第1話:二人の「得意」が重なる場所
五月の風が、リビングのカーテンを軽やかに揺らしている。
「よし、これで排気は完璧なはずだ」
庭先から、夫の弾んだ声が聞こえてくる。私は淹れたてのコーヒーを二つのマグカップに注ぎ、サンダルを履いて外へ出た。
我が家の愛車、10年落ちのヴォクシーは、今やただの移動手段ではない。後部座席のドアを開ければ、そこには私と夫の「夢の試作機」が詰まっている。
夫は54歳のサラリーマン。定年という二文字が現実味を帯びてきた昨今、彼は趣味の日曜大工に一段と熱を上げている。
もともと凝り性な性格だが、YouTubeで自作キャンピングカーの動画に出会ってからは、週末のたびにリサイクルショップへ通い詰めるようになった。
夫のこだわりはなるべくお金をかけない事、リサイクルの家具を安く購入し分解で得た材料を使い棚やテーブルを作ったり無料の端材を利用したりするんです。
「見てくれ。この棚の建付け、0.5cmも狂いがないぞ」
夫が指さす先には、車内の壁面にぴったりと収まった木製の棚と、可変2段式の棚がある。
さらに、窓枠にはパソコン用の冷却ファンを埋め込み、手製の簡易換気扇まで作ってしまった。
「これで車内でコーヒーを淹れても、結露の心配はないな」
そう言って笑う夫の横顔は、まるで秘密基地を手に入れた少年そのものだ。
対する私は、52歳の専業主婦。
子供は三人、長男と次男が社会人として自立し、末っ子の長女も大学生になった。
やっと自分の時間が持てるようになった私を夢中にさせたのは、若い頃から嗜んできた裁縫だった。
「お父さん、こっちも完成したわよ」
私は、リビングから抱えてきた特製のマットレスを車内に運び込んだ。
既製品のマットレスをリサイクルショップで購入し、車内の幅に合わせて二つに切断。取り回しが良いように、肌触りの良い柔らかな布でカバーを縫い上げた。さらに、寄りかかって読書や映画を楽しめるよう、大ぶりの背もたれ用クッションも添える。
私も夫に感化されなるべくお金を使わない努力をする様になっていた。
「ほう、この柔らかさ。木の棚の無骨さがお前のクッションで一気に『部屋』になったな」
夫が満足そうに、自作のベッドキットに腰を下ろす。
たまたま、二人の得意なことが噛み合った。
夫が「骨組み」を作り、私が「彩り」を添える。
二十数年、共に家庭を切り盛りしてきたけれど、こうして二人で一つの「作品」を作り上げるのは、思えば初めてのことかもしれない。

夫が設置したモニターに電源が入る。DVDから流れるお気に入りの映画や、YouTubeの旅動画。私たちは、狭い車内でお互いの肩を寄せ合いながら、湯気の上がるコーヒーを啜った。
「なあ。定年になったら、本物のキャンピングカーで日本中を回らないか」
夫がふとした拍子に口にした言葉。それは、私たち夫婦の新しい「北極星」になった。
ハイエースのワイド、それともナローのハイルーフがいいだろうか。常設ベッドは外せないし、小さなトイレルームも欲しい。夢を語りだせば、車内はあっという間に熱気に包まれる。
もちろん、本物のキャンピングカーは高価な買い物だ。
今はまだ、理想の一台を手に入れるための資金作りの真っ最中。節約も、情報収集も、すべては「五年後」の自分たちへのプレゼントだ。
けれど、不思議と焦りはない。
今は、このヴォクシーを「キャンピングカー風」にアレンジして過ごす時間が、何よりも愛おしいからだ。
「明日、近くの河川敷へ行かないか?」
夫の提案に、私は二つ返事で頷いた。
遠くへ行く必要なんてない。お気に入りのパン屋でクロワッサンを買い、いつもの河川敷で自然を感じながら数時間の「車中泊ごっこ」。
それだけで、私たちの週末は最高の冒険に変わる。
家でもない、外でもない。
自分たちの手で作った、世界に一つだけの小さな空間。
そこは、私たちが「お父さん」「お母さん」という役割を脱ぎ捨てて、ただの夫婦に戻れる、大切な秘密基地なのだ。
窓の外では、夕暮れ時の空がゆっくりと茜色に染まり始めている。
この小説はノンフィクションです。
(つづく)
