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なぜこれほどUXデザインは難しいのか / ユーザー理解力の高め方

現代のデジタル製品開発において、UXデザインの重要性はますます高まっています。しかし、多くの現場では試行錯誤を重ねながら進められているのが現状です。

では、なぜUXデザインはこれほど難しいのでしょうか?
実は、その本質的な難しさは意外と理解されていません。

しかし、難しさを正しく言語化できれば、私たちはその壁を乗り越えられるはずです。

今日は私のUXリサーチャーとしての経験をもとに「UXデザインの本質的な複雑さ」を掘り下げて考えてみます。
また、ユーザーへの解像度を高めるための汎用的なアプローチについても触れています。

ぜひ、お付き合いいただければ幸いです。


1.UXデザインの難しさについてよくある誤解

まず「UXデザインはなぜ難しいか?」を尋ねると、多くの場合こんな答えが返ってくる気がします。

「ツールが多すぎる」「ステークホルダーが多い」「変化が速い」
→説明は真実ではあるものの、本質を捉えているとは言えません。

「ユーザーのニーズを理解すること」
→それは「理解」の本質的な難しさを説明していません。

必要な「スキルセット」が多い
→これは深刻な誤解で、ワイヤーフレームの作成方法、プロトタイピングツールの使い方、ユーザーテストの進め方さえ学べば、良いUXデザインができるという発想です。

これらは確かにある種の難しさに対する真実ではありますが、表面的な困難さを指摘しているに過ぎません。

本当の難しさはそこにはありません。
私はUXデザインの本質的な難しさ、それはUXデザインがー本質的に「翻訳」であることだと考えています。

2.UXデザインの本質は二つの世界観の翻訳

ビジネスにおけるUXデザインは、二つの世界を橋渡しするから難しい

何と何を翻訳しているか、それは主に「体験中心の世界(主観性の世界)」と「データ中心の世界(客観性の世界)」です。

体験中心の世界(主観性の世界)
・意味、文脈、感情、価値を重視する言語
・「安心感」「達成感」「楽しい」

データ中心の世界(客観性の世界)
・測定可能性、効率、最適化、数値目標を重視する言語
・「コンバージョン率」「タスク完了時間」「エラー率」

UXデザインとはこの二つの全く異なる言語/世界観の間を行き来し、間に橋を架ける作業です。

そして優れた翻訳者が二つの言語に精通していなければならないように、UXデザイナーは両方の世界観と言語を深く理解し、自在に行き来できなければなりません。この二重言語習得こそが、UXデザインの最大の難しさです。

翻訳のイメージを沸かすためにケースにしてみましょう

ケース①:「体験」の言語が伝わらない
ヘルスケアアプリを担当したUXデザイナーのサトシは、ユーザーインタビューを重ねるうち、高齢ユーザーが健康数値を見ることに強い不安を感じていることに気づいた。
「数値が赤字で表示されると叱られている気分になる」という感情的課題を改善するため、感情に寄り添ったデザインを提案した。

しかしプロジェクトマネージャーはその提案に難色を示した。
「数字で示してくれないとエンジニアや経営陣を説得できない」と言われ、サトシは自身の考えをうまくデータに翻訳できず、最終的には当初の数値改善を優先する案が採用された。

3.UXデザインで直面する特有の課題

UXデザインの時に発生する翻訳も1つではありません。

1.主観的な世界の言語化

まず、UXデザインでは、元々ユーザーの内的体験という本質的に見えないものを形にするという特殊な課題に取り組みます。

例えば、痛みを感じている患者は医師にその痛みを訴えることができますが、アプリの使いづらさを感じるユーザーは、多くの場合それを明確に表現できません。
この「見えないものを可視化する」という作業は、深い共感力と高度な言語化力を必要としています。

2.言語化されたものを客観世界の言葉に翻訳

次に拾い上げてきた感情を、今度はUXデザイナーがビジネス、エンジニアリング、デザイン、マーケティングなど多様な領域を横断し、それぞれ異なる「言語」を話す専門家たちの間で翻訳者の役割を果たさなければなりません。
この「多言語話者」としての役割は、単に技術的な知識だけでなく、異なる価値観や思考様式を理解し、橋渡しする能力を要求します。
つまり、向こう側の世界観の知識が必要になるのです。

