【読書記録#25】川上未映子『春のこわいもの』
読了日: 2026/6/13
知らない作家を読むのも好きだけど、もう自分が好きだと知っている作家を読むのもまた好き。欲しい文がそこにあると保証されている幸せがある。
内容

川上未映子の短編集。コロナ禍の影を残しながら描かれる六編。
病で長く入院している「わたし」から「きみ」への手紙。なぜだか書きながら涙が止まらない手紙───『青かける青』
港区界隈に憧れSNSで追いかける女子大生トヨ。追いかけているチームがギャラ飲み参加希望の女の子を募集したためDMしたところ、面接に漕ぎ着けることとなった。トヨは面接会場のホテルに向かう───『あなたの鼻がもう少し高ければ』
寝たきりの老人である「わたし」はもう直ぐ死ぬだろう。わたしは家政婦の性交を想像し、ただしくなかったわたしの性交を思い出す───『花瓶』
「あなた」は食べたくもないカレーを食べ、マスクをせずに街を歩き、見舞うものもいない病院へ入る。何ひとつ起きていない日、全ての出来事が期待はずれな日。そんな日に、一つのニュース記事を目にする───『淋しくなったら電話をかけて』
同級生の「彼女」は文字を書くことをとても恐れる。一度書くと残ってしまうから。ある日、彼女が僕に白い封筒を差し出す。そこには青いインクで不思議な話が書かれていた。その後、僕は受け取った二通目を無くしてしまい、夜の学校へ二人で探しに行く───『ブルー・インク』
かつて共に夢を追って上京し、同居していた見砂から15年ぶりに電話がかかってきた。見砂の母親が死んだとのこと。当時、上京した娘を案じての電話に応対した日々と、自分が見砂に何をしたのかを回想していく───『娘について』
感想
タイトル『春のこわいもの』の通り、とてもこわい作品集。身体的な痛みは描かれないものの、そんなありありと文にしなくてもいいじゃないかと思うような人間の残酷さや醜悪さが丹念な観察によって描かれる。
川上未映子さんは『あこがれ』や『全て真夜中の恋人たち』のような甘酸っぱく切ない物語もあれば、『ヘヴン』のように目を背けたくなるような残酷な出来事を書く作品もある。後者の川上未映子作品を読みたい場合の最初の一冊にいいかもしれない。こんなに様々な表現を使い分けられるんだと多く驚きのある、バラエティに富んだダーク川上未映子に出会える一冊だったから。
本作で一番好きな短編は『ブルー・インク』。読み終わった時、第三波くらいまで鳥肌のウェーブが起こった。川上未映子さんは徹底して現実を扱う作品しか知らなくて、現実ではありつつも幻想性も混ざったものものは初めて読んで驚いた。美しい短編。
この奇妙に青くて明るい、僕のデッサン室で何
が起きたとしても、それは、どこにも残らないんじゃないだろうか。そもそも出来事が起きたと決めるのは、いったい誰で、何がそう決めるのだ。僕たちがここにいることを誰も知らず、誰にも知られていないこの場所で今、起きることなんて、結局のところ、世界のどこにも残らないんじゃないだろうか。
『淋しくなったら電話をかけて』もよかった。主人公の呼び方を「あなた」にすることで読者に自身との対峙をさせる手法で、SNS時代の人間の業を描く。書きたいことを一番強く伝えるためのテクニックに嘆息する。
仰向けになったあなたは電話をつかんで目の前にかざし、他人の彩りあふれる生活の写真や、読むことのできる言葉のつらなりを、際限なく目に入れてゆく。ぜんぶがおなじでぜんぶが違い、ぜんぶが光って全部が苦しい。全体としての白痴、全体としての盲目、全体としての同意、全体としての加担。
人殺し。おまえだよ。これを読んでる、おまえのことだよ。
余談だが、Creepy NutsのR-指定さんがオールナイトニッポンで韻の飛距離という概念について話していた。韻を踏んでいる状態において、その言葉たちの意味がかけ離れているほど飛距離がある、ということらしい。番組ではラッパーZORNの曲・『Have A Good Time feat. AKLO』の飛距離がエグいという話で盛り上がっていた。
表参道のオープンカフェよりも嫁さんとの醤油ラーメン
飛距離。
近いようで遠いかもしれない話だが、川上未映子さんは言葉の飛距離がおもしろい作家だと本書を読んで感じた。特に一編目の『青かける青』で顕著で、直前に出てきた言葉と直後の言葉の整合性が初見ではわからず、思いがけない言葉が飛び込んでくることでハッとさせられる。伏した主人公が「きみ」に宛てる手紙に出てくる文たち、何度も目が往復した。
しあわせなことを想像しているとき、胸のなかはあんなふうに膨らむんだろうなというような雲をみたこと。影に影をかさねても、何も残らなかったこと。わたしはきみのことが大好きです。きみに会えたことは、わたしの人生に起きた、本当に素晴らしいできごとでした。わたしを見つけてくれてありがとう。わたしを好きになってくれてありがとう。ねえ、戻れない場所がいっせいに咲くときが、世界にはあるね。
この特徴は処女作の『わたくし率 イン 歯ー、または世界が』で特に凄くてなんだこれやりすぎでは?と思った記憶がある。本作はやりすぎ感のないバランスの良さで、しかしこういうことができる作家だったなって飛距離を感じる表現が多くあり、良かった。
本当にこわく、川上未映子が好きなことを思い出す、素晴らしい一冊でした。
最後まで読んでいただきありがとうございました。
