『迷探偵 沖田』第10話:鉄の鍵の共鳴
『クリスタル・タワー』の内部は、光の暴力が支配する、音のない大聖堂だった。 壁、床、天井。すべてが極限まで透明度を高められた人工硝子で構成され、沖田たちの足音だけが、不自然なほど明瞭に反響している。 外の世界では、ナノマシンの散布によって新宿が沈黙し、生存者の吐息さえもが凍てついていく。
沖田、志乃、そして歩くことさえままならなくなった瑞穂の三人は、最上階の円形広場へと辿り着いた。 そこには、一人の男が待っていた。 三つの異なる仮面を使い分けているかのように、見る角度によって表情を変える男。組織の最高調律師。
「……ようやく来たね、沖田君。……三つの鍵を携えて。……まるで、失われた聖杯を探す騎士のように」
男の声は、四方八方の硝子壁から同時に響いてくる。 沖田は無言で、ポケットから鉄の鍵を取り出した。 これまでの真鍮や銀とは異なる、光を一切反射しない、鈍く、重い、呪いのような鍵。
「真実、その一。……調律師、君がエミを三つに分けたのは、彼女を保存するためじゃない。……君自身が『人間としての感情』を理解するために、彼女の魂を解剖(デコンパイル)したんだ」
沖田の一歩ごとに、床の硝子が「みしり」と悲鳴を上げる。 志乃は瑞穂を支えながら、タワーの構造材を鋭い視線で観察していた。彼女の手には、久世から渡された、組織のナノマシンを中和するための高圧噴霧器が握られている。
「解剖か。……否定はしないよ。……エミの愛、献身、そして絶望。……それらは、この硝子の世界を構築するための最高のアルゴリズムだった。……だが、最後の一片、彼女が君に抱いていた『憎しみ』だけが、どうしても定着しなかった」
男が指し示した中央の台座には、瑞穂が造っていたものとは比較にならないほど巨大で、透明な「硝子の心臓」が置かれていた。 そこには、エミの顔をした「光の影」が、胎児のように丸まって浮かんでいる。
「真実、その二。……エミは僕を憎んでなどいない。……彼女が最後に封印したのは、憎しみではなく『僕への依存』だ。……彼女は、僕がいなくても、自分が人間として完成することを望んでいたんだ!」
沖田の叫びと共に、鉄の鍵が強烈な共鳴音を放った。 その音は、タワーの物理的な振動周波数と完全に一致し、透明な壁に無数のヒビを入れていく。
「沖田さん! 壁が持ちません!」
「構うな、志乃! 散布しろ!」
志乃がトリガーを引く。中和剤が霧となって広がり、大気中のナノマシンを無力化していく。 しかし、調律師は動じない。彼は優雅な動作で「硝子の心臓」に手を触れた。
「三つ目の真実を言おうか、沖田君。……君が今、必死に救おうとしているこの少女、瑞穂君。……彼女こそが、エミが残した唯一の『本物の肉体』だよ」
沖田の思考が、一瞬だけ停止した。 瑞穂人格。エミの魂の器。 それは、過去の残像ではなく、現在進行形の生命。
「エミの精神を三つに分け、その抜け殻となった肉体に、新しい人格を植え付けた。……それが瑞穂という名の『嘘』だ。……君が鉄の鍵を回し、この施設を破壊すれば、連鎖的に瑞穂の神経系も焼き切れる。……君は、エミの魂を救うために、彼女の身体を二度殺すことになる」
不条理な選択。 真鍮の偽り、銀の情念。 そして、今突きつけられた、逃げ場のない鉄の事実。
沖田の指が、鉄の鍵に食い込み、血が滴った。 その血が、透明な床に落ち、真紅の波紋となって広がっていく。
「真実は大体3つほど。……だがね、調律師。……四つ目の真実は、いつだって『奇跡』という名の、非論理的な飛躍なんだよ」
沖田は鉄の鍵をポケットに戻し、志乃の方を向いた。 彼の瞳からは、いつもの倦怠感が完全に消え、澄み渡った決意だけが宿っていた。
「志乃。……僕の三つの鍵を、全部飲み込んでくれ」
「……え?」
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