そしてテクノロジーの急速な進化とユーザー期待の変化はUXデザインは静的な学問ではなく、常に再定義され、急速かつ動的に変化していきます。
昨日の「良いデザイン」が今日は時代遅れになることもあります。
この継続的な変化に対応するためには、技術的なスキルだけでなく、日々のキャッチアップが重要です。

4.世界を跨ぐ難しさ

世界観が違うというのは、
他の世界を理解するためにまず世界を跨がないといけないということです。

行く難しさ

きちんと主観的なモードにならないと「雑な理解」になる

私たちは普段、数字やデータといった「客観的」な世界の中でプロダクトを作り、意思決定を行っています。

しかし、UXデザイナーがユーザーインタビューやフィールドワークを通じてユーザーの「主観的」な世界に踏み入れると、それまで気づかなかった多くのものに出会います。そこには、数字やデータに還元できない微妙な感情や、ユーザー自身もうまく言葉にできない曖昧さが広がっています。

主観的な質問と客観的な質問

この主観世界への移行は、まさに異文化の土地に降り立つようなものです。最初は戸惑いや居心地の悪さを感じますが、次第にその世界の論理や価値観が見えてきます。
そして(驚くべきことに)ユーザーが感じる体験の真の価値は、私たちが普段用いる客観的な尺度では捉え切れないほど豊かで複雑であることに気づくでしょう。

返る難しさ

主観的に理解したものを客観的に変換するのは難しい

しかしながら、本当に難しいのは主観世界に足を踏み入れることそのものではありません。
実際の困難は、主観世界で得た新しい洞察を再び客観世界に持ち帰るときに訪れます。主観的な体験を客観的な言語や数字に再び翻訳すると、どうしても情報の損失が起きます。豊かなニュアンスや繊細な感情が「平均値」や「パーセンテージ」に縮約されるとき、主観世界で感じたリアリティや深さが失われてしまうからです。

この「客観と主観の行き来」こそがUXデザインの本質的な困難であり、その曖昧さを認めつつ、いかに両世界を誠実に橋渡しするかがUXデザイナーに求められる真の挑戦なのです。

5.多次元的な翻訳としてのUXデザイン

UXデザインを翻訳作業と考えると、その翻訳は複数の次元にわたりますが、これらは一方的でなく、相互に行き来できる必要があります。
大きく3つほどあると思っています。

まず、文化的翻訳でしょうか。
UXデザインではユーザーの生活世界や文化的コンテキストをデジタルインターフェースに変換する作業が発生します。
例えば、高齢者の「紙の処方箋を大切に保管する」という習慣を尊重しながら、デジタル処方箋システムをデザインするには、その習慣の意味を理解し、デジタル世界に適切に翻訳する必要があります。
情報設計とかUIの話に入っていきますね。

次に哲学的翻訳として体験中心の世界観とデータ中心の世界観の間を行き来し、一方の言語を他方に変換します。
「ユーザーの不安感を軽減する」という主観的価値を「エラーメッセージの表示回数を30%削減する」という客観的指標に翻訳するといった作業です。
戻ってくることもあります。

そして領域観翻訳としてビジネス、エンジニアリング、デザイン、マーケティングなど異なる専門分野の間を橋渡しします。それぞれの分野は独自の言語と価値観を持ち、UXデザイナーはそれら全てを理解し、翻訳する能力が求められます。

ケース②:双方向性が大事
ダイエット支援アプリのUXデザイナー、アオイは新規ユーザーの登録完了率を改善することを目標としていた。
感情的なデザインアプローチが得意だったアオイは、ユーザーが登録時に感じる「継続できるか不安」という感情的な課題を深掘りし、それをデザインに反映した。

デザインレビューでは、プロダクトマネージャーやCEOがコンバージョン率の改善を評価した。しかしアオイは「数字上は良いが、本当にユーザーの行動変容や長期的な利用につながるか?」という体験的視点の重要性も訴えた。

これに対し、「まずは数字が優先」との反応が返り、アオイは自分の「体験の言語」を完全には伝えきれなかった。データと体験、両方向への翻訳がうまくいかなかったケースだった。

6.言語化すると非言語的なものが失われる

UXデザインを「翻訳」の営みとして捉える際、どうしても「非言語的な要素を言語に変換すると、本来のニュアンスや感情、文脈の深さが損なわれる」という問題が存在します。

