「どんな自分でありたいか」を考えるとき、私が自分に問いかけたこと
以前の記事で、
キャリアについて考えるとき、「何をしたいか(Do)」ではなく
「どんな自分でありたいか(Be)」を起点に変えてみたことで、
自分の中にブレない軸を持てた、という経験を書きました。
そのとき描いた(今も大事にしている)、私の「ありたい自分」がこちらです。
・相手を理解し寄り添える
・「ちゃんと届く言葉」で伝えられる
・納得して一歩を踏み出す後押しができる
シンプルですが自分らしくて気に入っていますし、
「こんな自分でありたい」と思える、大切な言葉になっています。
…とはいえ、ここに至るまでには、描いては消し、描いては消し、結構な紆余曲折がありました!
この「ありたい自分」を描くためには、とにかく自分と向き合う必要がありました。
漠然と「どうありたいかな〜」と考えていても何も降りてこないので(笑)、
これまでの自分・今の自分を振り返って、ヒントを集めるところからはじめました。
そのときは比較的、思いつくままに考えては言語化していく感じだったのですが、
あとから改めて整理してみると、こんな視点が効いていたなと思います。
・感情が動いた瞬間と、その理由は?
(嬉しかったこと、楽しかったこと、悔しかったこと、許せなかったこと)
・仕事や周囲との関わりの中で大事にしていることは?
(逆に、されたら嫌なことは?)
・周囲にとってどんな存在でいたい?
(かけられて嬉しかった言葉は?)
感情が動いた瞬間と、その理由は?
(嬉しかったこと、楽しかったこと、悔しかったこと、許せなかったこと)
まずは、これまでの仕事の中で、感情が大きく動いた瞬間を思い出してみました。
「あの仕事、楽しかったな」
「あのときは、本当に悔しかったな」
そんなことを思い返しながら、
「そのとき私は、何に心が動いたんだろう?」
と、自分に問いかけてみました。
例えば、
連日夜遅くまで後輩のプレゼン準備と愚痴(!)に付き合ったこと。
信頼してもらえていること、自分が力になれていることが誇らしかったし、
根気強く伴走しているうちに本人からも前向きなアイディアがどんどん出てくるようになって、
成長が感じられてすごく嬉しかったんだった。
お得意先から、がんばって準備したつもりだった提案を「全然ダメ」と突き返されたとき。
そのとき言われた「うちの課題、もっとわかってくれていると思っていたのに」という言葉は、
今でも思い出すと身体がギュッと固くなります。
「正しい提案」より先に、相手をちゃんと理解しようとしていたか?
そんな大事なことをおろそかにしてしまった自分が、心底情けなかったな…
仕事や周囲との関わりの中で大事にしていることは?
(逆に、されたら嫌なことは?)
次に、日ごろ自分が大事にしていること、譲れないものってなんだろう?と考えました。
例えば、
・自分ゴトとして考え、動こうとする姿勢
・人それぞれの置かれている立場や事情を、ちゃんと理解すること
・メンバーの納得感や共感を引き出すこと
・そのために、手触り感のある「自分の言葉」で伝えること
逆に、嫌なのは、
・一方的に決めつけられる/考えを押し付けられること
・目的が伝えられないまま、ただ「やれ」と指示されること
・人を大切にしない、雑に扱う姿勢
・不機嫌な態度で相手をコントロールしようとしてくる人(笑)
などが浮かびました。
書き出してみると、意外と「嫌なこと」のほうがスラスラ出てきたりして…
でも、それって裏を返せば、自分が大切にしたいことがちゃんとあるということなのかもしれません。
周囲にとってどんな存在でいたい?
(かけられて嬉しかった言葉は?)
そして、周りの人からどんなふうに思われていたいか?という、
外から見た自分にも思いを巡らせてみました。
素敵だなと思う人に共通していることは?
これまでもらって嬉しかった褒め言葉って、どんなものだろう?
浮かんできたのは、こんなことでした。
・自分の言葉で、ちゃんと考えを伝えている
・いっしょにいると、前向きな気持ちになれる
・迷ったときに相談すると、考えが整理できる
・きっとわかってくれる、という安心感
「安心して相談できる」「がんばろうって思えた」
そんなフィードバックは、自分が大事にしていることがちゃんと届いていると実感できる。
だから心に残っているし、もっと前に進もうという原動力にもなってきたんだな…と感じました。
こうして振り返り、気づきを集めていくことで、
「ありたい自分」の輪郭が徐々にくっきりしてくる感覚がありました。
私は相手としっかり向き合い、寄り添いたいんだ。
しかも、寄り添うだけでなく、前向きに踏み出すきっかけになれたら。
そのために、「言葉の力」は私の強みになるかもしれないーー
「やりたいこと迷子」だった私が、悩みながら考えはじめた「どんな自分でありたいか」。
考えて、考えて、見えてくるにつれて、
いつのまにか少しワクワクしはじめている自分に気づきました。
「ありたい自分」は、どこか遠くにある理想像を描くものではなくて、
これまで嬉しかったこと、
悔しかったこと、
大事にしてきたこと、
自分の中にすでにあるものをひとつずつ拾い集めた先に、
少しずつ輪郭が見えてくるものなんじゃないかな、と思います。
そう言う私もまだ道の途中で、
描いては消して、また描き直すこともきっとあると思います。
でも、こうして自分に問いかける時間そのものが、
少しずつ「ありたい自分」に近づく時間になっている気がしています。
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