生命の源泉
〜大地を食べる〜【3】
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「え〜っ!?雑草食べてるの?」
毎日食べているわけではなくて、春、美味しい時期に少しばかり食べる程度です。実際、成長してしまうと筋張って来たりエグ味が強くなったりしてとてもじゃないですが食べられない代物だったりします。
そもそも野菜と山菜と野草の分類はとても曖昧です。もう一つの分類として山野草と言う呼び方もあります。
たとえばフキノトウって野菜でしょうか?山菜でしょうか?それとも野草でしょうか?ツクシは山菜?それとも野草?ノビルとかワケギもよく解りません。ワラビやゼンマイは山菜かも知れませんが、シダ類なので山野草にも分類できるでしょうか。同じシダ類にはコゴミもあります。地元ではミズ(ウワバミソウ)やアイコ(イラクサ)も店頭で見かけます。アイコは成長してイラクサになるとガラス質の刺が発達します。誤って触れようものなら激痛が襲い、しばらく悶絶することになります。若い時期だけに食べられる人気の山菜です。所によっては保護対象になっているカタクリも食べられるそうです。春に可憐なピンクの花を咲かせるのでとても食べる気にならないと言う人もいるでしょう。カタクリを山菜に分類するのは少し抵抗があります。山に咲く花ですから山野草でしょうか。
田舎には何にもない?こんなに豊かなのに?
野山の食文化には当然地域性があります。
以前、図鑑で得た知識でイタドリを調理してみました。若いうちは中空の茎で竹のようなような姿をしています。野山の他、荒れ地などで繁茂することが多く、成長すると茎が固くなって木のようになる典型的な除草対象の野草です。このイタドリが地域食として親しまれていると聞いたのです。イタドリの強い酸味の原因のひとつは蓚酸によるものとのことで過食しないようにと言う注意書きがありました。随分前のことなのでどんな風に調理したものか忘れてしまいましたが、美味しくないと言う印象しか残っていないのでたぶん調理法が失敗だったんだと思います。きっと地域に根付くには美味しく食べる工夫があるのでしょう。
野生のものは毒の無害化を必要とする場合もあります。トチ餅で知られるトチの実は一見すると栗の実にも似ていて美味しそうです。でも、そのまま食べてはいけないもので昔はトチの実の毒を洗い流す為に長期間流水に浸けておく必要があったとか。手間ひまをかけて美味しいものに仕上げて行くのです。
スーパーに並んでいないものを食べることを異端視してしまう傾向は、実は資本主義にとって都合が良いと思うのです。産地では数十円のものが小売価格が数百円になる。道端に出ている野草や山菜ですらパック詰めして流通に乗せれば、関係者の生活を支えることになります。それが悪いことと言うのではなく、野菜や山菜や野草や山野草の絶対的価値ではないと言うことです。スーパーで買い物をするのは関係者の方々の労働力に対して支払うものであると考えれば、野菜と野草を隔てる価値基準にはならないと思うのです。
もちろん無理してスーパーの野菜以外のものを食べる必要はありません。ただ、もしかしたら現代文明が管理しやすいように現代人をコントロールしているのかも知れないと思ったのです。野のものであれ山のものであれ、あるいは畑のものであれ、分け隔てなく美味しいものを食べれば良いのではないかと思うのです。
以前に住み込みで農作業のアルバイトをしていました。もう随分前の話です。
農作業の中心だったのは、農家の方が収穫したレタスや白菜を箱詰めしたものを畑の外の道に停めてあるトラックまで運び、積んで行く作業です。レタスが一箱十二個入りで五キロほど、白菜が一箱六個入りで十キロくらいだったと思います。その箱を運ぶために畑とトラックを何度も往復するのがアルバイトの仕事です。多い時は一日に一〇〇箱以上運んでいたのではなかったかと思います。作業を始めて三日間はバイトの時間が終わっても筋肉痛がひどく、お風呂と食事を済ませたら起き上がれないほどでした。身体が慣れるまで随分かかったような気がします。
出荷のない日曜日は、畑の草取りなどをしていました。出荷の時のような時間に追われる忙しさはないものの「草カジリ」と呼ばれる除草作業は腰に負担がかかる姿勢を続けなくてはならないので、いつもとは違う大変さがありました。除草の対象となっているのはスベリヒユという野草で、赤い茎に楕円形の葉をつけ地面を這うように成長する植物です。スベリヒユは、ボクの地元ではヒョウと呼んで食べられる野草として販売されていることもあります。つい先日も産直の店で立派なヒョウが売られているのを見かけました。たしかもやしのような食感のクセのない野草で、茹でて芥子醤油で食べると美味しかった筈です。そんなスベリヒユも繁殖力が強いのため畑では除草対象となります。スベリヒユは地面を這うように繁殖します。手で抜き取ろうとすると少し厄介なので長い柄の先端に扇形の金具のついた農機具で地面を削るようにカジる(引っ掻く)と簡単に除草することが出来ます。ただ、慣れないとスベリヒユと一緒に畑の表土までカジってってしまうのです。簡単な作業に苦戦していた所、「土は農家の命なんだよ」と叱られてしまいました。そうなんです、苗を植えるための培養土を撹拌機でブレンドしている様子をボクは見て知っていたのです。何でもないように見える畑の土には、知恵と汗と時間がしみ込んでいるのてす。
ボクらは野菜や山菜、あるいは野草を介して土を食べているともいえるでしょう。土からどの栄養素をどんなふうに摂取するか。美味しく食べることが出来れば言うことないですし、継続的に食べるなら経済的で飽きの来ないものが良いでしょう。それが「何を食べるか」ということに繋がってくるのです。
自分にとって必要な栄養素は何なのか日常的に把握することは難しいことです。現実にはスーパーに並んだ野菜の中からそれを選択する他ありません。
そう言えば、スーパーに行くとキャベツやレタスの外っ葉を捨てている光景を時々目にします。住み込みのアルバイト中はグリーンボールの外っ葉をお味噌汁にして食べていた記憶があるのでとても不思議に思います。農薬の心配も解らなくはないですしキャベツの外っ葉は固いので料理に使いにくいのも確かですが、もったいないなぁと思ってしまうのです。
もったいないと言えば、アルバイト中にレタスが豊作で生産調整をすると言う話がありました。ボクは何のことだか解りませんでしたが、取りあえずいつものように収穫し箱詰めして集荷場へ持ち込みます。すると検査官が来て確認し、その後収穫したレタスを廃棄したのです。
産地でも店頭ならレタス一個百円くらいはしていました。豊作による価格の下落を防ぐためにそんなレタスを大量に廃棄する。レタスは毎日大きく成長するので出荷時期を待つことが出来ません。これも現代文明のひとつの姿です。
バイト先は広大な開拓地でした。気温と天候の変化に富み、高原野菜の生育に適していると言われます。秋を迎える頃になって畑が終われば耕作地に埋没している大きな石を取り除く作業が待っていました。
耕作地の基礎になっている大地は気の遠くなるような年月の中で形成され、やがて耕作地の土も長い年月を経て改良され、瑞々しい新鮮な野菜が出来るよう工夫が施されたものです。近年、様々な問題で経済効果とか金額的な評価基準が取沙汰され「経済価値に換算」することがあります。その基礎になって評価されないモノの中に大きな財産や金額では換え難いものがあることを見落としているような気がしてなりません。
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生命の源泉〜大地を食べる〜
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