例えば、ユーザーが抱える漠然とした不安感や、言葉ではうまく表現できない微妙な違和感は、言語化される過程で必然的に「情報の損失」が起きてしまいます。この情報の損失が起きたまま翻訳を進めると、最終的なデザインやプロダクトに十分な「深み」が反映されなくなる可能性があります。

言語にすることでロスしたくないから、決裁者の人にも参加して欲しい

そのため、デザイナーだけでなく、プロダクトマネージャーやエンジニア、マーケターなどの別職種の人たちも現場に出て直接体験すること、一緒に作業や行動をすることが極めて重要になります。
言語やレポートなどの間接的な手段に頼るだけでなく、ユーザーの環境や文脈の中に入り込み、「非言語的な」情報を身体感覚で掴むことで、翻訳の質を飛躍的に向上させることが可能になるからです。

真に優れたプロダクトチームとは、「非言語的な世界を体感・理解し、さらにそれを適切に言語化・可視化できる」という両方の能力を持ったメンバーが協力し合う集団ではないでしょうか。
みんなが翻訳者としての視点を持つことで、ユーザー体験の本質を捉え、説得力のあるデザインやプロダクトを生み出せるのです。

「翻訳」はどこまでも曖昧さが伴う

UXデザインにおける「翻訳」とは、データ中心の世界(測定可能な数字、効率、最適化)と体験中心の世界(意味、感情、価値)の間で行われる作業です。
この翻訳作業は単純に「言語間を行き来する」以上の難しさを持っています。その最大の難しさは、「曖昧さ」を扱う能力にあります。

UXデザインではしばしば、明確な結論を出せない状況に直面します。

プロトタイプの検証やユーザー体験の評価は、客観的に完全な結論を導き出すことが難しく、曖昧で不確かな要素を多く含んでいます。数字的な成果を求める人々に対し、この曖昧さを翻訳し、説得力のある物語や示唆に変換する必要があります。

この曖昧さに耐え、むしろ曖昧さを活用して意思決定を支援する能力こそが、UXデザインに求められる「翻訳の難しさ」です。

「曖昧さ」は居心地の悪いものですが、それに耐え、むしろ前向きに捉えて積極的に活用することが、翻訳者としての成熟に必要不可欠でしょう。

客観的質問がいかに主観的世界を歪ませるか

UXリサーチのやり方で、よく客観的な質問である「クローズドクエスチョン(例えば頻度や満足度を尋ねる質問)」から主観的な質問である「オープンクエスチョン(感情や価値観を尋ねる質問)へと展開せよ」と言われますが、実はこのアプローチには注意が必要です。

このアプローチ、大変プラクティカルでわかりやすいのですが、客観的な質問を先に行うと、ユーザーは自然と自分の行動や感情を客観的に「事実として正確に答える」ことに意識が向いてしまいます。

例えば、「このアプリを週に何回使っていますか?」という質問の後に、「どのように感じていますか?」と聞かれると、ユーザーは自分の感覚や気持ちを率直に伝えることよりも、先ほど答えた客観的事実に整合性を持たせようと意識してしまいます。

一方で、主観的な認識を直接捉える質問(例えば「あなたはこのアプリをどのくらい使っていると感じていますか?」)は、ユーザー自身の感情的、感覚的な世界をダイレクトに明らかにします。
実際に週に10回使っているにも関わらず、「3回くらい」とユーザーが感じていたとしたら、そこには貴重なインサイトが隠れています。

例えば、それは「ユーザーが使用を意識しないほど自然に感じている」というポジティブな解釈や、逆に「義務感で使っていて、感覚的な距離がある」というネガティブな解釈にもつながります。

ただ、このような主観的な問いや、ユーザーの間や沈黙を解釈するアプローチ自体がかなり主観的であり、インタビュアー自身が明確な意識を持って取り組まないと難しい面もあります。
従来のUXリサーチの"お作法"からも反しているので、慣れない人には難しいでしょう。
客観的なデータとのバランスを意識しつつ、主観的な解釈の意識的な訓練も必要となります。

