たいせつなもの
noteが始まって数ヶ月の間に色んなことがありました。
![]()
「あの方はお元気かな」とか「最近お忙しそうだな」とか思い浮かべる人が何人かいます。
時々元気な様子伝えてくださる方もあれば、悩んでいたあの方は元気になっただろうか…とか、それぞれの生活や人生に想像を巡らせながら時の経過に想いを馳せたりしています。
noteが課金できるプラットフォームとして登場して、まっさらな白いノートを前にたくさんの未来を思い描きました。
「あれもやりたい」
「これもやりたい」
「もしかしてこんなこともできるかな」
暗中模索の日々の中でやりたいことと出来ることに折り合いをつけながら、やっぱり試行錯誤の日々が続いています。
大切なのは中身なんですよね。何でもそうだと思うんです。
クリエイターと言う呼び方がふさわしいかどうかは解りませんが、創作活動とは「中身」なんだと思うんです。「中身」って言うのは物理的なモノではなく内容とか質の意味ですね。
どんなに費用をかけて素晴らしい器を作っても中身がなければ目的は叶いません。むしろ逆効果になることさえあります。どう言うわけかその枠組みに気をとられて中身が伴わないことが多いような気がします。
以前から感じているのは、現代人は情報を受け取って分析し、判断することに長けていて、自らが発信するとなると途端にどうしていいか解らなくなってしまう傾向があると思うんです。批判も恐いし責任問題だって気にかかる。何故なら普段批評したり批判したりすることに慣れてしまっているからです。そして、意見はあるのだけど発信しないからそれが自分の中で思い込みとなっていつか正義になる。
ちょっと話が横道にそれました…ボクが批判してどうするって言う話ですね。
ボクはこれまでもストックフォトとかクラウドソーシングなどに挑戦はしてきました。ストックフォトは今でもたま〜に販売の通知が入りますが、何年経っても振込みの最低金額に達しません。クラウドソーシングに至っては恥ずかしくて口にできないレベルです。どちらも実質的な収益は運営会社が確保するわけですから個々の問題はあまり関係ないんだと思います。
noteを始めるまで誰に相談できるわけでもなくクラウドソーシングの応募用の作品を毎日悶々と制作していました。そのうち、応募者数に変動がある様な気がして数字を分析するようになりました。報酬や制作物の業種、ページ数、曜日…そんな数字からある程度応募者数の予想が出来るようになれば、応募者が少ないと思われる案件に応募すれば採用確率が高いと言う計算です。ところが、応募者が少ない案件には敬遠されるような事情があることが解ります。報酬が少なかったり、ページ数が多かったり、工数がかかることが予想されたり…採用されない場合のリスクが高いのです。そんなことはわさわざ統計とらなくても解るようなものです。けれど、ボクには数字しか頼れるものがありませんでした。今にして思えば、あの時間を自分のレベルアップのために費やした方が良かったのではないかとすら思います。
そして100件の応募があっても採用が1件なら、99件は不採用です。同じシステムを使っていても売れる人と売れない人がいるのです。
売れている人もいるわけなので問題なのはやっぱりボクだろうと考えます。そして勉強のためにと売れている人の作品を拝見すると納得せざるを得ない。言うまでもなく数字ではなく中身が大切なんです。
…これは売れるでしょうね。でも、ボクには真似できません。降参です。
売れる人の作品は質が高いばかりではなく量も半端ではなかったりします。
では、noteはどうでしょう。
大きく違うのはクリエイター同士の繋がりでしょうか。見方によってはライバル同士なのにお互いが助け合って高めあおうと言う気運があります。それは当初からずっと続いているような気がします。
そして…余白でしょうか。
ルールでガチガチに縛らない余白があるような気がします。
この余白がクリエイターの活動にゆとりを与え、それが成長に繋がる。
クライアントの意向と言う縛りすらありません。
企業が営利活動によって存在する以上、デザインなどに携わるクリエイターもまた営利目的と言う縛りから逃れることが出来ません。その上でクライアントの意向が左右されるからです。
noteにはそれがないから基本的に自由です。
もちろん、利用規約上の最低限のルールはあります。
その利用規約にしても絵を描くとか写真を撮るとか、文章を書いたり音楽したりする創作活動において厳しい縛りではないでしょう。
そこで改めて問われるのは「何がしたいのか」なんだと思います。始めはボクも戸惑いましたし、今でも迷うことがあります。誰が何を望んでいて、ボクに一体何が出来るのかを考え直す必要があるからです。
依頼のない状態で何を発表するのか。
そこに答えはないんですよね。
だからこそ「何がしたいのか」が問われる。
技術もテクニックも後回しでいい。
場合によってはクリエイターさんが手を差し伸べて驚くような作品にしてくれます。
「これこれ!これが欲しかった!」と言われる作品の形は数字では計れないのかも知れません。この世にまだ存在しないモノに数字はないでしょう。あるのは可能性です。
やりたいことをやってみる。
それも一つや二つではなく次から次に。
持ちネタが尽きてからこそ真価が問われます。
そして誰かが見ていてくれて、共感を得られれば「面白いことやってるよ〜♪」と告知してくれます。
ここがすごく大切です。クリエイター冥利に尽きます。
人を信じてみる…ことでしょうか。
ウケないからと言って凹んでいる場合ではないのです。
何が足りないかを自分で研究しなくてはいけません。
誰かの研究もいいですが、肝心なのは自分の研究だと思うんです。
写真一枚でも無限大の可能性が作者の手にあります。
既にご活躍の方々の活動を拝見していても、そこにジャンルなんて意味がないですよね。
自分で出来ることは何でもやっちゃう感じです。それが不思議なことに支離滅裂にならずクリエイターさんの個性がオリジナリティーとなって反映されています。
システムがしっかりしていて間違いなく売れるものって創作活動なのかなぁって思ったりもします。
大切なのは作品。そして発想も大切。
noteには成長の機会があり、高めあいの精神がある。
ボクはそんな風に思うんです。
…え?言われなくても解ってる?
![]()
