し出される
キタキツネやエゾリスのおどけた仕草に、
動物好きの私は釘づけになった。

祖母は、シリーズを通して登場する
「中畑のおばちゃん」に、少し似ていた。

シリーズの最終回「遺言」では、
五郎さんが、純と蛍宛ての遺言作りに苦戦する姿が、
ユーモラスに描かれる。

数頭の羊以外には、
「残すものが何もない」というのだ。

杉浦直樹扮する元校長先生に、
「何かあるはずです」と励まされ、
下手くそな字で書き上げた五郎さんの遺言が、
ドラマのラストで流れる。

(五郎さんに語らせた、倉本聰の名文は、
ぜひドラマでお楽しみください。)

近頃、自分の料理の中に、祖母を見ることがある。

純や蛍と同じように、
モノやお金ではない、目に見えない「無形文化遺産」を、
私も間違いなく祖母から受け継いだのだ。

苦労も献身ぶりも、
祖母の足元にも及ばないけれども。


結婚後、小さな中古住宅を購入し、
その後、ライフスタイルに合わせて、
少しずつリノベーションを重ねてきた。

所縁のある人から譲り受けた古い道具も大切にしながら、
自分たちの趣味に合う家具や食器を、
コツコツと買い揃えた。

今、ふと家の中を見回すと、
「思えば遠くに来たもんだ〜♪」と、
どこかで聞いた歌が聞こえてくる。

愛犬たちがつけた傷。
昨年我が家の庭で保護した、
ねこのテトが、順調に増やしている傷。

直したいところはたくさんあるけれど、
それら一つひとつが、
この家の風景になる。

米を研ぐ音。
カレーの匂い。

祖母の、黒光りした柱の、
小さな茶の間の風景が、

今も私に、
懐かしい味や匂い、
そして音を思い出させる。


いつもはクンクンとテーブルに乗りたがるテトは、
正月の間、みんなのお皿をクンクンしに来ることはなかった。

                    tête-à-tête より

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