7.初期メンバーが離れるとプロダクトが劣化する理由

UXデザインを「翻訳」の営みとして捉えると、「初期メンバーが離れるとプロダクトが劣化する」という現象も説明がつきます。

最初のプロダクトチームのメンバーは、プロダクトの非言語的な文脈や感情的な熱量、曖昧な感覚を身体的・直感的に共有しています。これはドキュメントや数字に簡単に落とし込めるものではなく、共通の体験を通じてチーム内でのみ理解されている非言語的な情報です。

初期メンバーがチームを離れると、残されたメンバーや新しく参加したメンバーが引き継ぐのは、これら非言語的な文脈が削ぎ落とされた「言語化された情報」のみとなります。
こうした情報は、プロダクトの微妙なニュアンスやユーザー体験の繊細さを十分に伝えられません。
その結果、新しいメンバーは「言葉やデータでしか伝えられていない、表面的な理解」に基づいて作業を進めることになり、プロダクトの質や深みが徐々に失われていきます。

これはつまり、「非言語的・感情的な文脈」が失われ、翻訳の「解像度」が著しく低下することに他なりません。この劣化を防ぐためには、チームが非言語的な文脈を維持し、継承するための工夫が必要となります。

8.この難しさはUXデザインだけなのか

では、UXデザインのような翻訳的難しさを持つ領域は他にないのでしょうか?
UXデザインに見られる翻訳の課題は、例えば医療や教育、建築といった分野にも共通しています。各分野がそれぞれの難しさを持っている中で、UXデザインの課題がどのように独特であるのかを考えてみましょう。

医療分野
医療分野は哲学観翻訳としてUXデザインに近しい分野の一つだと思います。
医師も客観的な医学データと患者の主観的体験の間の翻訳を行います。
「あなたの血圧値は140/90で高めです」という医学的言語を「生活習慣を少し見直すと心臓への負担が減りますよ」という患者の日常言語に翻訳します。しかし医学には何世紀もの知識体系と教育システムがあり、この翻訳プロセスは体系化されています。

教育分野
教師も「学術的知識」を「学習者が理解できる言葉」に翻訳します。
しかし教育の目的と評価基準は比較的明確です。

建築分野
建築家は依頼主の願望を物理的構造に翻訳しますが、物理法則という明確な制約があります。

これらと違うUXデザインの特徴は、比較的新しい分野であるため翻訳の方法論がまだ発展途上であることとそして、デジタル製品は物理的な制約が少なく可能性が無限に広がることがあり、翻訳の難しさが増しています。

ケース③:二つの言語を橋渡しする
UXデザイナーのミカが所属するチームは、eコマースサイトのリニューアルでデータチームとデザインチームの間に対立が起きていた。
デザインチームはユーザー体験の改善を、データチームはコンバージョン率の向上を重視し、議論は平行線のままだった

ミカはロールプレイを提案した
。「一旦ユーザーになりきって考えてみませんか?これは架空のユーザーの鈴木さんです。初めてオンラインで孫へのプレゼントを選ぼうとしている65歳の女性です。彼女はどんな感情でサイトを見るでしょう?」と問いかけた。

すると、データチームのメンバーも含め、チーム全員が具体的なユーザー視点で議論を始め、これまで数字しか見えていなかった人たちも、ユーザーの不安や心理的課題を理解し始めた。ロールプレイを通して、チーム内でデータと体験の両方の視点をつなぐことができた。

9.レンズを掛け替える重要性

UXデザインが翻訳の営みである以上、「相手の世界観や哲学を理解する」という視点は極めて重要です。

もしもこの視点が欠けて、「客観のレンズ」で「主観の世界」を眺めてしまうことが失敗につながります。

たとえば、ユーザーが感じている「楽しさ」や「不安」といった主観的な体験を、単純に「利用時間が長い=楽しい」「エラーが少ない=不安が少ない」という客観的な指標に安易に置き換えてしまうリスクがあります。

客観のレンズだけを通してユーザー体験を見ると、体験の持つ繊細なニュアンスや深い意味を見落としてしまうことが多々あります。
客観的な数字だけではユーザーの真のニーズや動機を捉えきれず、表面的な改善に終始することになりかねません。

つまり、翻訳者としてのUXデザイナーが本当に行うべきは、「主観を客観化する」ことではなく、「主観そのものを理解した上で、適切な翻訳を行う」ことです。
そのためには、相手の世界観や哲学を深く理解し、客観のレンズを使って主観を判断するのではなく、主観的世界の内側から外を眺める視点を持つ必要があります。
(同時に「客観の世界」を「主観のレンズ」で見てしまうこともハレーションとなります)

