旅の残像

 スーパーの野菜ってほとんどが海外原産なわけですよね。それで畑では在来植物を雑草と呼んで排除します。ボクもスーパーの野菜を食べているわけでそれは感謝すべきと思います。でも、日本人は海外から野菜が輸入される前は一体何を食べていたんだろうって不思議に思いませんか?

 ここから日本人の食の起源を辿ろうと言うのではなく、社会も同じ構造をしているんじゃないかなと感じることがあるんです。100人のウチから1人を選択すれば99人は切り捨てられます。そうすることで社会が成立しているんじゃないかと。99人は「いつかはきっと」と夢を持たされて次の機会を待つ。そしてまた1/100の原理。

 頑張れば報われる…?
 その努力は何のため?
 誰のため?

 一方、1/100の人が夢に辿り着いたかと思えば、擦り切れそうな日々が待ち受けていて消耗しきったらまた捨てられて…。

 自然豊かな東北の生まれ故郷に移り住んだのは14年前のことです。
 それまでの生活は、毎日の残業、徹夜、休日出勤、長時間の通勤…それでも仕事は好きでした。仲間も好きでした。けれど…たぶん都会に疲れていました。

 異動のタイミングで辞表を提出しました。ボクがこの街で出来ることはもうないと感じていました。

 街並に吐き気を感じる程でした。

 それから一ヶ月間の予定で一人旅に出ました。最初一泊だけ富士山の見える忍野村の民宿に泊まりました。

 一度は訪れてみたかった場所です。でも民宿の接客が観光客慣れしている感じが少し残念になってあとは車中泊にしました。

 お金が充分にあるわけではないので高速道路は使いません。一般道を走るのですが、ふと気がつくと高速道路へ誘導するように出来ているんですね。ゆっくり走りたいのにこちらの意志とは無関係に高速道路へ道を選択させられます。意地になって一般道路を走りました。深夜走ると一般道でも大型車両の通行量が増えて危険を感じることもありましたから夜は走らないことにしました。それに夜走ってガソリンが無くなってもスタンドが開いてないことも理由の一つでした。
 日が沈む頃に駐車スペースを探し、朝日が昇る頃にハンドルを握る…食事はほとんどコンビニのおにぎりだったと思います。
 それでもそんな毎日には言い知れぬ自由を感じたのです。

 その勢いで生まれ故郷に移り住んだのでした。
 自然に囲まれた新しい暮らし!

 ボクは希望に満ちていました。

 豊かな自然と美味しい食べ物。何より地下鉄から地上に出ていきなり咳込む生活はもう過去のことです。そうしてしばらくは地方暮らしを満喫しました。
 しかし、現実はそんなに甘くありません。待ち受けた出来事はボクの儚い希望を打ち砕くに充分な破壊力を持っていました。

 結局ボクは社会に合わせるしかなくなったのですが、そこには最早ボクの入り込む余地はなかったのです。

 社会構造はテンプレート化され、型にはまらないものは無価値に扱われます。けれど、果たして99/100が無価値なのでしょうか。ボクにはその答えがまだ見つかっていません。

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