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『迷探偵 沖田』第9話:忘れな草の暗号

新宿の夜が、異様な輝きを帯び始めていた。  街灯の光は不自然に屈折し、アスファルトの上を流れる雨水は、まるで水銀のように重く、鈍い光を放っている。  沖田と志乃、そして「エミの影」を宿した瑞穂を乗せた古びたセダンは、封鎖された西新宿の心臓部へとひた走っていた。

車内に満ちているのは、張り詰めた緊張感と、瑞穂の身体から漂う、強烈なまでの「忘れな草」の香り。  それは死者の手向けの花のような、清廉でいて残酷な匂いだった。

「沖田さん、前方を。空間が歪んでいます」

志乃がハンドルを握りながら、冷静に指摘した。  ヘッドライトの光が、空気中の「何か」に反射し、プリズムとなって散乱している。  大気中に散布された微細な硝子状のナノマシンが、水分と反応して結晶化を始めているのだ。このままでは、数時間以内にこの一画の生物はすべて、生きたまま硝子の標本へと変えられるだろう。

「調律師(チューナー)のやりそうなことだ。……世界を『永遠に変わらない美』の中に閉じ込めようとしている」

沖田は助手席で、廃ホテルから持ち出した唯一の「硝子の心臓」を膝に置いていた。  赤黒い液体が脈打つその容器の表面には、微細な文字列が刻まれている。

「真実、その一。……この『心臓』は、単なる兵器の起爆装置じゃない。……これは、エミを元に戻すための『復元プロトコル』の一部だ」

沖田は銀の鍵を使い、硝子の表面を薄くなぞった。  すると、彫り込まれた文字が青白く発光し、車内のフロントガラスに複雑な幾何学模様を投影し始めた。

「……これは、地図?」  志乃が問いかける。

「いいえ、これは『人格の構造図』よ」  後部座席で、瑞穂が静かに口を開いた。彼女の瞳は、投影された青い光を反射して、吸い込まれるような深淵の色をしている。

「真実、その二。……瑞穂さん。君の中にいる三つの人格は、それぞれが『座標』なんだ。……君が硝子を造るたびに、組織はエミの記憶をその一点一点に定着させていった。……忘れな草の暗号は、それらを繋ぎ合わせるための『接着剤』に過ぎない」

沖田の言葉が放たれた瞬間、街のデジタルサイネージが一斉にノイズを吐き出した。  画面に映し出されたのは、無数の顔。  笑う顔、怒る顔、泣く顔。  それらが幾重にも重なり合い、一つの巨大な「貌(かたち)」へと収束していく。

『――美しいだろう、沖田君。……君が愛した女は、今やこの街の呼吸そのものになろうとしている』

スピーカーから流れてきたのは、感情を削ぎ落とした、合成音声のような「三つの顔を持つ男」の声だった。

「……調律師。街を実験場にするのが、君の言う『美』か」

『人間は移ろい、腐敗する。……だが、硝子に変えられた記憶は、永遠に劣化することはない。……君が持ち出した三つの鍵を返してくれれば、彼女の最後の一片を、君の目の前で完成させてあげよう』

ドォォォン、という。  地面を揺らすような衝撃が、車を襲った。  前方の交差点から、巨大な「硝子の蔦」がビルを突き破って出現し、夜空に向かって成長を始めている。  組織の最終実験施設――『クリスタル・タワー』がその姿を現したのだ。

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