状況に合わせ、レンズを変える

たとえば、同じ機能やインターフェースを使っていても、あるユーザーにとっては「快適さ」を与え、別のユーザーにとっては「不安感」を与えることがあります。

その違いを生む背景には、文化的価値観、個人の経験、期待、そして感情的な文脈が存在します。これらを客観的データだけで解釈すると、肝心な部分が抜け落ちてしまい、ユーザーの抱えている真の問題や課題が見えなくなってしまいます。

また、組織内でプロダクトマネージャーやエンジニアといった異なる専門家と協力する際も、相手の立場や思考様式を理解することが欠かせません。
データを重視する人々には、体験の主観的価値を具体的で説得力ある客観的な表現に翻訳し、体験を重視する人々には、数字やデータが意味するところを深い人間的洞察と結びつけて説明することが求められます。

このような深い共感力と理解力こそが、真に優れたUXデザイナーの条件であり、翻訳という難しい作業を成功に導く鍵となるでしょう。
相手の世界観や哲学を理解することで初めて、データと体験、効率と価値、主観と客観の間に本物の橋を架けることができます。

10.UXデザイナーが解像度を向上させるためには

優れた翻訳者になるためには両言語に精通していなければなりませんが、しかし、多くの場合「データの言語」と「体験の言語」の間で、自分が得意な側に偏りがちです。
特に体験の言語力を高める方法はなかなか指摘されづらく、ここではユーザーへの解像度向上について考えてみます。

「処理落ち」が人を育てる

一度「処理落ち」すると、世界への解像度が上がる

ここからは個人的な経験に基づく持論になりますが、私はUXデザイナーがユーザー理解の解像度を高める上で「処理落ち」の経験が非常に重要だと考えています。

私は「人間は自分の認識してるより高解像度/高密度/大量の情報を与えられると処理落ちし、情報が処理しきれなくなる」と思っています。

この処理落ちを一度起こすと、自分が見ている世界に今まで見ていたより高解像度/高密度/大量の情報が存在していることに気づくことができます。

始めてインタビューやアンケートなどをやった時に、「自分の常識や想定が崩れたこと」、そして「今まで気にならなかったことが気になるようになったこと」はないでしょうか。
それが処理落ちと変容です。

今日のUX業界でダイナミックな処理落ちは起きづらい

一方で、今日のUX業界では、インタビューやアンケートなどが主流ですが、これらはあまり大きな処理落ちをひきおこすことはありません。

そもそも真にダイナミックな「処理落ち」——自分の認知的枠組みが根本から揺さぶられるような体験——はビジネスの現場で即効性を持って活かしづらく、またその価値を理解してもらうことも難しいです(ダイナミックすぎるので)。

また、コロナ禍以後、リモートでのリサーチが増え、効率化が進み、オンラインでのインタビューやテンプレート化されたプロセスが普及する中で、UXデザイナーがユーザーの生の文脈に直接衝突する機会は減少しつつあります。翻訳者としての能力を高めるためには、この衝突こそが必要なので、、ここは悲しい現実です。

高解像度になるための「処理落ち」の追求

はじめてのフィールドワークはだいたい「処理落ち」する。
僕もした。

より高い解像度での理解を目指すなら、フィールドワークは良い方法でしょう。
フィールドワークとアンケートやインタビューの何が違うかといえば、実際にユーザーが生きている世界に身を置き、彼らの体験を自分の皮膚で感じることで、言語化されない文脈や感情までも捉えることができる点です。
これは人類学者が異文化を理解するために用いてきた手法であり、UXデザイナーにとっても同様の価値があります。

例えば、高齢者向けの健康管理アプリをデザインするなら、高齢者の自宅を訪問し、彼らがどのように薬を管理しているか、健康データをどのように記録しているか、そして薬をどのように想起し、どう飲んでいるか、その際の感情や困難をじっくり観察します。
単に話を聞くだけでなく、彼らの日常生活に寄り添い、その文脈の中で体験を理解することが本質です。

インタビューやアンケートなどのUXリサーチになれてる人でも、フィールドワークを行うとだいたい「情報が多すぎる」「どこを見たら良いかわからない」「取りこぼすものが多い」という発言を聞きます。

