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一筆啓上《3》

未来を知っていたら人生は楽しいでしょうか。

課題

 朝、布団で夢から覚める刹那「課題」という言葉が浮かびました。描くことが課題になったのは描きたい時に描けなかったからなのかも知れないと思うのです。
 子供の頃、漫画を描きたくて描きたくて仕方ない時期がありました。漫画とはどういうものなのかわからない時期でしたから正確には漫画ではなくラクガキ。とにかく描き続けたいという情熱だけがありました。思う存分限界まで描くことができていたら、もしかすると別の道を選ぶことにためらいはなかったかも知れません。たぶん必要だったのは「挫折」なのかも知れないと思うのです。

 多くの漫画少年少女が経験するように両親は漫画家になることに反対でした。漫画家になることの意味もわかっていない時期でしたから反対の意味がよくわからなかった気がします。ただ描き続けることの先に漫画家があるのではないかと漠然と思っていただけなのです。

 結局、進路を選択する現実を目の前にして漫画を描き続けるという選択肢を選ぶことはできませんでした。挑戦すべきことに挑戦せず挫折すら味わうことができなかったので「描くこと」は課題となってしまったのでしょう。

バブルの終焉

 最近、バブルの時代を懐かしむような番組が放映されたりするようです。再注目されているのでしょうか。バブル時代に良い思いがないのは、最盛期の頃にはまだ下積みの時期だったせいかも知れません。
 それでも仕事は選べたような気がしますし、一生フリーターでも生きていけるといった風潮があったように思います。

 保険会社や銀行が倒産するなどと言うことはありえないことだと思われていましたし、年金の杜撰な管理も知られてはいませんでした。原発に対する懸念の声は「日本は資源が少なく国土が狭いのだから仕方がないんだ」という必要悪論にかき消されていた気がします。
 いずれも社会に出たばかりの一個人が手の届く話ではありませんでした。残業や休日出勤、果ては24時間戦えるかとのCMソングに苦笑しつつ、ただ日々を過ごすことで精一杯でした。

 社会活動が活発になれば、小さな歯車はともかく高回転を維持するしかなかったのだろうと思います。そして限界を感じると転職することで待遇を改善するしか方法を見つけられずにいました。転職は経歴を考慮されるため経験を積むためには必要なことだと思っていた気がします。大した貯金もないまま転職するわけですからタイムリミットがあります。制限時間内に次の職に辿り着けなければ全て終わる…それが何を意味するのか考えている暇があったらハローワークや求人雑誌で職探しをする方がはるかに有益だと考えていたかもしれません。今考えるとそれこそが罠だったかも知れません。薄々気づいていても他に為す術もなくただ条件反射的に再就職のルーティーンを繰り返していました。

 社会は経済活動を維持するために労働力を栄養にしています。社会に溶け込むためには労働力を提供し対価を得て消費活動に寄与する必要があるわけです。自分のために消費しているように思い込まされているだけで実は消費活動さえもが社会にとって必要不可欠になっているわけです。

 毎日釣りしたり山菜を採ったり畑で作ったものを食べたりしている人は社会にとって都合が悪いのかも知れません。ましてや多くの人が野草を食べて生活されてしまっては経済活動が立ち行かなくなりかねません。けれど、当人からしてみればどうでしょう。満員電車や長距離通勤、学校や地域の問題に消耗しつつ疑問を感じる暇もないほどの生活に満足でしょうか。

 人間には欲があります。その欲を満たすことが経済活動の目玉であれば、欲の少ない人や無欲な人は社会にとって都合が悪いのでしょう。収入がなくても税金がかかるというような算数的にも間違っている生存税のような仕組みが根底にあるのは経済活動そのものの底上げになっている気がします。

 自立だとか独立だという言葉も社会の枠の中の話でしょう。それは社会の経済活動の中で歯車の一つとして役割を持つことなのかも知れないと思うのです。

 やがてバブルは終焉を迎えました。今思えばいくつもの予兆はあったのだろうと思います。いくつもの神話が崩れ去り多くの人を巻き込んで変化を余儀なくされました。考えてみると神話を作るのも語るのも人間です。「絶対」なんてあるわけがないのでした。

自戒

 気がつけば転職の中で経験した会社の幾つかは姿を消していました。可能性にすがるような思いでハローワークに通い、転職活動をして得た仕事は儚い夢のように消えてしまったのです。そして遅ればせながらやっと「そういう職場にしか辿り着けないのかも知れない」と思うようになりました。

 転職で大切なのは新たな職場に馴染み仕事を早く覚えるためにニュートラルでいることだと思っていました。よく言えば臨機応変。悪く言えばどっちつかずです。問題なのは評価されないことより価値を創って来なかったことなのかもしれません。

 悔やまれるのは仕事の忙しさを理由に描くことを続けてこなかったことです。若い頃にしっかり身につけておいたら別の道もあったかも知れません。綱渡りのような転職人生においてバランスを保つことが出来たかも知れない。ブランクの間にも他のことに挑戦していたつもりですから無駄ではなかったと思いたいですし何らかの糧になっているものと思いたいです。けれど、時代の盛衰に揉まれながら獲得できなかったものは船の錨のようなものだったかも知れないと思うのです。ゆえにどこにも寄港せず停泊もできず漂うことを余儀なくされているのかも知れません。

進路

 時折、感情を取り違えているかも知れないと思うことがあります。

 以前だったら「悔しさをバネにして頑張る」というようなことが「根性」と呼ばれることもあったかも知れません。前に進むために負のエネルギーも利用する…それは時として必要なことかも知れません。バブルの頃はまだそんな雰囲気が主流だった気がします。思い出すのは皮肉にも下積み時代の悔しかったことだったりもします。
 脇目も振らず走り続けた結果、そこにゴールテープはありませんでした。それはまだゴールではないことの証なのでしょうか。

 時折想起される負の記憶に振り回されそうになるのを堪えながらペンを握って描こうとしているのはもしかすると錨の絵なのかも知れません。

 感情というものは特定の形を持っているわけではないでしょう。振り返ってみれば自己否定する材料には事欠かない気がします。そもそも生まれたことが間違いなのではないかと言うところまで行き着いてしまうこともあります。そんな負の感情に囚われそうになった時、他に選択できる想いにスイッチすることが出来れば改めて本来目指すべき方向性を見出せるかも知れません。

 船でも飛行機でも航路を修正したり変更するためには少しずつエネルギーのバランスを調整する必要があります。急に進路を変更すれば車だって事故につながるでしょう。時には減速をも必要とするわけです。

 若い頃は特に一発逆転や起死回生の一手に頼りがちです。少し遠い目標を見定めて少しずつ確実に軌道修正することが大切なのかも知れません。好きなことは何なのか得意なことは何なのかを忘れずに。


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…頼風…


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