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一筆啓上 《2》

〜構想〜

 まるで桜の季節を合図にするように野も山も活気づいてきたようです。名も知らぬ草木の中にお馴染みの姿を見つけられるようになると自然の深みや厚みを感じられるようになる気がします。

 一歩山に足を踏み込むと驚くほど豊かな自然を感じられるのは自分自身の理解が豊かになることの証に他ならないのかもしれません。自然はあるがままの姿でそこにあり続けてきたのですから。

 全てを失った所から新しいことが始まるなら、まだ終わってないのかもしれない。
…ふと、そんなことを思ったのです。

 次の一手はなんでしょう。残されているものはどれくらいあるでしょう。

 幾つもの作品を手がけては行き詰まるということを繰り返しているような気がします。その中に「バランス」という作品があります。大雑把な構想と筋書きはあるのですが、画力と構成力が追いついていない感じでしょうか。

 現在制作している「既視感」は「バランス」の前章に当たるエピソードです。バランスで登場する主人公の若い頃の話が登場します。バランスを描き始めた時点で主人公である真路の若い頃のキャラクター設定は出来ていなかったので改めて描き起こす必要があります。繰り返し描くことでやっと固まりつつある所です。

「既視感」のエピソード中の白髭の登場人物は「バランス」においても登場する予定になっています。実はこの登場人物に手こずっています。脳内でイメージが出来ていたはずなのに描けば描くほどわからなくなるのです。

 キャラクターは脳内の3Dイメージを2Dとして描き起こす手法なので少し角度が変わると見え方も変わらなくてはならないはずです。幸か不幸か写真をやってきたのでカメラアングルを工夫したくなってしまいます。それが功を奏すれば良いのですが、脳内で粘土細工のようなイメージがグニャグニャしているとうまく描き起こすことができません。描いては行き詰まるということを繰り返しているわけです。

 この「既視感」のエピソードは「バランス」においても重要な意味を持つことになります。ゆえに当初の予定を超えてページを重ねることになりました。

…ふと、寝る前に結末のシーンが浮かびました。寝てしまえば忘れてしまう危険性があるので起き出して文字に起こしました。
 そのシーンに至るまでの紆余曲折や山あり谷ありが問題なのですが、着地点があるということは作品を描き上げる上で大切なことかもしれません。

 そのシーンは描き始めた時には想像していなかったものです。行き詰まってペンを止めた後に知識として得たことや考えたこと、それから経験が付加されたことになります。現在描きかけている作品もそんな風に描き上げていけたら理想的なのです。


 現代社会で漫画やイラストを創作する場合、生活を継続するためには商業ベースに乗ることが必要ではないでしょうか。そしてもう一つは時系列…タイムラインに乗らないと忘れられかねません。もちろんそれが良くないと言い切ることもできません。コツコツと活動し公開していく過程でフォロワーさんや読者、あるいはファンといった方々との繋がりが形成されるためです。突然大作を公開した所で誰の目にも触れないのでは公開する意味も疑問になってしまいます。
 ただ、作品を描き続けながら生活を維持しつつ、場合によっては仕事や学業と掛け持ちするとなると並大抵のことではないでしょう。

 商業ベースに乗らない作品は無意味なのかという素朴な疑問があります。

 遅筆であっても些細なことであっても日々の積み重ねが活動を認知されるために必要不可欠であるようです。そうしていくうちに学んだり気づいたりして方向性も決まっていくのではないかと思うのです。

 そんな風に活動し公開し続けた作品が、この世にボクが存在しなくなってからも誰かの目に触れることを思い描きつつ…

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…頼風…

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