そして正直なところ、フィールドワークの経験がある人と、そうでない人の解像度は全然違うと私は思っています。

これらを体感しづらいのが、現代のUXリサーチャーの非常に苦しいところです。

「処理落ち」をUXデザイナーの教育に組み込む。

こう考えると、UXデザイナーのキャリア初期段階のうちに、自分の思考の枠組みがまだ柔軟なうちに、多様な価値観や世界観に触れ、意図的に「処理落ち」の状態に身をくことでより深い共感力と翻訳能力が育まれるのではないでしょうか。

緩やかに自分のペースで学ぶことは気が楽ですが、慣れると凝り固まってしまいます。むしろ自分の世界観が確立されてからの方が受け入れるのは困難でしょう。早いうちから様々な主観世界に飛び込み、翻弄されることで、ショック療法的に育つと考えられます。

さて、ユーザー理解のための基本的な手法として、アンケートやインタビューは非常に価値があります。
アンケートは統計的に有意な量のデータを効率よく集められ、インタビューは深い洞察や予想外の発見をもたらしてくれますし、これらを行うことにようってUXデザイナーは処理落ちし、さらに認識できる領域が広がります。

しかしながら、フィールドワークの圧倒的情報量には叶いません。

フィールドワークなどの強烈な体験を通じて、UXデザイナーは徐々に「体験の言語」の解像度を高め、それを「データの言語」に翻訳する能力を養うことができるのではないでしょうか。

日常的にやるなら、意識的に未知の領域に飛び込むこと

自分が普段接触しない分野や新しい文化に意識的に関わる時間を定期的に設けることで、自分の思考や価値観を揺さぶる機会を作るのもいいかもしれません。

例えば、普段接しない業界の勉強会に参加する、異なる文化圏のイベントに参加するなど、あるいはそもそも仕事の枠を超え、新しいことを始める、文化や、国などを超えて新たなものを見ていくことが重要です。

UXデザイナーに新しい物好きが好きなのは、この流れを逆説的に組んでいるのでしょう。揺さぶられることを好んでいるのかもしれません。

不快な処理落ちを恐れない

さて、処理落ちの瞬間は、慣れないうちは大概不快です。
自分が常識だと思っていたことが揺さぶられ、ざらつき、ざわざわとします。誰しも自分の世界の見え方を変えるのはストレスフルです。

  • 高齢者の家を訪問して、彼らの複雑な薬の管理方法やテクノロジーへの不安を目の当たりにし、「このアプリで本当に解決できるのか」と途方に暮れる瞬間

  • 地方の農家が語る価値観が自分の都市生活者としての常識と全く噛み合わず、自分の設計したシステムの前提が崩れる瞬間

  • 障害を持つユーザーが製品を使う様子を見て、自分が考慮していなかった課題があまりにも多いことに気づく瞬間

これらの「処理落ち」の瞬間は時に自信を喪失させるものです。
あるいはビジネスへの確信も揺らがせるものかもしれません。
しかし、この「不快な体験」こそが、UXデザイナーの認知の枠組みを広げ、より高い解像度で世界を見る能力を育てます。

ぜひ未知の世界を楽しみましょう。

そして、自分の「確信」が「思い込みだった」と気づく時に、サービス/プロダクトはきっと今より良くなっています。

ちょうど筋肉が適度な負荷をかけられることで成長するように、認知能力も「処理落ち」という適度な負荷によって成長します。
この不快な体験から逃げず、むしろ意図的に自分を「処理落ち」の状態に置くことが、UXデザイナーとしての成長の鍵なのではないでしょうか。

コンフォートゾーンを飛び出す、というやつですね。

11.解像度を高めれば良いサービス/プロダクトが作れるのか

ここまで「処理落ち」がUXデザイナーのユーザー理解の解像度を高める上で重要だと述べてきました。しかし、もう一つ考えなければいけないことがあります。
「ユーザー理解の解像度を高めれば、自動的に良いサービス/プロダクトが作れる」のでしょうか?

