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もっと描けばいいのに

…そんな風に知り合いの絵描きさんに言われてました。

 手描きの素描にたくさんのスキをいただいて驚いています。
 本当にありがとうございます。

 縁と言うのはどこにあるか解らないものです。二十歳の頃、当時大学生だった友達が農家の住み込みでアルバイトすると言うのでボクも行くことにしたのです。一緒とは言っても彼は別の農家でしたし、仕事を辞めたばかりだったボクは友達より先に現地入りしました。そして2ヶ月の間、農作業のお手伝いをしました。3日間は仕事が終わると筋肉痛で動けなくなる程でしたし、元々体力のなかったボクなので農家の方も2ヶ月間続くとは思わなかったと後になっておっしゃっていました。

 少し遅れて友達が別の農家に配属になりました。ボクは電車、彼は車で赴任していました。時々仕事が終わってから連絡を取って会うことが出来ました。そんなある日、友達が言うのです。彼の住み込んでいる農家の方の知り合いに絵描きさんがいるから紹介すると。別の農家に絵が好きな友達が来ていると彼が農家の方に話したのがきっかけだったようです。思いがけないことでしたが、ボクは住み込み先の農家の方にお話しして会うことにしました。
 それから長年に渡るおつきあいになるとは思いもしませんでした。

 ボクはその絵描きさんを先生と呼ばせていただくようになりました。
 先生はデザイナー出身でアートディレクターとして雑誌の表紙やポスター、広告なども手がけられ、東京から長野へ移り住んでアトリエを構え、地域の美術館関係のお仕事もなさっていました。そんな方に20歳そこそこのボクは随分かわいがっていただきました。おいしいお酒をいただきながら深夜遅くまで芸術談義。アトリエの二階で休ませていただき、朝は高原の陽射しと野鳥のさえずりの中で目覚めます。ボクにとっては夢のような暮らしでした。

 それからボクは生活のために働きながら絵画教室に通ったりしたのですが、30歳の頃の転職を機に絵を描けない日々が続くようになりました。印刷の仕事に関わりパソコンに向かっていましたから、それが今に繋がっていることを思えば無駄ではなかったのでしょう。けれど、ボクにとって絵を描けない精神状態はあまり好ましいことではありません。そんなボクの日々を知ってか知らずか、先生は折に触れて「絵を描いてる?」とボクに尋ねるのでした。そして日々の仕事に忙しくて描けないでいると答えると「もっと描けばいいのに」と残念そうに言うのです。

 そんな多忙な都会っぽい生活に挫折し、田舎へ移住することにしたボクは引っ越しの途中で先生のお宅に立ち寄りました。そして自宅から外に持ち出すことのなかった裸婦デッサンを見ていただいたのです。すると先生は「何枚か置いて行きなさい。ボクが買い上げる。」と言うのです。先生の夢は、そうして買い取ったお気に入りの作品をご自分の建てた美術館に飾る事だとおっしゃっていました。何と言う光栄なことでしょうか。
 けれど、ボクはまだ描けない状態が続いていましたし、都会に破れてボロボロでだったんだと思います。それからも描けない状態はずっと続いていました。
 先生はそんなボクに「もっと描けばいいのに。」と言うのでした。

 そんな先生は美術館を建てる夢叶わぬまま数年前に他界されました。

 先生、ボクはもしかしたらやっと描けるようになるかも知れません。
 こんなにたくさんの応援をいただけるのは、先生のお陰ですよ。

 作品を見ていただいた方、スキをつけて下さった方、コメントくださった方、フォローして下さっている方…ご支援、応援していただいているみなさんに感謝を込めて。

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