芸術を育むもの
一言で「芸術」と言っても幅広く、奥が深いですよね。それだけに定義が難しいこともあります。
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写真の勉強と向上をしようと海外サイトに投稿してみたのはちょうど1年程前のことです。
知る人ぞ知る巨大な写真SNSとも言えるそのサービスは、技術レベルや芸術性を問わず、様々な国、様々なジャンルから素晴らしい作品が集まっています。初めて見た時は、驚きのあまり閲覧だけで充分すぎる程の満足感を得られたのですが、やっぱり気になるのは自分の作品の評価です。
けれど、そこは英語がメイン。他にもイタリア語・フランス語・ドイツ語…と普段触れる機会のない言葉が飛び交っています。果たして対応出来るのか?幸い今は自動翻訳があるのである程度は理解出来ると思いました。
ある時、意を決して…けれど申し訳ないような気持ちでちょっとお試しのつもりで投稿してみました。それは写真を加工した作品でした。
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するとその反応はボクを驚喜させるのに充分すぎる賛辞の嵐でした。自動翻訳に頼っても返信するのは大変であることがすぐに解りました。それでボクは申し訳なく思いつつほとんどコメントに返信をしていません。
「バックの黒が素晴らしい」
いやいや、ごめんなさい…画像は加工してるのでバックは黒で塗りつぶしてます…なんて返信したら気分を害してしまいそうでした。
それでも作品を投稿する度にコメントをつけてくださる方がいます。
「あなたの作品のタイトルは魔法のようだ。作品に違う視点を持たせる。」と日本語しか話せないボクがカタコトの英語でつけた作品のタイトルまで褒められて嬉しいやら恥ずかしいやら…。
日本では、どんなに自信のある作品であっても「ふ〜ん。」とか「きれいに撮れてるね。」とか「らしさが出ていていいんじゃない?」と言うある意味で冷めた反応がほとんどです。
「芸術ってよく解んないんだよね」
これが一番ガッカリします。でも、ある意味で日本人特有のやさしさなんですよね。
もちろん見ていただくだけでありがたいことなのですが、もしかしてこの風土が自分を過小評価してしまったり才能がないなんて言う思い込みの元ではないかと思うのです。技術大国日本が厳しさの中に活路を見出して来たあまり芸術にも厳しさを求めてしまうのかもしれません。海外に芸術を育む文化があるのは「褒め上手」だからではないかと思ったりします。
noteに参加している方々の作品を拝見すると、その背景やこれまでのご苦労をボク自身の人生と重ね合わせて考えてしまうことがあります。
大変でしたよね。お互い、よく頑張ってきましたよね。そしてその感性を今日まで良く守ってきましたね…。
自分の感性を厳しく磨くのは自分自身であり、守り続けることができるのも自分をおいて他にないのです。願わくば、それを温かく見守り、育んで行く風土が培われて欲しいもです。
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