理解と変換は別のスキルである

処理落ちを経験し、フィールドワークを通じてユーザー理解の解像度が上がることは極めて重要です。しかし、「優れた理解」と「優れたデザイン」の間には、単純な直線関係はありません。

この間を埋めるのが「変換」というスキルです。これは単なる理解の延長ではなく、全く別の能力と言えるでしょう。
UXの世界では「ユーザー理解」や「リサーチ手法」に焦点が当たりがちですが、その理解を適切なデザインに変換する過程については、そこまで議論が少ないのです。

センスの介在

深いユーザー理解と、それをセンスよく変換することが重要

この変換プロセスには避けられず「センス」が介在します。
同じリサーチ結果から、あるデザイナーは革新的なソリューションを生み出し、別のデザイナーは平凡な結果に終わることがあります。

このセンスは単なる「才能」ではなく、経験から培われる直感であり、パターン認識能力であり、創造性と論理性のバランス感覚です。教育/学習可能です。
翻訳者としてのUXデザイナーの真価は、このセンスにこそ現れるのかもしれません。翻訳で言うなら「ワードチョイスのセンス」ですね。

(センスという言葉は使っていませんが、同等の内容をこの記事でも言及しています)

解像度は必要な要素だがそれだけでいいものが作れるわけではない

ユーザーへの高い解像度は、優れたサービス/プロダクトを作るための必要条件ではありますが、決して十分条件ではありません。
理解は基盤であり、その上に「変換」というもう一つの重要なスキルが必要です。

処理落ちを経験して解像度を高めることは極めて重要ですが、
それだけでは良いデザインは生まれません。解像度と変換、この二つの車輪がそろって初めて、UXデザインの真価が発揮されます。

13.AI時代のUXデザイン

AIが普及することで、UXデザインのプロセスも大きく変化しています。特にデータ分析やパターン認識の分野ではAIが飛躍的な成果を上げており、「データの言語」の翻訳能力については人間の役割が徐々に減少していくでしょう。

しかし、ユーザーが体験する感情や文脈、個々人の主観的な価値観に基づく深い洞察は、AIが扱うには依然として困難であり、「体験の言語」はむしろ人間のデザイナーの価値がさらに高まる領域となります。

課題
AIが提供する効率的で画一的なUXソリューションが一般化すると、差別化が難しくなり、ユーザーの深い動機や複雑な感情的ニーズに応える「繊細な翻訳力」が求められる。
・UXデザイナーはAIが導き出すデータを鵜呑みにせず、常にユーザーの真の体験に基づいて評価・調整する能力を持つ必要がある。

可能性
AIが日常的なデータ処理を担うことで、UXデザイナーはより創造的で人間的な要素(哲学的・文化的翻訳)に集中できる。
・AIと人間が協働し、UXデザイナーがAIの出すデータを基に、人間的・文化的な洞察を加え、より高度で繊細なユーザー体験を設計できる可能性がある。

結果として、AI時代のUXデザイナーにはデータ分析や技術的理解はもちろん、哲学や人間文化、認知科学などの多面的な知識が求められるようになると思われます。
またそのため、広く深い教養や柔軟な思考力、そして曖昧さや複雑性を積極的に受け入れるマインドセットがますます重要になるでしょう。

こうした「翻訳者」としての役割が、UXデザインの本質的な価値であり、AI時代における最大の強みとなるのです。

まとめ

UXデザインの難しさは、その本質的な二面性にあります。
データと体験、測定と意味、効率と価値——これらの異なる世界観の間を行き来し、互いに翻訳するという点です。

そして、UXデザイナーが翻訳者として機能するには、他領域の専門家と共に課題を共有し、相互に理解を深めていくプロセスが不可欠です。
多言語話者として各領域をつなぎ、共通言語を築いていく役割にこそ、UXデザイナーの価値が存在します。

そして優れたUXデザイナーになるためには、両方の言語を流暢に話せるようになる必要があります。
これは簡単ではなく、長い時間と継続的な学習を要するとされていますが、適切に処理落ちしていくことで、その速度を早めることができるのではないでしょうか。

また、重要なこととして、UXデザイナーだけが翻訳をしていることはなく、逆にさまざまな相手がこちらに歩み寄っていることもあるでしょう。
自分たちは違う言葉や世界観で話しているのだから、それを擦り合わせていくことが非常に重要です。

テクノロジーと人間性の間に橋を架ける——この翻訳者としての役割は、AI時代においてもなお、そしてむしろAI時代だからこそ、ますます重要になっていくでしょう。

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