生命の源泉
〜関わり〜【3】
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子供の頃の遊びと言えば、「鬼ごっこ」とか「かくれんぼ」とか「缶けり」とか…昔ながらの定番の遊びが将来的にも子供たちの伝統として受け継がれて行くであろうと思っていました。子どもたちは小さな公園や団地の中を駆け回っていたのです。日本の国土を考えれば、都市以外の地域の方が広いはずですから、今でもこうした伝統的な遊びは子どもたちの間で受け継がれているのでしょうか。
ボクはと言えば、こうした伝統的な遊びが苦手でした。体力のあるものが強く、体力のないものはいつまでも弱者のままで「鬼」から抜け出すことが出来ません。同学年であれば面白くもなるかもしれませんが、年齢差や体力差の大きい地域単位の遊びとしては長続きしなかったような気がします。上級生に鬼の役を買って出るくらいの器量がないと面白くなりませんね。
ボクが自然の中に遊び場を求めるようになったのも、もしかしたらそんな理由だったかも知れません。自然の中で遊ぶならマイペースで良いわけです。
小学校の同級生と意気投合して遊ぶようになると共通の楽しみがやっぱり野山で遊ぶことでした。ボクの住んでいる団地より彼の住んでいる地域の方が起伏に富んでいて面白いと感じたのでボクから遊びに行くのが定番になりました。
彼の家の近くには大きな公園の大きな池から流れてくる水が岩盤の傾斜を駆け下っていました。そして、その流れの落ち込んだ所に大きなアメリカザリガニが群れを成して集まっていたのです。真っ赤なアメリカザリガニは少年たちの憧れの的でした。水の透明度も高かったのでその気になれば、手づかみすることだって難しくはないだろうと言う感じでしたが、まるでそこはアメリカザリガニの聖地でもあるかのように足を踏み入れることが躊躇われるのでした。
彼の所に遊びに行くと、そのアメリカザリガニの聖地を見に行くことも楽しみでしたが、その流れの下流では魚を獲ることが出来ました。目の粗いタモ網で川岸の魚がいそうな所を探るわけです。その小川は田んぼの中を流れていて川幅も狭く水深も浅いので暑い日に水遊びするには格好の遊び場となっていました。キラキラと輝く水の流れを見ていると目にも止まらぬ早さで川魚が泳ぎ回ります。一緒に遊んでいてもお互いのことは忘れてしまうほど夢中になります。時折、友だちが「つかまえたっ!」と声を上げるのでボクも何とか捕まえようとしますが、とにかく小さな川魚は動きが俊敏です。それに友だちがタモ網を使っていたのに対してボクは手づかみだったような気がします。こういうことは弱い立場で成果を上げるのが面白いので何とか形勢逆転しようと思っていました。
ボクの狙いは大きめの魚です。小魚に比べていくらか動きが遅いのと大きいので視認性が高いので捕まえられる可能性が高くなるのです。小さな的より大きな的の方が矢は当たりやすい筈です。それというのもボクは大きめのフナらしき魚影に気がついていました。大きいとは言っても子ども時代のことなので十五センチくらいでしょうか。手づかみとなれば難易度は決して低くありません。少し離れた所で水しぶきを上げて格闘している友だちを余所にボクは息を殺して狙いの魚影を探します。もちろん、友だちはライバルですから何も言いません。
魚は絶えず動き回っているわけではなく、物陰に潜んで様子を伺っています。隠れている場所が分かれば、そっと手を近付けて包み込むように捕まえます。
なんとボクは目的の魚を捕まえることが出来ました。そして、喜び勇んで友だちに報告しようと魚をよく見たら…魚は病気だったのです。流れのある所なので水カビ病は考えにくいのですが、明らかに健康な状態ではなくボクはがっかりしてしまいました。だからボクに捕まったのでしょう。
社会に出てからこの時のことを思い出すことがあります。
「うまい話には裏がある」と言いますが、大きな獲物がボクに捕まるには何か理由があるのではないかと思うのですs。その理由を知ってボクが許容できることであるか見極めようとしてしまうのは、あの日のことがあったからのような気がします。
友だちとはその後も釣りをしたり一緒に漫画を読んで過ごしたりして遊びました。小学校の高学年で学校が分離され別々の小学校になりましたが、中学校でまた同じ学校で顔を合わせるようになったのです。けれど、友だち付き合いが変わってしまい以前のような交流はなくなっていたのではないかと思います。
ある時、ボクがいつものように近所の野山を散歩して帰宅すると友だちが遊びに来たと母が言うのです。「約束してなかったはずだけどおかしいなぁ」と思いつついつもボクの方から遊びに行くのが常でしたし、少し疎遠になっていたような気がしたので嬉しく思ったのも事実です。
そんな彼が中学の二年の夏に亡くなりました。
ボクにとっては幼なじみのような友だちです。
病気で入院したことは聞いていましたが、何故か彼が見舞客を嫌がっていると言う話を聞いていました。まさか亡くなるとは思っていませんでした。すぐに会えるだろうと思い、お見舞いにも行かなかったのです。
彼が遊びに来たのは…ボクに何か伝えたかったのではないかと何度も思いました。けれど、いくら考えても解るはずもありません。
それからボクは田舎町に引っ越すまで毎年のように彼のお墓参りに行っていました。そんなことをしても何もつぐなうことは出来ません。ただ、彼と過ごした時間がボクの人生の大切な時間であったことだけが間違いない事実であり、もうボクにしか解らない思い出になってしまいました。
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ご精読ありがとうございました。
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